3-4

 山の端に滲む夕日の残照が、その男の顔を朱色に染め上げていた。


 灰色の髪と、頬の肉が少し垂れた青白い皮膚。目尻には柔和な笑い皺。それは一体、どのような笑みで刻まれたものか。 

 あと数分もしないうちに、藍色の影がそれら全てを覆うだろう。

 彼の運命を予感させるその光景に、それでも、老獪な侯爵家当主は、口元の笑みを絶やさなかった。


「いやはや、まさか王宮のメイド長まで加担しているとは思いませんでしたよ」

 どこまでも余裕な表情を保ったまま、ゴイル侯爵は私に視線を寄越した。

「私もできれば関わりたくはなかったのですが……」

 嘆息する私に、執事姿の少年が無邪気な顔で笑いかける。

「あはは。今更なに言ってるのさ、サっちゃん」

 その脚に、裕福な家庭の子女のような衣服に身を包んだ黒髪の少女が蹴りを入れ。

「下手こいたくせに余裕ぶってんじゃないわよ、レン」

 その横で、半裸の大男が憤然と腕を組んでいた。

「おいソノ子、話が違うぜ。今日は思いっきり暴れられるんじゃなかったのかよ」

「何よ、これじゃ足りない?」

 

 目の前には、物言わぬ躯が三つ、転がっている。

 私たちの声以外に、物音はしない。

 夕闇の侵す静謐の屋敷で、悪党たちが一堂に会していた。



 この十数秒の間に、既にいくつかのことが起こっている。


 まず、この屋敷の使用人に扮したレンタロウ様がレストレンジ邸の競売で異変が起きたことを告げ、ゴイル侯爵を連れ出そうとしたところ――。


『ではまず、君が何者か名乗り給え』


 即座にその正体を見破った彼はすかさず手持ちのベルをかき鳴らし、配下のものたちを呼び寄せた。

 時を置かず、それぞれ別々の場所から参上したのは、既に赤黒い魔導花を額に咲かせた怪物が三体と、


 突然の闖入者に一瞬狼狽したのも束の間、すぐさま残りの二体に指令が飛ばされ(どうやらクワイエタスは正しく服用されているらしい)、怪物一体の頸骨を捻じ曲げたウシオ様が襲われた。

 勝負は一瞬。

 先手を取った怪物の腹部が殴り上げられ天井に激突。血反吐を撒き散らすその体が落下するより早く、死神の鎌のような足刀が残り一体の首を180度回転させ、その命を刈り取った。

 三つの身体は数秒間痙攣を続け、やがて動かなくなった。


 ややあって、それを陰から見ていた私とミソノ様が姿を現わし、改めてゴイル侯爵へと向き合った。


 そして。


「あらぁ? なんか棺桶に片足突っ込んでそうなジイさんがいるわねぇ? ひょっとしてあんたがゴイル侯爵?」

「はははは。いやいや。片足どころか、もう腰まで入ってますとも。そういう貴女は、イテクラ・ミソノ嬢でお間違いないですかな?」


 片や、自分の三倍以上は年上の貴族の男相手に、不遜な態度を一切崩さずに。

 片や、自分を守る護衛三人が瞬殺されてなお、余裕な笑みを湛えたまま。

 和やかな声音で、それでもその両目に剣呑な光を宿し、ミソノ様とゴイル侯爵がを交わした。


「なるほど、それでは君がウシオ・シノモリ君」

「おう。侯爵サマよ、護衛はもうちょい鍛えといたほうがいいぜ?」

「これでも長年私の身を守ってきた精鋭なんですけどねぇ。飛竜の成体を単身で倒してのけたなどと大仰な噂をばら撒くとは、いったいどんな詐欺師かと思いきや、その様子ではあながち法螺吹きとも言えないでしょうな」

