3.キャンプファイヤーと贈り物

3-1

「村を守った勇者殿に、乾杯!!」

「「「乾杯!!!」」」


 その日の夕は、宴であった。

 

 村で貯蔵してあった酒樽が残らず開けられ、大広場には盛大な火が焚かれた。

 そこに串刺しで焼かれているのは、むろん飛竜の肉である。

 飛竜の解体など経験したものがいるはずもなかったので、ミソノ様とレンタロウ様が傭兵組合の資料庫で調べた指南書の記録を頼りに音頭を取ってはみたものの、やはり実際にやるとなると勝手が違った。

 結局私と村の男たちを含め、数人がかりでああでもないこうでもないと四苦八苦しながら(「違う違うそっちじゃないって」「そこは肝臓です。傷つけないようにお願いします」「もうちょい右右右」「逆逆逆!」「うるせぇなぁもう!」)腑分けを行い、可食部の肉は残らず酒宴に供されることとなったのだ。


「勇者ウシオに!」

「勇者ウシオに!」

「おう!!」


 全身包帯だらけにして村人たちの称賛の嵐を遠慮なく浴びる黒髪の大男は、村人たちが一日がかりで苦心して拵えた罠を破壊した張本人であることなど微塵も感じさせない。

 それほどまでに、あの暁の決闘は、村人たちの目に眩く映り込んでいた様子であった。

 まあ、他にもこの現状を作るのに一役買った男がいるわけだが。


「ほらぁ、上手く行ったんだからさ。いい加減機嫌直しなよ、ソノちゃん」

 だらけ切った体勢で串肉を頬張るレンタロウ様が、その隣でいまだ眉間に皺を寄せたままのミソノ様を宥めていた。

「うっさいわね。んなもんもうどうでもいいわよ。……この。……肉が、……硬、すぎ……て……」

 どうやら、竜肉を噛み切るだけの顎の力がないらしい。

 まあ、確かに多少筋張ってはいるが……。


 半日前、飛竜を打ちのめしたと同時にばったりと倒れ込んだ血塗れのウシオ様が村に運び込まれると、いつの間にかひょっこりと顔を現したレンタロウ様が、村長に古ぼけた布地を差し出したのだ。


「すみません、村長。実は昨日、こんなものが見つかって……」

 そこには、およそ百年前に村が飛竜に襲われた際の出来事が記されていた。

 何でも前日の作業中にとある納屋の奥から出てきたのだとか。

「この時も、やはり罠を使って飛竜を捕らえた後で、村人全員で仕留めることに成功したそうなんですが、決して少なくない犠牲が出たみたいなんです。これを見たシオ君が、『なら俺が一人で相手をする』って言いだして……」

 いかにも友人の想いと自らの使命との間で揺れる好青年のような苦悩に満ちた面持ちでそんな説明をされては、そしてその実見事に飛竜を単身で討伐などされてしまえば、村の住人にそれを咎めることなど出来ようはずもない。


 問題は、どう見てもそのボロ布が、馬車の中でミソノ様がクッション代わりに使っていたものに違いないことであった。


「チェッ・チェッ・コリッ・チェッコ・リッサ!」

「リ・サンサ・マンガン!」

「サン・サ・マンガン!」


 相変わらずこちらの国にはない謎の歌を村人たちに教え、粗雑な打楽器を鳴らしながら焚火の周りで踊り始めたウシオ様が本当にそんなことを考えていたのならば、確かに彼は勇ましき者である。

 それが、ただただ自分が巨大な魔獣と一対一で闘いたいがためだけにその邪魔となる罠を破壊したのだなどということが知れれば、呑気にこんな宴などやっている場合ではなかったはずだった。


 ――対人交渉は、レンタロウ様の役目。


 ……いや、それはもう詐欺の領域だろう。


「ああ、もう無理! サク! 何とかして!」

 とうとう音を上げたミソノ様に頼まれ、私が竜肉をミンチに加工して団子を作って焼いていると、宴もたけなわ、気づけば焚火を囲む男たちのほとんどが裸の状態であった。

 いわんや、露出狂ウシオ様をや……。


 私がしつこく絡んでくる男の一人をメイドの護身術で黙らせてその狂宴を離れ、ミソノ様の元へ逃げ帰ると、夕日の茜を照り返す黒髪の少女は空の酒樽に腰掛け、握り拳大の琥珀色の石を眺めていた。

 

