1-4

 店内の照明は仄暗く、燻製のチップの匂いと脂の焦げる匂いが、ゆるゆると流れていた。

 客は少ない。一番奥まった場所に陣取った私たちの会話を聞きとれるものはいないだろう。

 非常に酒精の強い火酒のジョッキを片手に黙々と七面鳥を頬張るウシオ様と、野菜スティックで謎のタワーを作って遊んでいるレンタロウ様をよそに、ミソノ様は極々微量の酒精でほんのり赤らんだ顔で、揚げ菓子を齧っていた。


「ねえ。魔術ってのはそんなに扱いづらいもんなの? あんなド低能のクソトカゲでも使えるのに?」

「うん?」


 クソトカゲ?

 それは、二か月前に仕留めた飛竜のことだろうか?

「ミソノ様。飛竜ワイバーンは確かに魔獣と分類されてますが、特に魔法の類は使わなかったかと……」

「いや、飛んでたじゃない」

「はい?」

「だから、あいつ空飛んでたじゃん。あれ魔法でしょ?」


 んん?

 私とホラスが揃って首を傾げる。

 空を飛ぶのが、魔法……?

 急に何を言い出すのだろう。だって、飛竜には――。


「いや、ミソノ君。飛竜は、その……翼を使って――」

「あのねぇ。羽が生えてりゃ空飛べるなんてのは、メイド服さえ着れば私もメイドになれるって言ってんのとおんなじなのよ」

「なるほど、それは不可能ですね」

「んん? いや、不可能とまでは言ってないわよ。大概の鳥はそれで飛べるんだから。ただ、それはあくまで必要条件であって十分――」

「いいえ。絶対に無理です」

「なんでよ!?」


 メイドを舐めるな。

 王宮に召し上げられて十余年。この仕事に誇りを感じたことなど一度もないが、まさか自分に職業意識などというものがあろうとは思わなかった。

 新たな発見だ。


「話の腰へし折ってんじゃないわよ。いい? あの重量の物体を空に浮かそうと思ったら、あんな程度の翼どんだけバタバタさせたって必要な風力を生み出せるはずがないの。どういう原理なのか知らないけど、あいつが空を飛ぶのに単純な物理現象以外の力が働いてたのは確かよ。それが魔法なんでしょ、知らないけど」

「なるほど、それは……新しい視点だな……」

「そうなの? こないだ書庫で見た感じ、この国の生物学バイオロジィじゃ、単に魔力とやらの高い生き物のことを魔獣って呼んでんでしょ? だったら魔獣に分類されてる生き物は何かしら魔力に関連した生態があるはずじゃない。私が思うに――」

「あああ。待ってくれたまえ。個人的には非常に気になるところであって、是非とも続きを聞かせて頂きたいんだがね。今日は今後の方針についての擦り合わせをしておきたいんだ。構わんかね?」


 本気で名残惜し気な顔をしながら掌を向けたホラスを、ミソノ様はきょとんと首を傾げて見返した。

「うん? 別にいいけど、そんな大層なことある? ひと月後にあのクソ貴族が違法武器だか薬物だか奴隷だかの競売やるんでしょ? それにガサ入れるために準備してるんじゃないの?」

「何故当然のように極秘の作戦を知っているのかは聞かないほうがいいのだろうね……」

「ま、アイツが直接手ぇかけるんじゃないでしょうから、普通にやろうとしたって証拠不十分と騎士団への金廻しで放免されちゃうでしょうね。今までもそうだったんでしょ?」

「ああ……」


 そう。これまで何度も、ゴイル侯爵に司法の手が伸びたことはあった。

 だが、彼の有するヒト、モノ、カネの働きによって、彼が罪に問われることはなかった。

 禁制品の売買には常に彼の派閥の他家や商会を使い、自らの足跡を残さない。

 騎士団内では、第三と第五の師団が彼の配下となり証拠品を闇に葬る。

 国教会の司祭との繋がりも示唆されているが、それこそ一介の騎士隊長程度では手が出せず。


 だが、そんな妖異のごとき貴族の男を、クズの少女は軽々と笑った。

「くっっっだらない。汚職だのなんだの、どんだけ揉み消そうが尻尾掴まれてる時点で三流なのよ。大体、『悪いことやります』『じゃあ捕まえます』『いいえ逃げます』なんて不毛なやりとりしてるからいつまでもクソジジイがのさばってんでしょ? こういうのはね、その盤面ごとぶち壊してやんなきゃ終わんないのよ」

 

 指についた油をぺろりと舐めるミソノ様は、その仕草だけを見れば、どこぞの裕福な家庭で育った少しお転婆なご令嬢でしかない。


「見て見て~。太陽の塔」

「お~。よく出来てんな」

「ちょ、ちょっとシオくん。ナチュラルにデコピンしようとしないでよ~」

「え? 塔って見ると倒したくなんねぇか?」

「発想が怪獣と同じだよ……」


 そして、行儀マナーも何もあったものではない、食べ物で遊ぶ男二人もまた、片や騎士隊長を一撃で打ち倒し、片やその部下に紛れて一週間潜伏したことなどとても信じられない、ただただ無邪気な少年たちである。

 ちぐはぐなのだ、全てが。

 改めて彼らの異質に触れたホラスは、途方に暮れたようにそれを見つめていた。


「えい」

「あ、ソノちゃん。頭食べちゃダメだよ~」

「ふふん。残念だったわね……って辛ぁっっ」

「トラップ仕掛けといたからね~」

「水水水! サク! 水!!」

「はいはい……」


 私が店主から果実水を受け取って卓に戻り、ミソノ様にそれを無言で引っ手繰られると、私を不思議そうに見上げるホラスと目が合った。

「何か?」

「いや、なに。もうすっかり、貴女は彼らに馴染んでしまったようだ、と思ってね」

「やめてください。今日からはあなたにも同じ思いを分かち合って頂きます」


 ぞっとしないことを宣うホラスを睨みつけると、私の後ろから不意に声がかけられた。


「何言ってやがる。悪党どもの引率者が」


 その聞き逃せない誹謗に私が振り返ると、草臥れた初老の男がジョッキを片手に突っ立っていた。


「今度は何の悪巧みだ、おめえら」

「あなたは……組合長」


 この二か月で一気に老け込んだ様子の、傭兵組合の元締めが、忌々し気にこちらを見下ろした。

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