Maid Meets Three Outs

1.クレーマーと万引き

1-1

 私が彼らと出会った日のことは、今でもはっきりと覚えている。


 それは、二年と少し前の聖歴130年、波の月。

 季節は晩夏。

 私は帝都のはずれの路地裏で、一人の少女を羽交い絞めにしていた。


「は・な・せ! 放しなさいよ、この!」


 小柄な少女だ。

 背中まで伸びる黒髪は丁寧に櫛を入れられ、左右を壁に遮られた日の差さぬ小路の中でもなお艶を放っている。

 身なりは小ぎれいだが、手足はか細く、私の腕の中でじたばたと足掻く力も弱い。どこぞの裕福な商家の娘が、家の者の目を盗んで飛び出してきたものと思えば、そうとしか見えなかった。

 ただし――。


「放せっつってんだろこのデカ女! ぶっ〇すわよ、クソ×××! お前の△△に◇◇して▼▼□□するぞこら! 聞いてんのか!!」


 その小さな口から濁流の如く流れ出る、聞くに堪えないスラングに耳を塞げばの話だが。




 ことがここに至ったきっかけはと言えば、それは数分前のこと。

 場所は、帝都の目抜き通りに店を構える雑貨屋。

 そこは王家お抱えの騎士団や民間の傭兵団などによく利用されており、保存食や旅装品、医薬品などを手広く取り扱っている。王宮でメイドとして働く私が普段使いするような店ではなかったが、この日は知人の騎士からの頼みでいくつかの品を買い出しに来ていたのだった。

 そこで、白昼堂々店主に向かって言いがかりをつける少女に出会ったのが、全ての始まりだった。


「だーかーら。確かにここで買ったんだってば! ほら! これこの店の紙袋でしょ!」

「それは確かにそうですが……。しかしそれだけでは――」

「ええ!? じゃあなに、私がわざわざあんたの店の紙袋に腐ったレーション入れて持ってきてクレームつけてるって言いたいわけ!? あっきれた。こっちは危うくお腹壊すとこだったのよ!?」

「しかし、こちらには該当する取引の記録がないのです」

「そんなの知らないわよ! そっちが付け忘れただけじゃない。そっちのミスでしょ。そ・っ・ち・の!」

「で、では、明細書をお持ちください。取引の際には必ず発行しておりますので――」

「そんなもん貰ってないわよ!」

「いえ、ですから……」


 おやおや……。

 随分悪質なクレーマーがいたものだ。どうやらこの店で買った保存食レーションが傷んでいたので代わりの品に詫びの分色をつけて寄越せと迫っているようだが、流石にそんな稚拙な言い分では店主も折れないだろう。店内には私を含め数人の客と店員がいたが、みな白けた目で口角泡を飛ばす彼女と、それに対応する店主を見守っていた。

 いや。

 一人だけ、視線だけは騒ぎの渦中に注ぎながら、器用に棚から商品を漁っている客がいた。


 王宮で働いていると、手を動かしながら聞き耳を立てるというのはある種の必須スキルだ。私も同じように目当ての品を探しながら騒動の様子を耳で伺っていたので、その客の存在に気づくことができた。

 できたのだが、ではその客がどんな人物かと言われると、非常に答えづらい。

 中肉中背だが、ゆったりとしたローブを身に着けているせいで体のラインが分かりにくく、またその表情も漠然として顔色が読めない。まるで、意図的に己の存在感を希釈してでもいるかのようだった。


 彼はただ黙々と、保存食や医薬品の類を自身の買い物籠に放り込んでいた。

 まあ、こんな店に来るくらいだ。なにか特殊な職についている人なのかもしれない。

 私はそれきり、その人物から目を逸らし(というより、気づいたら視界から消えていた)、自身の買い物を続けた。

 そして、しばらくして――。


「分かったわよ、融通利かないわねぇ! 明細書見つかったら覚えときなさいよ!!」

 ついに根を上げたらしい件のクレーマー少女が、憤懣やるかたなしといった体で、鼻息も荒く店の暖簾を潜って出ていった。

 それを横目に見送りながら、私はがっくりと肩を落とした店主に近づき、苦労を労いつつ会計を頼んだ。


「全く、嫌な世の中だよ。あんな年端もいかない女の子が詐欺を始めるんだもの」

「そうですね」

「最近、この大通りでも万引きが増えてきたみたいでねぇ。店の子たちに目を光らせてもらってるんだけど。それにここのところ、街の人が失踪してるって噂も聞くじゃない。いやいや、物騒な世の中だよ」

「お察しします」


 その件は、私も聞き及んでいた。

 そもそも傭兵組合が本拠を構えるような都のこと、もとより荒くれものの多い街柄、事件やいざこざも日常茶飯事とまではいかなくとも、それなりになくはないのだが、ここ一か月というもの、軽微な窃盗の被害報告や、住人の失踪がやけに増えていると、騎士団でも問題になっているようなのだった。


「いやはや困ったもんだ。いつの間にかお客さんみんないなくなっちまって……」

「まあ、ほとぼりが冷めれば戻ってくるでしょう。ここは良いものが揃って、ます、から……」

「ん? どうしたメイドちゃん」


 客がいなくなった?

 確かに、振り向けば、店内には私と店員の姿しか残っていない。

 いつまでも店主とカウンターを占領して買い物の邪魔をするクレーマーに辟易としたのだろう。

 では、あの買い物籠に大量の商品を放り込んでいたは?


「店主。私の前に会計を済ませた人はいませんでしたか?」

「んん? いやぁ、あんたも見てたろ。とてもそれどころじゃ――」

「まずい!」


 私は呆気にとられる店主に、また後で来ますと商品を押し付け、店を飛び出した。

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