3-3

 フードで目元を隠した若い男は、下半分だけでも分かるほどに顔を紅潮させ、口角泡を飛ばして怒鳴り声を撒き散らした。


「動くんじゃねえぞ、このクソガキぶっ殺されたくなかったらなぁ!」

「キャシー!」

 捕らえられた砂色の髪の女児は、恐怖に顔を蒼褪めさせ、だらだらと涎を垂らしていた。

 それを見た荒くれものどもは、一瞬呆けたようにその光景を眺め、次の一瞬で口元を歪に吊り上げた。

「へ、へへ。おいおいおい。いいぞ、そのままこっちにそのガキ連れてこい。今日はその一匹で勘弁しといてやるよ。お前ら、後つけたりしたらどうなるか分かるだろうな?」


 卑しい笑みを浮かべた禿頭の男が立ち上がり、私たちをけん制する。

 しかし。


「ば、馬鹿言ってんじゃねえよ! こいつらこのまま生かしておけるわけねえだろうが!」

 キャシーを拘束する男が、引き攣った声で喚く。

「俺たちゃ後がねえんだぞ! 厄介なのはその大男だけじゃねえか。俺がこのガキ抑えてる間に囲んじまえ! おいてめえ! 抵抗したらこのガキだけじゃねえ。奥に引っ込んでる奴らも皆殺しにするぞ!」


 まずい。

 この位置関係では、子供たちの元まで、誰の助けも間に合わない。


 状況を理解した荒くれどもは、醜悪な忍び笑いと共に歩を進め、大男と少女の前に立ち塞がった。


「どうする、ソノ子?」

「そうね。私、今日はプロレスが見たい気分」

「あいよ」


 黒髪の少女と大男が、ぼそぼそと囁き合っている。

 ど、どうするつもりだ?

 まさか……。


「おいクソ野郎。てめえこないだはよくもヤってくれたな。今日は大人しくボコられてもら――「アックス! ボンバー!!」げふぅお!」


 大男の二の腕が、近づいたの男の首をカチ上げ、その体を宙に舞い上げた。


 ぐしゃ。

 そのまま半回転した体が正面から地面に叩きつけられ、びくびくと痙攣する。


 や、やりやがった……。


「て、てめえこのやろぎょふっ!!」

「ざっけんなばらっ」

「あひん」

「ひでぶっ」


「さあ始まりました世紀の一戦! 取り囲む十三人の男たちを迎え撃つのは、33戦33勝! 篠森潮だぁ! 胸骨を砕き割るは逆水平チョップ! 後ろから掴みかかった男を難なく背負い投げる! さあ男が一人捕まったぞ! そのまま背中に回って……これはコブラツイスト……いや違ああう! 後ろに転がり込んで、これは! ローリング・クレイドルだあああああ!!! さあ回っていく回っていく! 全自動人間洗濯機! その勢いに周りの男たちは手出しできなああい!! 6回! 7回! 8回! 9回だあああ! 9回回りました! 相手の股関節はもう役に立ちません!」

「ちょ、ちょっと!! 何をやってるんですか!」


 いつの間にか私の横に来て大興奮している少女の肩を掴む。

「止めて下さい! 何をやってるか分かってるんですか!?」

「うっっっさいわね今いいトコなのよ見て分かんない!?」

「人質がいるんですよ!?」

「何で私たちがクソガキ一人のために大人しくボコられなきゃなんないのよ」

「先ほど命の恩人と!」

「だから、一人命助けてあげたでしょ。二人目以降は知らないわ」


 このクズ……!


「ひ、たす、たすけ、たわばっ」

 そうこうしているうちに、男の一人が脳天から地面に墜落し、最後に残った一人――最初に先頭にいた禿頭の男――は、再び尻もちをついて倒れ込んでいた。よく見れば、膝から下が不自然にねじ曲がっている。

 黒髪の大男は息一つ乱さずに立ち上がり、埃を払った。

「フィニッシュは垂直落下式DDTか~。さすがシオ。ウィリアム・リーガルも真っ青ね」

「なあソノ子。なんでそんなにプロレス詳しいんだ?」


 相変わらず呑気な声で言葉を交わす二人に、眩暈を起こしそうになる。

 禿頭の男は股間に汚い染みを広げながら、震える声で叫んだ。

「ふ、ふざけんな。ふざけんなよオイ! おい! おい! お前! そのガキぶっ殺せ!」

 

