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 鈍く光る刃が私の眼前に迫る、その遥か前に。


「よっ、と」


 ぐしゃ、と。


 そんな気のない声と、人が馬車に撥ねられたかのような音と共に、私の視界から襲撃者の姿が消えた。


 腹部を殴り上げられて天井に激突した人間を、見たことがあるだろうか。

 残念ながら、私は何度かある。


 まず打撃の威力で内臓のいくつかが破裂する。

 次に天井に打ち付けられた衝撃でそれが吐血となって下に降り注ぐ。

 私が咄嗟に一歩後ずさった数瞬後、目の前に血反吐の滝が落ち、その上に男の体が落下してきた。

 生死の確認など、する意味もない。


 幾人かの男が、その場で尻餅をついた。

 淡く尿の匂いが室内に立ち込める。


 私にとっては見慣れた光景でも、彼らには刺激が強すぎたらしい。

 その目に、もはや反抗の意は見受けられなかった。

 拳の一振りで人間一人を撲殺した黒髪の大男は、なぜ彼が死ぬ羽目になったのかも分からず困惑する私に、目の前の惨劇からは想像も出来ぬほど呑気な声で、こう言った。


「あれ? サっ子。聞いてねえ? こいつら、御輿に罠仕掛けてたんだよ」

「…………はい??」

「何かよく分かんねえけど、遅効性の呪詛? つうの? 俺らの乗る場所を囲むみたいにしてぐるっとな。まともに発動してれば今頃三人とも死んでたらしいんだけど、まあ、ソノ子が秒で見破って何ともなかったからな。普通にパレードしてきたんだ」

「…………………そういうことは、はやくゆってください」


 怪しい呂律でかろうじてそれだけを言った私は、そういえば、凱旋を終えて帰ってきたミソノ様に『これ棄てといて』と紙ごみを渡されたのを思い出した。あれ、呪いの札だったのか……。

 そして、私の脳がようやく彼女の言葉の本当の意味を理解する。


『作り雑すぎ。舐めてんのかっての』


 成程、この連中は(本人からすれば)巧妙に細工した罠によって三英雄を纏めて暗殺しようと企んでいたわけだ。たとえ当の暗殺対象には「邪魔くさいから剥がして棄てた」みたいな対応をされていたとしても。

 遅効性ということは凱旋の最後かその後くらいに死ぬ予定だったのだろう。なのに三人は三人ともピンピンしているし、さらにはその中で武力を一手に引き受ける人間が自分たちの元を訪れた。確かに状況だけ見れば、この場で報復を受けてしかるべきところ。


 職人たちも最初はそう誤解したのだろうが、しかし、考えてみればすぐに分かる。

 彼らは釣り餌にされようとしているのだ。

 彼らの背後には、恐らく黒幕がいる。少なくともミソノ様はそう考えている。

 仕事に失敗されただけならまだしも、敵方に企みがばれ、その上で生かされた刺客など、雇い主からすれば脅威以外の何物でもない。それこそ今夜この後にだって彼らの口を封じるための新たな刺客が放たれてもおかしくない。

 ミソノ様はそこから敵勢の情報を得ようとしているのだろうし、そうであるならばどの道彼らにこの先の未来はない。


 私の脳裏には、邪悪そのものの顔で嘲笑するミソノ様の顔がありありと思い浮かんでいた。

 

 屈辱と憤怒にぶるぶると震える頭領の膝が、折れた。

 その額が床に打ち付けられる。

「頼む。知っていることは何でも話す。俺の首なら喜んで差し出す。だから、こいつらだけは生きて帰してやってくれ……!」

「残念ながら、私の一存では決めかねます」

「頼む! この場にいない若ぇの三人は何も知らねぇ。本当に関わっていねぇんだ。せめて、あいつらだけでも……!」


 その言葉で、彼は図らずも、自身らの命運がとうに尽きていることを証明してしまった。


 私の手元の資料には、『若ぇの』と呼ばれそうな人員はこの工房に二人しか存在していない。三人目の『若ぇの』とは、恐らく変装したレンタロウ様だ。

 あの詐欺師、ここの所政務をすっぽかして何処かに消えていると思っていたら、宮殿内で諜報活動をしていたらしい。


 彼の仕入れた情報によって、ミソノ様は自身らの暗殺計画を知った。

 そしてその上で、それを採点したのだ。

 もしも彼らが彼女の求める水準レベルの罠を仕掛けられていたなら、こちら側に取り込む計画を立てていたのだろう。

 ただ、その採点結果は、『雑』。

 この程度の刺客ならばこちらに取り込む価値もなしと判断したのだろう。ならば、私が彼らの助命を嘆願した所で聞き入れられるはずもないし、そもそもするつもりもない。


 そしてそれを、彼らに伝える必要もない。


「分かりました。少なくとも余計な真似をしなければウシオ様があなた方を誅することはありません。陛下には、私から上奏しておきましょう」

「あぁ。ありがてぇ……」

「それでは、あなた方の雇い主を教えて頂きましょうか」

「…………トラバーユ領主、ゴイル侯だ」

 滴り落ちる苦渋が見えるような悲痛な声によって語られた答えに、私は思わず瞠目した。


 ゴイル侯爵。

 まだ敵意を保っていられたのか。

 既に懐かしさすら感じるその名前に、私は、三人の悪党と出会うそもそものきっかけとなった、二年前の事件を思い出していた。

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