2-3
今の国王陛下は、当年をもって御年17歳になられる。
即位されたのは三年前、成人の儀を執り行ったのはつい昨年の話だ。
兄弟はいない。
いや、今はもういない。
この言い回しだけで察しがつくだろうが、彼の即位に際し、王宮内には血で血を洗う政争の嵐が吹き荒れた。
前王の身が病に侵され、余命幾ばくもないと定められた時、ゴイル侯爵含め、多数の有力貴族が押し上げたのは、当時第二王子であったユースタス様。
他のどの王子よりも暗愚で、空虚で、傀儡とするにこれ以上はないほどの人材であった。
だが、この時の貴族や大臣たちの誰もが誤解していたのだ。
この若王の、誰の手にも負えない愚かさの底を。
「おいメイド長。この男は誰だ」
その、酒に喉を焼かれたダミ声に、私は顔を伏せたまま答えた。
「アミカス・カルロ様。帝国騎士団第一師団の団長を務めておられます」
「……そうか」
私の横で、アミカスの跪いた手が微かに震えているのが分かった。
自分の顔が覚えられていないことが屈辱だったようだ。
だが、人の顔と名前を覚えることにかけてこの国王陛下ほど不得手なものを私は知らない。
第一師団と言えば陛下の身を守る最も身近な盾であり、ある意味最も陛下から信のおけるものが任されて然るべきであったとしても、それがどのようなアドバンテージになろうものか。
「で、その……師団長が何をしている」
「ははは。なに、大したことではございませんとも。先日私の身内に慶事がございましてな。ささやかながらパーティーを催す予定であるのですが、何分武骨な家柄ですから、王宮を切り盛りするメイド長殿に、何かアドバイスを頂ければと」
流石に、陛下のお手つきの女を貸し出せとは本人には言えないらしい。
張り付いたような笑みを浮かべながら弁解する騎士に、陛下は一瞥もくれることはなかった。
「下らんことに俺のメイドを煩わせるな」
「……失礼仕りました」
「メイド長。茶を淹れろ」
それきり踵を返した陛下に私が追従しようと立ち上がると、アミカスは視線を落としたまま暗い声で囁いた。
「子守も大変ですな、メイド長」
「老人介護ほどではございません」
「……小娘が図に乗りおって」
「失礼致します」
背後に仄暗い怨嗟の視線を感じつつ歩みを進める先では、陛下の半歩後ろを歩むミルファが猫撫で声で諂っていた。
「陛下ぁ、怖かったですぅ」
「おぉ。そうかそうか。よし、今夜はお前を可愛がってやるとしよう」
「今日はぁ、シリカの番ですよぅ」
「ならば二人ともだ」
「きゃぁ~」
ちらりと視線をこちらに寄越し、困り顔を一つ。
申し訳ありません、と目線だけで返す。
咄嗟に陛下の機嫌をとるよう立ち回れるようになるとは、この娘も成長したものだと内心で感心しながら、私はそれを追った。
そして。
「メイド長。あの男をクビにしろ」
「無理でございます」
王宮の中に作られた庭園で、私は陛下にお茶を淹れていた。
その膝元にミルファを侍らせそれを呷る陛下は、不機嫌そうに茶器を鳴らす。
「なんだと。俺は国王だぞ」
「各師団長の任免権は、総団長が担っておられますので」
「ならば総団長を連れてこい」
「現在、国防に係る重大な会議中にございます」
「ちっ」
その会議に
「それで、私に何かご用命でしたでしょうか?」
どうも私を探していた様子であったことを思い出し聞いてみると、陛下は詰まらなそうに答えた。
「ああ。……あの、なんと言ったか、侯爵家だか伯爵家だかの男が領地から持ってこさせた甘味があっただろう」
「甘味……。ああ、ゴイル侯爵ですね。陛下。そろそろ男爵子爵とは申しませんが、侯爵家程度の貴族の家名は覚えて頂きませんと――」
「黙れ。あの菓子だがな。なかなか気に入った。だが量が多い。俺はもう要らんから、お前たちメイドで食べろ」
「はあ。ありがとうございます」
膝元から黄色い歓声が上がり、陛下がその頭を撫でる。
「多分このペースで食べると早々に飽きが来ると思うのだ。俺は頭がいいからな。ちょっと忘れたころにもう一度呼び寄せて振る舞うように、その、なんだ、侯爵に伝えておけ」
なんでも、隣国グリフィンドルで開発された新作であったらしい。かの大国との国境に土地を構えるトラバーユ領でも僅かな流通から研究が進み、最近は市民の口にも届くようになったのだとか。確かに物珍しい味であったので、私も驚いたものだ。
あの、渋くておよそ食用には向かないと思われていた豆を砂糖で煮込んだペースト。
名前は、確か……。
「アンコ、と言うそうだな、あれは」
「陛下。甘味の名前はすぐに憶えて頂けるのですね」
「黙れ、不敬であるぞ」
「不敬ついでに申し上げます。午前中に決裁を頼んでおいた書類がまだ降りてこないようですが、状況はどうなっていますでしょうか」
「黙れ黙れ。解雇だ解雇。お前の小言は聞き飽きた」
「はあ……」
もう何度目になるか分からないその解雇通告を適当に聞き流し、私はお茶のお代わりを注ぎながら午後の予定を頭の中で書き換えていた。
メイドたちだけではなく、官僚たちにもあの甘味を配ろうとしたら、個数は足りるだろうか。
……なるほど、アンコという名前だったか。
その不思議な響きに、何故か私は、あの黒髪の三人組の顔を思い起こしていた。
本当に、不思議なことに。
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