 血走った目で叫んだ、その先で。


「え? イヤだけど?」


 先ほどまでキャシーを拘束していた男が、短剣を投げ捨てた。


「「は?」」


 奇しくも、私と禿頭の男の声が重なった。


「ごめんねぇ。怖かったよね。もう大丈夫だよ~」

 春の日差しのように穏やかな声で、フードを外した男が女児を優しく抱きしめる。

 それは、三悪党の最後の一人――。


「え? え? レンタロウ? なんで?」

 その変貌ぶりに、キャシーも困惑を隠せない様子である。

 当たり前だ。あの紅潮した顔、荒々しい声。とても先ほどまでと同一人物とは思えない。

 しかし、考えてみれば分かる。むしろ

 私たちは闖入した荒くれものたちから目を離したりしていない。それなのに、なぜか突然コミュニティの奥に現れたあの男を、誰もが、そうだ、当の荒くれものたちですらが彼らの仲間だと信じて疑わなかった。

 まるで魔術のよう。


「な、……なんれ?」

 最後の希望を踏み潰された禿頭の男の声は、もはや蚊の羽音のようであった。


 そこに歩み寄るは、この世の邪悪の顕現であるかのような顔をした少女。

「さあああて。お・じ・さ・ん。わたしぃ、色いろ教えてほしいことがあるんだけどぉ」

 そんな毒々しい猫撫で声があるか。

 男の顔がいよいよ土気色に染まる。

 しかし。


「その前にぃ。パンジー!」

「ふえ?」

 ちょいちょい、と手招きを一つ、私の腕に捕まっていた女児を呼び寄せた。

 彼女が恐る恐る近づいていく間に、禿頭の男は少女の足で蹴り転がされ、うつ伏せにされた。そのまま大男が腰のベルトを掴み上げ、尻を上げさせる。


「ねえパンジー。病気、辛かったわよね?」

「う、うん……」

「それって全部ね。このオッサンのせいなのよ」

「え?」

「このオッサンのせいで、あんたは黴だらけにされて五日間も苦しい思いをしたの。ねえ、それってどう思う?」

「こ、この人の、せい……?」

「そうよ。熱のせいで死にそうになったのも」

「ゴキブリの卵を食べさせられたのも?」

「そうよ。お尻に変なモノいれられたのも」

「この人の、せい……!」

 いや待て。後の二つは違うだろ。


「そして、ここにちょぉぉど良い具合の木の枝があるわねぇ」

 少女は、何処から拾って来たのか、指三本分はあろうかという太さの枝を、パンジーに握らせた。

 小さな手が、力強くそれを握り締めるのが見えた。

「や、やめろ、おい、よせ!」

「や、やめなさいパンジー!」

 私と男の声も空しく。


「ねえ、どうする?」


 その、悪魔の問いかけに。


「やられたら、やり返す……!」


 幼気な女児は、堕ちた。



「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!!」



 汚らわしい悲鳴が、夕闇の犯す帝都の空に、長く長く響き渡った。





 そして。

 魔道に堕ちたパンジーを皮切りに、それを見た子供たちが寄ってたかって襲撃者たちへ見るも無残な仕打ちを施すのを爆笑しながら眺めていた三人組へ、私は震える声で問いかけた。


「あなたたちは、一体何者ですか……?」


 背丈は私よりも頭一つ小さい黒髪の少女。

 もはや性格が悪いなどというほどでは済まされないほどの邪悪な性根を隠しもせずに嗤う、常識はずれの知性の持ち主。


「私は凍倉美園イテクラ・ミソノ。得意なことは、人を貶めること」



 全身に鋼のような筋肉を纏った、長身の男。

 十数人の荒くれものたちを、見たこともない技の数々を以て一瞬で薙ぎ払った、規格外の腕力。


「俺は篠森潮シノモリ・ウシオ。得意なことは、人を殴ること」



 飄々とした表情の、捉えどころのない男。

 顔つきも、身に纏う雰囲気も、声音までもを千変万化させる、異常な演技力を有する男。


「僕は楠蓮太郎クスノキ・レンタロウ。得意なことは、人を欺くこと」



 思えばこの時、私はすでに、悍しい汚泥の道へと足を踏み入れていたのだ。


「で、あんたは?」


 少女の問いかけに、私の喉が引き攣った。


『魔物に名前を問われても、決して答えてはいけない』

 そんな迷信が頭を過る。

 けれど。


「私は――」


 私はいつの間にか、自らその足を進めていたのだった。




第一部『メイドは三悪党と出会う』 了

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