 龍涎香アンブル・グリ

 今回の、目的の品である。


 本当に龍ならぬ飛竜の腸からそれが出てきたときには驚きと安堵が半々であった。

 しかし、確かにその色味を見れば、図鑑でしかそれを知らない人にはそうとしか見えないだろう。

 問題は――。


「ねえ、サク。あんたちょっと使ってみる?」

 邪悪な笑みを浮かべて、ミソノ様がコツコツと掌中の石を叩いた。

「結構です。それより、これで食べられるでしょう」

「さんきゅー」

 私の差し出した団子串を受け取ると、この時ばかりは年相応の笑みを浮かべて、うまうまとそれに齧り付いた。


「え~。僕もそれ欲しい~」

「ご用意してますよ。どうぞ」

「わ~い」

 無邪気な顔でそれを受け取った男の逆の手に、燭台が握られていた。


 ……ん?

 まだそんなものに火をつけるほど暗くはなっていないが……。


 そう思った次の瞬間。

 私の鼻腔に、微かな薫香が流れ込んできた。

 なんだろう。湿った土のような、それでいて不快感を感じない甘やかな匂い。

 これは、まさか。


「どう? 何か感じる?」

 そう言ってにやにやとこちらを覗き込んでくるミソノ様の顔を見て、察しがついてしまった。

 ああ。この悪童たちは……。


「残念ながら、なにも」

「なぁんだ」

「つまんないの~。やっぱ眉唾だよね~、媚薬なんてさ」


 一切悪びれる様子もなく串を頬張りだすミソノ様とレンタロウ様に、今更怒りも湧いてこない。

 まあ、私の場合、たとえそれが本物だろうと偽物だろうと、大した違いはないのだ。

 まだ十二かそこらの時、前の国王にほとんどレイプ紛いに契りを結ばれて以来、私は女の蜜を出したことがない。

 薬師や魔術師に診てもらったこともあったが、効果のあるものはなかった。それこそ、媚薬などもう何度も試されている。


 そんなことを、流石にミソノ様に説明するわけにもいかなかった。

 いくらクズとはいえ、まだ年端もゆかぬ少女――


「せっかくそのお堅い顔がトロットロになったところで今度こそそのデカ乳絞りとらせてもらおうと思ったのに。サク、ちょっと量足りないんじゃない? もう半分くらい使ってみてよ」

「実は私、十二の頃に国王にレイプされて以来、不感症なんです」


 この人相手に気を使おうとした私、どうかしていたのだろうか。


「ああ~。分かる。分かるよ~、サっちゃん。無理矢理ってのはツライよね~」

「いや、何であなたが分かるんですか」

「僕もさ~。まだ中学の頃に営業回りで大物女優のおばさんたちに貸し出されたことがあってさ~。……うぷっ。思い出してだけで鳥肌立ってきた」

「ふん。そんなもん、スカート茶巾にされて●●●で×××されるよりマシでしょ」


 ……この連中は、人に不幸自慢もさせてくれないのか。


 そういえば、と。

 私はもはや見慣れてしまったウシオ様の裸体を思い出す。

 その鋼の鎧の如き筋肉には、薄いものからくっきりと残るものまで、数えるのも馬鹿らしくなるほどの無数の傷が刻まれているのだ。

 なんでも、この三悪党は全員が同じ年齢――17歳なのだとか。

 だとすれば、彼は一体いくつの頃から苛酷な戦いに身を投じていたのだろう。


 ミソノ様の邪悪な知性も。

 ウシオ様の無双の格闘術も。

 レンタロウ様の夢幻の演技力も。


 それを得るに見合うだけの対価を、彼らが支払っているのだとしたら。

 だとしたら。

 彼らは何故、こんなにも明るく、無邪気に笑うことが出来るのだろう。

 だとしたら。

 私は、何故……。


「うおぉぉい! レン太! ソノ子! 組体操やろうずぇ!」

「はあぁ!? なんで私がやんのよ!」

「いいじゃ~ん。ソノちゃん軽いから一番上やってくれればいいよ~」

「やだやだやだちょっと! ちょっと引っ張んないで、ホント無理! ホント無理!」

「いくぞー、オリジナル・『ピサの斜塔』!!」

「ぎゃあああ高い高い高い揺らさないで揺らさないで――」

「からの~、今考えた、『飛竜』!」

「やめろおお!!!!」


 宴のクライマックス。私の没したアンニュイを高々と笑い飛ばすように披露されたその大道芸は、大層好評であったという。



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