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 よく考えてみれば、なかなかに絶妙なラインを突かれたものだった。


 私がボトル・ベビーであったことは、すでに子供たちから聞き及んでいるのだろう。

 当然、私の認識では、彼らは同胞だ。救えるものならば救いたい。だが、過去ボトル・ベビーが蒼疽症に罹患した例は何度かあるものの、治癒に成功した例はない。

 私はテントの中の痩せこけた少女の姿を一目見た時から、彼女の命を諦めていた。


 だから、例えばこれが、『エリクシルを盗み出したい』などという話であれば私は断固として反対したし、騎士団へ駆け込みホラスへことの次第を打ち明けることも辞さなかっただろう。

 エリクシルは素材の入手と精製に莫大な費用と労力を必要とされる秘薬だ。当然保管場所は厳重に警備されているし、万が一盗み出されるようなことがあればすぐにばれて追手がかかる。ましてやそれがボトル・ベビー一人を助けるために行われたなどということが知れれば、彼ら全員に一体どんな災禍が降り注ぐか、想像するまでもない。


 しかし、書庫に忍び込み本を閲覧するだけであるならば。

 私が沈黙を貫く限りことが露見する心配はないし、もしも、仮に、本当に蒼疽症を治す方法が見つかったとしても、それで死にかけたボトル・ベビーが助かったところで誰がなんの咎めを起こすはずもない。

 そして、この悪党たちが当該の知識を得ようとするふりをして禁忌の書籍に触れんとするならば、私がその場で警備を呼べばいい。

 成功する可能性は不明。だが成功しても失敗しても、こちらにリスクはない。

 そこまでのことを見越して、奴らは私を巻き込んだのだ。

 まさに、絶妙なラインだった。


 しかし、気になることがあるとするなら、あの三人組における、性格の悪い少女の立ち位置はなんなのかということだ。どうも実働の部分は男二人に丸投げして、自分は後ろから指図を与えているだけのようだが、何故二人はそれに諾々と従っているのだろう。

 何か弱みでも握られているのだろうか。

 それとも、彼女には直ぐには分からない隠された人望があるのだろうかそれはないな。

 句読点も挟まずに否決された可能性を頭から追いやると、不意に頭上から、かつん、と硬質な音が聞こえてきた。


 日も沈みきり、ランタンの炎がちらほらと闇を揺るがせる宮殿の中、周囲を覆う外壁の縁に、月光を鈍く跳ね返す金属の爪が引っかかっているのが見えた。

 私は素早く視線を四方に巡らせ、どこにも人の目がないことを確かめる。警備の薄い時間と場所を指定したのは私とはいえ、この瞬間は流石に背筋が冷えた。

 ぱん。

 合図の手拍子を一つ。

 この分厚い壁越しに音が伝わるか不安だったが、間もなく鉤爪にぎちりと力が加わったのが分かった。恐らく、裏側ではロープか何かを伝って壁をよじ登っているのだろう。

 やがて月光を負って黒い影が壁の上に姿を現わし。


 どう。


 風を巻いて、私の眼前に落下してきた。

「…………ぉ」

 まさか一息に飛び降りるとは思っていなかった私の口から妙な悲鳴が上がりそうになり、それを気力で噛み殺す。

 いや。外壁、結構高さ、あるのだけど……。


「ようメイド。出迎えごくろーさん」


 黒髪の大男がにかりと笑って言った。


「む~! ……ぐぐ。んん~!!」


 ……何故か両腕を縛られた上に猿轡を噛まされた少女を脇に抱えたまま。


「あ、あの。そちらは一体……」

「ん? ああ、腰に括り付けて壁登ろうとしたらジタバタ暴れてうるさかったから、縛っといた。静かなほうがいいだろ?」

「は、はあ」

 筋骨隆々の腕の中で私を見上げる少女の顔は涙目で、月光の下でも分かるほどに蒼褪めているのが分かった。ひょっとすると、彼もこの少女に対して、普段から思うところがないわけではないのかもしれない。

 少女の眼は何やら必死で私に訴えを起こしているようにも見えたが。

「……そうですね。参りましょう」

「んんんん!!!」

 私はその視線から逃れるように、踵を返した。


 もちろん、静かなほうがいいに決まっている。



 しずしずと、ランタンの照らす廊下を渡っていく。

 私の半歩後ろを歩く大男は当初の私の不安をよそに、本当にそこにいるのか時折不安になるほど足音を殺すのが上手く、暴れ疲れたのか大人しくなった腕の中の少女とも相まって、見事な隠密行動となっていた。

 むしろ、私のメイド服の衣擦れが一番音が大きいという……。


 まあしかし、この時間であるならば多少の物音を気にするようなものはいない。

「あの」

「ん?」

 ほとんど息だけで発した私の問いかけに、大男もまた小声で応じた。

「一つだけ、聞いておきたいことがあるのですが」

「難しいことはソノ子に聞けよ」

「あなたたちが初日に子供たちに分け与えたという食糧、どうやって手に入れたものですか?」

「ああ、それなら簡単だ」


 大男は、こともなく答えた。

「強盗だよ」

「…………」


 この連中は、やはり今ここで捕らえておくべきではないだろうか。

 私はひょっとして、とんでもない過ちを起こしてしまったのかもしれない。

 あるかないかも知れない希望を探すふりをして、この連中が一体どんな恐ろしい企てを抱いているのか、分かったものではない。


 いや。

 人を呼ぶには、この場所はまずい。呼ぶのならば、先ほど外壁に鉤爪がかかったタイミングでなくてはならなかったのだ。王宮のこんな奥深くまで潜り込ませておいて、それに同行している私にどんな言い訳が用意できるというのか。

 今日のところは、動向を見守ろう。

 そして、ことが上手く運ぼうが運ぶまいが、この連中は必ず捕縛させる。


 そう密かに心を決めた私の眼前に、清らかな聖職者のローブが翻った。


「も~。遅いよメイドちゃん」


 子供のような無邪気な顔を膨らませて、司祭の衣を纏った得体の知れない男が一人。

 その後ろには、帝国の歴史が詰まった大書庫の扉。

 男の手に、真鍮製の鍵。


「おう、レン太。待ったか?」

「待ちくたびれたよ~。……なんでソノちゃん縛られてるの?」

「んんんん!!!」


 そして、男の手から鍵を譲り受け、私は実際以上に重く感じる分厚い扉を開いたのだった。



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