マトリョーシカ

なんぶ

マトリョーシカ

学校の帰りに交通事故に遭いかけた。

遭わなかったのは、咄嗟に自分を押し退けた人がいたからだ。

その人は見事に車に跳ね飛ばされて宙を舞った。スローモーションのように。

サイレンの音で我に返って駆け寄った。かろうじて息はあった。一緒に救急車に乗った。真っ白な制服を(他人の血で)真っ赤に染めた僕を見て母さんは泣いた。母さんが泣いたのを初めて見た。


それから1週間して、僕を助けてくれた命の恩人のお見舞いに行った。会うのを断られたらフルーツ盛り合わせだけでも渡してもらおう。

「先日退院されました」

どう見ても1ヶ月は入院しそうな怪我だったんだけど、意外と軽かったのか? いやまさか。モヤモヤしたままフルーツ盛り合わせを提げながら歩いてると、大急ぎの担架とすれ違った。

あの人だった。

「あの! 僕、あなたに、助けられて!」

必死に担架を追いかけた。

あの人の口元が微笑んだように見えた。


ぱきり、ぱき、めきり、めき。

カーテンの向こうで、軟骨を噛み砕くみたいな音がする。

「お待たせ」

開かれたカーテンの向こうには、血塗れで、どう見ても死にかけていたその人が、何事もなかったようにそこにいた。ベッドの上にもう1人いる。いや、血塗れでどう見ても死にかけている人が寝ている……のか? いやいや、お腹から下が切り離されてる。マネキンのパーツみたいに、あっけらかんと、当然の顔をして転がっている。

「マネキン?」

思わず口をついて出た。

「惜しい。マトリョーシカ」

その人は服をめくった。

お腹をぐるりと一周する線、否、割れ目がくっきりとあった。


「何年か前にそういう体質になってさ」

病院のベンチでアンバサを手渡された。炭酸は苦手だが、受け取らないわけにはいかない。

「怪我しても病気しても外の皮を脱いじゃえば新品なんだ。外の皮をもう一度着ることもできるよ。イェーイピースピース」

そんなテンションでそんな話をしないでほしい。

「僕を助けたのはどうして」

「そこにいたから」

「うわぁ……」

カッケェけどすっげぇけどシンプルだけどバカだこの人!

「今日はちなみに何で?」

「飛び出した狸助けた」

「狸って! ペットですらないじゃないですか! 死にたいんですか」

「お、フルーツ盛り合わせおいしそーう。1個もらっていい?」

「え、ちょ、は、はい。どうぞ。そもそもこれあなたのために買ったので」

「ほんとにー? うれしいな」

いやどうしてパイナップル(丸々1個)をチョイスする?

どうして食べようとする?

どうして歯で挑んだ?

イテテ……みたいな顔してる場合か?

葉っぱならいけるか……!? みたいな顔をするな?

「やっぱかってぇねパイナポーは」

今の一連の流れ、何?

「ものをマトリョーシカみたいにはしないんですか?」

「できるよ? 君も」

ポン、と肩を触られた。

微かにお腹のあたりに熱さが走った、気がした。慌ててシャツをめくったが何もない。

「いや冗談なんだけどさ。ウケる。君詐欺に気をつけなよ。詐欺は助けられないからね」

「〜〜〜〜〜!!!!」

何だこの人。



数週間後、僕の志望大学の先輩だと知る。

キャンパスセミナーの受験体験談コーナーでドリアンをかじっていた。もちろんひどい匂いで誰も寄り付かなかった。何が彼をそこまで焚きつけるんだろう。

「あ、この前のパイナポー!」

うわ最悪だ。周りから知り合い……? みたいな視線が集中砲撃だ。よりにもよってパイナポーとかいう最悪のあだ名さえ付けられた。ドリアンとパイナポー。誰がどう見たってマブのダチみたいじゃないか。最悪だ。

