2-5

「あんたたち、覚えときなさいよ。ふざけんじゃないわよ意味わかんないのよ。とくにメイド! あんたね、このか弱い私が縛り上げられて荷物みたいに運ばれてるの見て何とも思わなかったわけ?」


 分厚い扉を閉じて拘束を解いた瞬間全方位に噛みつき始めた少女に、「はあ。いい気味だと思いましたけど」などと本音を言うわけにもいかず、「申し訳ありません。隠密性を優先しました」と適当な言葉を返しておく。

 それにしても――。


「ね~。僕もう疲れちゃった。ちょっと寝てていい?」

「ソノ子。なんか手伝うことあるか?」

「あるわけないでしょ、あんたこっちの字読めないじゃない。空気椅子でもしてなさいよ。あとレン。終わったら蹴飛ばして起こすから適当に転がってなさい」

「おう」

「は~い」


 恐ろしいのは、呑気な顔で丸めたローブを枕代わりに寝転がる、正体不明の男だった。

 この男はあろうことか、夕方のうちに一体どこから調達したのか国教会の正式な法衣を纏って、堂々と正面から宮殿に乗り込んだのだ。

 念のために私が口を効こうかとの提案を固辞し(余計なことをされるとかえってボロが出るから、だとか)、自らの口八丁と出まかせで近衛兵に取り入り、内部へと潜り込んだ。

 その様子は、正体を知る私が見ても地方の教会から中央へ賄賂を差し出しに来た小物の司祭そのもので、まさかこっちが本当の正体なのではないかと錯覚しかけたほどだった。


「ね~シオ君。暇つぶしにしりとりやらない?」

「いいぞ」

「じゃあ『り』からね。リストカット」「飛びつき十字固め」「メタリカ」「かかと落とし」「シス……ターコンプレックス」「スープレックス」「隙間風」「正拳突き」「…………」「……」


 何故か中腰のままの姿勢をキープする大男と謎の言葉遊びを続ける今の姿を見ても、とてもそうとは思えないが。

「ちょっと。ぼうっとしてんじゃないわよ。あんたには働いてもらうからね」

 そんな私を、不機嫌そうな声で少女が呼ばう。

 帝国の歴史を収める大書庫は広大だ。初めて来た人間にとっては、まず目的の書物を探し出すことが最初の難関となる。問題は、少女がすでに卓上に陣取り、自らが本を探しに行く気配がないことだが……。


「とりあえず、その蒼疽症とやらの資料からあたるわよ。疫学についての最新の本と、ほどほどに古い本を探してきて」

「ほどほどに古い本、ですか?」

「この国の医学の水準がまず分かんないのよ。技術の推移を縦軸で追って現状の知識の精確性を測るわ」

「は、はあ」

「免疫反応が出てた以上、蒼疽症が何らかの感染症であることを疑う余地はない。そして全身に痣が出てたってことは病原が血管に乗って転移しているものとも推測される。他の症例と治療・快癒の前例を漁って、まずは病原と感染源を特定……ちょっと、何黙って聞いてんのよ。早く本探してきなさいよ」

「あの……医学の心得が?」

「はあ? そんなもんあってもなくても大して変わんないわよ。いいから早く探してきて。時間なくなるでしょうが」

「は、はい」


 そこからは、目の回るような忙しさだった。

「ねえ、この単語なんて意味?」

「ええっと……古語ですね。恐らく、『乾燥』、『湿潤』と、……『温暖』――」

「『寒冷』ね。なるほど四元質の概念があるのか。じゃあこれは『温』にして『湿』だから、対として『寒』にして『乾』……ってそれじゃ対症療法じゃない。役立たず……待てよ。それが有効だったってことは自分の免疫だけでも治せるのか。いや、あのガキじゃ無理ね。次」


「メイド! この本全部戻しといて。とんだ役立たずだったわ!」

「も、もう全部読んだのですか?」

「右に三回回して二分置いて左に五回とか意味わかんないのよ。作業工程とかどうでもいいの。こっちが知りたいのは何でその工程で薬効が得られるのかだけなんだっての!」

「あの、錬金術には少なからず魔術的な要素が含まれていますから――」

「魔術とかホント意味わかんない! ちゃんと理屈で説明して! もういいわ。さっきの生物学者の人の本もっかい持ってきて」

「はい? ですがあれは、学会から効果を認めずと突き返された――」

「こんなクソみたいな手順大事にしてる学会なんかあてになるわけないでしょ!」


「あの、言われた著者の本を片っ端から持ってきましたけど」

「OKそこ置いといて。じゃあこの辺全部戻していいわ。ああ、そうだ。この花って近場で手に入る?」

「いえ、どうでしょう。私は見たことがありませんが」

「じゃあこっちの花と合わせて生息場所調べといて。あと、この単語なに? なんか動物の名前っぽいんだけど……」

「それは……マンティコアと言いまして、人面獣身の――」

「OKもういいわ。念のため聞くけど、この辺にいる?」

「いたら都中の人間が逃げ出しています」


「あああ分かった分かった分かった。つまりあれね。エリクシルってのはホメオスタシスに強力に働きかける作用がある……それを病原とどう区別して……自己同一性? イデア? くそったれ。だから精製にあれが必要で……。うん。分かったもういいや。メイド、計算するからインクとなんか適当な紙持ってきて」

「かしこまりました」

「あとさ、なんか飲むものない? すごい喉乾いたんだけど」

「用意して参ります」

「あと疲れたからそのデカ乳揉ませて」

「かしこま……るわけないでしょう。自分ので我慢してください」

「イ ヤ ミ か 貴 様 ! ! !」

「今日一番の激昂……!」


 そして、数時間後。


「よし! ずらかるわよ!」


 散々に計算式を書きなぐった紙の束を撒き散らし、黒髪の少女は晴れやかな顔で言った。

 途中から戻す手も追いつかなくなっていた書籍の山に、インクの匂いも新しい紙吹雪が舞い散るのを全力でブロックした私は、それを手早く片付けながらも半信半疑に問いかけた。

「治療法、見つかったのですか?」

 正直、かなり早い段階でこの少女が何を調べて何を計算しているのかもよく分からなくなっていたので、一体何をもって彼女が『肯し』と断じたのかも判然としない。

「馬鹿にしてんの? 治療法なら一時間前に見つかってんのよ。後はそれを実行する方法を探してたんでしょうが」


 そ、そうだったのか。

 しかし、まさか本当に……。


「レン! シオ! 帰るわよ。支度して…………なにやってんのあんたら??」


 実のところ、先ほどから視界にちらちらと映りつつも、意識して見ないようにしていた、書庫の隅に陣取っていた男二人の様子を改めて見やる。


 ……なんと、表現すればいいのだろう。

 右足一本で立ちつつ、上体をほぼ垂直に倒し頭を脛につけている。左足は高く上げられ、右足から一つの直線を描いて天を突き、両手は右足の甲を握っている……。

 なんだその柔軟性は。


「あ、ソノちゃん。終わった? 暇だったからヨガやってたんだけど」

「女子かっ」

「ふん。甘いなソノ子。このポーズ、『天地開闢』っていうんだぜ。超男らしいだろ」

「足のむくみに効くんだって。ソノちゃんもやってみる?」

「やるわけないし出来るわけないでしょ。ていうかずらかるっつってんだろうが阿呆ども!!」


 そうして、悪党三人組は夜陰に紛れて王宮を去っていったのだった。



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