「おいおい、間違えんなよ。詐欺師はこっちだ」


 そういって拳に親指を立てて差した先では、一切の邪気を感じさせない顔でレンタロウ様が手を振る。

「久し振り~。侯爵サマ」

「ははは。皮肉が効いていますな。一体、お会いするのは何度目で?」

「そんなの数えてないよ~。今日はバレちゃったみたいだけど。何か符牒でも決めてた?」

「ええ。君にまんまと出し抜かれてからはね。その日一日ごと、各人ごとに決めていました。ここまでしたのは私の父を追い落としたときくらいですよ」


 そして、改めてここに至るまでの経緯を聞いたゴイル侯爵は、顎に手をやって目を細めた。


「ふむ。レストレンジ侯爵の尻尾まで掴んでいるとはね。つまり、彼は私の部下たちに偽のクワイエタスを服用させ、自分の屋敷の中でわざとエレクトを暴走させた、と?」

「ま、そういうことね。今回の件、一番得したのはあいつよね。あんたと私から二重に金ぶんどってるんだから」

「ははは。そうでしょうな。いやはや、してやられました。まあ、このままで済むと思われているのなら、随分甘く見られたものですが」

「ざーんねーん。あの狸親父なら、今後とも私たちが仲良く脅迫おつきあいさせてもらうわ。あんたの取り分はないわよ」

「これはこれは。噂以上に楽しいお嬢さんだ」

「あんたは意外とつまらないわねぇ、侯爵サマ」

「はははは」

「うふふふ」


 ……私、帰っていいでしょうか。

 聞いているだけで寒気がしてくる悪党二人の会話に私が頭痛を堪えていると、ふと思いついたように、ゴイル侯爵家は背後の扉に目をやった。

 レンタロウ様の調べによれば、そこは各種の植物を栽培している部屋のうちの一つのはずだった。


「ああ、ひょっとして、あの女児もあなたがたの差し金で?」

「……女児?? なに、誰のこと?」

「ははは。そうとぼけずとも宜しい。今回のあなた方の動向、まったく掴めませんでしたからな。私に偽の情報を掴ませるために、あえて取り入れさせたのでしょう。まったく恐ろしい人だ。あのように幼気な――」

「いや……マジでわかんないんだけど」

「……んん?」


 先ほどまで瘴気を纏うような言葉の応酬を続けていた悪党二人の間に、気まずそうな沈黙が流れる。

数秒の空白の後、ちょっと失敬、とゴイル侯爵がその扉を開け――。


「「あ」」


 懐をなにがしかの盗品でぱんぱんに膨らませ、暖炉の煙突から逃げ出そうとしていた女児と目が合った。


「ま、待て――」

 そんな言葉と共に伸ばされた手も空しく、小さな悪党が煙突の中に消えていった。

 ぽろり、と何か懐から落としたかと思えば、それはいかにも高級そうな万年筆。

 呆然とそれを手に取ったゴイル侯爵の背に、水を得た魚のような嘲笑が投げつけられる。


「あっはは。あっはははははは! なに、なに今の? ねえサク。今の見た? 見た?」

「…………あれは、キャシーでしたね」

「ぶっはははははは!! ふっつーに騙されてる! チビガキに普通に騙されてるわよ、このおじいちゃん!! だっっっっっさ!!!!」


 ああ……。

 そういえば、例の司祭を嵌める作戦に携わったボトル・ベビーの中に、彼女もいたな。

 どこぞの貴族に引き取られたと聞いてはいたが、まさかゴイル邸に潜り込んでいたとは……。

 私の記憶にあるより随分と肉をつけた体で、それでも帝都の暗がりで鍛えた体捌きで、するすると煙突を登っていった彼女の姿に、いよいよ眩暈を覚えそうになった。


「ねえ、知ってる、侯爵サマ? 沈みそうな船からは、ネズミも逃げ出すらしいわよ?」


 そんな、邪悪な言葉に、老獪な悪党の背が震えた。


「はは、は。はははは」

 掠れるような乾いた笑いと裏腹に、丸めた背中の震えが徐々に大きくなっていく。

 僅かに覗く耳が、夕闇の中でなお、紅く色づいているのが見えた。

 ゆらり、と、瘴気が立ち上る幻視を覚えた。



「図に乗るな小娘が!!!!!」



 激昂。

 口角に泡を飛ばし、血走った目で、部屋の壁にかけられた鉦を打った。


 くわぁぁぁん。


 長く尾を引く高音の数秒後。

 

 私たちとゴイル侯爵の間にあった壁が吹き飛び、巨大な怪物が姿を現わした。

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