「過去問やれよ! あと制服の女子を目に焼き付けられるのは今だけだ! 見逃すな!」

「やめて、本当に、やめて。同じ学校の女子も来てるんです」

「アイアムヒズ命の恩人」

「やめて」

「アイドントライクドリアン」

「薄々気付いてたんですけどばかなんですか?」

立ち上がり肩を組まれる。それを嫌々ほどく。

初夏、同じぐらいだった身長が、ひと回り小さくなっていることに気付いた。


「え、言ったじゃん。マトリョーシカ」

大学近くのマックで、ナゲットの山を崩しながらあっさりと言う。

「どんどん小さくなるって、じゃあ、いつかは完全に……」

「いつかがいつかなんてわからないけどね。あと小さくなってるだけじゃないんだ。それじゃあいきますよ〜ベビタッピ」

ベビタッピ(重低音)だしフィルターは全くタピオカではない自撮りに参加させられる。

「うん、同級生みたい」

「……若返ってる?」

「多分ね。てかタメなら敬語やめん?笑」

「その話し方やめてください。生理的に無理」

「やば〜杉下右京ぢゃんワラ」

「なにが?」


「はい、俺の後輩になってよ。これ、お前に託せる日待ってるから」

夕陽に照らされたドリアン。

「いや、もう腐ってる」

ハエがすごい飛んできた。

「お前が大学生になったらうちのサークル入れてやるよ、特待生で」

「……入るつもりは全くないんですけど、一応何のサークルですか?」

「ココナッツ愛好会」

「皮が硬い縛りでもしてるんですか?」

そしてサークルですらない。



月日は流れ、大学の入学式。

「ココナッツ愛好会どうですかそこのお兄さん!」

ビラかと思って受け取ったら眼鏡屋のポケットティッシュだし何枚か使われている。

「……先輩、今何歳ですか?」

「12〜3歳!! ピースピース」

ニキビが増えて、シワが減ってた。


大学近くの公園のベンチにて。

「先輩就活は」

「あーーーーーーーー!!!!!!!!!」

「説明会」

「あああああーーーーー!!!!!!!」

「内定」

「ウグッウッウェッウッウッ……」

「すみません泣かせるつもりは」

「こんなだろ、俺? どこもかしこも全滅で4月迎えちゃった」

「見た目はともかく中身が問題ですからね……」

「うん……、うん? 逆じゃん?」

「あと4年生健康診断今日みたいなんですけど行かなくていいんですか? 体質のことは大丈夫なんですか? そもそも4年生ですか? 進級できてますか? 単位足りてますか?」

「履修登録で死にかけるはずの1年生が何でそんなに詳しいんだ! さては浪人だな!?」

「オープンキャンパスのことは忘れてませんからね」

「コッワ。してるわ。真面目だからオープンキャンパスのスタッフ選ばれたんだわ」

「そうなんですか」

「50%は本当ね。あっ」

駆け出しそうになった先輩の腕を掴んだ。ヨチヨチ歩きの小さな女の子は、母親に手を引っ張られて、車道に飛び出さずに済んだ。

「なんだよぅ」

「いつまで続けるつもりですか。内定どころか日常生活すら難しくなりますよ。助けてもらった身の僕が言うのもおこがましいですけど。親御さんは何も言わないんですか」

「一人暮らししてるからなあ」

「そもそも親御さん知ってるんですか?」

「……君がマトリョーシカになったら親に言える?」

「……言ってないんですか!?」

「質問を質問で返すなあーっ!! 裁くのはおれの『スタンド』だッー!!」

「部を混ぜるのが一番嫌われますよ」

そういうことではない。

もう全然そういうことではない。

ふざけてる場合じゃないはずなんだ、先輩。

全然本当にマジで先輩そういう場合じゃないと思うんです、僕。

そう言ってしまえたら。


よかったのかなあ。



フルーツの盛り合わせを提げて歩く。慌ただしい担架とすれ違っても、そこにある顔はあの人ではない。

「失礼します」

カーテンの向こうにある影は、小さい。

格子付きの小さなベットに寝かされて、点滴を繋がれて、すやすや眠る先輩。

今は2、3歳ぐらいかな。

マトリョーシカは多分2年か3年刻みだったんだろう。大人にとっての2、3年は大差なくても、子供にとってのそれはとてつもなく大きい。今朝まで5歳だったのに。

「ココナッツ愛好会らしく、買ってきてやりましたよ、ココナッツ」

フルーツの盛り合わせから取り出して、テーブルの上に置く。でけえ。重い。

「食べたことないんでしょ、先輩」

まさか、すっかり幼児になって、大学生だったことだってすっかり忘れてしまっていると思ってたのに、それでもまだ助けようと道路に飛び出すなんて。

「先輩はばかですね。大馬鹿クソファッキン寝しょんべんブロッコリー食えねえ雑魚野郎」

罵倒にもピクリとしない。

僕はそっと先輩の服をめくった。

腹には割れ目が走ってた。

肩と、足首を持って引っ張る。

ぱきっ。

ぱこっ。めき。

新生児がいた。

肩と、足首を持って引っ張る。

赤い魚みたいのがいた。

肩っぽいところと、足首っぽいところを持って引っ張る。

魚みが増した。

頭の方と、足の方を持って引っ張る。

1センチぐらいの、目玉ぎょろりの赤い生き物がいた。腹をぐるりと回る線はなかった。


僕は、それを飲み込んだ。





判定がCから上に上がらない。殺人的な暑さに頭をやられながら、必死に今週の模試に出そうなところ反芻しながら塾へ急ぐ。

点滅する横断歩道に一歩踏み出した。

咄嗟に誰かに押し退けられた。

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マトリョーシカ なんぶ @nanb_desu

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