2-4
その日の夕刻。徐々に冷えていく秋空の下、私は焦燥に駆られた足取りで傭兵組合の本所へと向かっていた。
まあ、この道を進む私の足取りが軽やかだったことなど一度もないのだが、今回は事態があまりに逼迫している。
王宮に出入している騎士の一人に、何か変事がおきていないかそれとなく聞いてみたところ、どうも第八師団の騎士の中に行方不明者がいるのだという。
かの死体との関連性までは分からなかったが、私の知る限り第八師団の中に
もし、行方不明者と惨殺された死体になんの関係もないのであればそれでよい。
しかし。
『しかしレンタロウ君。ゴイル邸に潜入するとはいえ、一体どうするつもりだね』
『う~ん。そうだねぇ。取り合えず、ほら、ホラ男さんの隊にゴラス家からの
『…………いまなんと?』
『え? だからほら、あの
『……』
『あら~? どうしたの、オ・ジ・サ・マ。当然知ってて泳がせてたのよねぇ? まさか潜って一週間のレンが気づいて、隊長サマが気づかなかったなんてことないわよね~?』
『いやソノちゃん。僕は初日に気づいたけど』
『お二人とも、そこまでにしてあげてください』
そんな三週間前の会話が、脳裏を過る。
まさか。
いや。
そんな。
あの飄々とした少年が、そう簡単に……。
夕闇が迫る街の道を品位を失わないぎりぎりの速度で歩き抜けた私が組合本所の前までたどり着くと、建物の窓からは明かりが漏れていた。
立ち止まり、呼吸を整え、震える手で扉に手をかける。
そして。
「はあい、村人残り2名~。狼と同数になり、残念、食い殺されてしまいました。
「だあ! くそ! 全滅した!!」
「おいレンタロウ! お前が入ると勝負になんねえよ!」
「ええ~。さっきは村守ったのに~」
「一夜につき一人きっちり狼殺しやがってな!」
「みんな分かりやすすぎるんだもの~」
「もうお前
「よっし。じゃあ私と交代ね」
「「「
「なんでよ!?」
わいわいと、何かのパーティーゲームに興じている傭兵と悪党たちが、私を出迎えた。
その中心には、無邪気な顔で手札をひらひらと振る
「…………ですよねぇ」
全身に圧し掛かる鉛のような疲労感が、私の肩と背中を丸め、溜息となって口から漏れた。
「あ、サっちゃん。いらっしゃ~い。一緒にやる?」
「あら、何よサク。定期連絡の日じゃないでしょ」
「いえ……。もう用は済みましたので」
「ちょ、ちょっとちょっと、何で帰ろうとしてんの!?」
卓を飛び越え、踵を返した私の腕を掴むレンタロウ様を、わざと眉間に皺を寄せて見つめてやる。
「そちらこそ、何故今ここにいらっしゃるんです? 予定では競売の日取りと場所が確定できるまでゴイル邸に潜入しているはずでは?」
「それがさぁ~。ほら、僕が成り代わってた密偵の人いたでしょ? あの人が僕と間違われて殺されちゃったんだよね。まあ、向こうはそれで邪魔者消したつもりになってるからいいんだけど、向こうもちょっと用心深くなってきたから、いまは避難中~」
いつの間にか、さりげなさすぎて怖くなるほどの所作で私は中へ中へと招じ入れられていた。
すっかり顔馴染みとなってしまった私を傭兵たちも自然に迎える。その中でひときわ小柄な影が、手に持った何かの札を卓上へ放り出した。
「ま、今日はこの辺にしときましょ。最後ので殺された村人、全員罰ゲームね。二階にシオがいるからあいつの筋トレに今からつきあうこと。あぁ、サク。せっかく来たんだからお茶でも淹れてきなさいよ」
そこは普通、『飲んできなさいよ』ではないだろうか……。
仕方なしに、私は建物内に設えられた炊事場で湯を沸かし、何かの事務仕事を始めたミソノ様にお茶を淹れてやった。
昼間国王陛下に振る舞ったものとは茶葉のランクも茶器の質も雲泥の差であったが、それを喫する本人が何事の謝意も感想も述べない点だけは同じである。
彼女の好みに合わせて少し温めに淹れてやったそれをぐびぐびと飲み干すミソノ様を横目に(お茶の飲み方ではない)、自分の分に限界まで熱く淹れたお茶を含むように飲み、静かに溜息を溢した。
その時、遠目にそれを伺い見ていたらしい傭兵の男たちの囁き声が聞こえてきた。
「いあぁ、やっぱり
「そうだなぁ、なんかこう、あの……あれ」
「違うよなぁ」
「ああ。違う違う。何か違う。分かんねえけど」
何故彼らが給仕の作法などを盗み見しているのかといえば、それはここ三週間の間に行われた悪逆非道な作戦の一つの影響である。
『ゴイル侯爵を引きずり落とす』
その目的のため、まずターゲットになったのは、彼と太いパイプを持つヤックスリー金融の頭取であった。
悪党たちは、この国の富裕層の間で知らぬものはいない大商会の名を騙り、その子会社だと偽って新規事業の計画を提示。今後他国との戦が始まった際の戦地と農地を兵站線として繋げ、戦争事業で大儲けをするという時流を先取りしたその構想に、頭取は丸三日間かけて悩み抜いた末に投資を受諾。
つまり、ものの見事に騙された。
そしてその大掛かりな詐欺のために、傭兵たちの半数ほどが、一流の商会の従業員に扮装するための特訓を課せられていたのだ。
『肩を張るな! 顎を出すな! 片膝を曲げるな! 「気を付け」一つも出来ないわけ!? ケツの穴に力込めろっつってんのよ!』
『ちっっっがう! セリフと同時に頭下げるのはヤクザの挨拶だって言ってんでしょうが! 「いらっしゃいませ」を言いきってから礼! 次間違えたやつ全裸で一時間正座させるわよ!』
『あっつ! 熱い! それに渋い! なんだこのお茶!? ざけんなボケ! 煮えた泥水飲まされたいのか!』
見るに見かねた私が王宮のメイド教育に使うマニュアルを貸し出してやったところ、せめて給仕だけでもあんたが教えてくれ、と組合長に泣きつかれ、臨時の講師役を仰せつかってしまったのだ。
以来、若い傭兵たちに奇妙な懐かれ方をしてしまい(姉御と呼ばせてくださいと言われたときは丁重に断った)、もう変装の必要もないのにも関わらず、時折礼儀作法についての指導をしているのである。
「おう。おめえら。あんまり嬢ちゃんに迷惑かけるんじゃねえぞ」
そんな彼らを、力ない様子で叱責する声がかかった。
「
「い、いやぁ、俺らはただ……」
しどろもどろになる若い傭兵たちを押しのけて、組合長――レギュラスが、大量の書類の束を抱えてカウンター内に入っていった。
圧し掛かる重圧が幻視されそうなほどに丸まった背中で、どっかりと腰を下ろす。
「お疲れ様です。お茶を淹れましょうか」
「ああ、いや――」
「ちょっとクソオヤジ。この書類書き方間違ってるって。誰よ作った奴。これじゃ貸方が二重になっちゃってるじゃない。明日までに書き直させて。あとシオに行かせてた
「…………」
「淹れて参ります」
「……頼まぁ」
できれば共有したくはない連帯感が、確かにそこにあった。
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