4-5 crazy for you

 一七時五分──枝依中央ターミナル駅 南改札口前。



「今日はありがとう。日本に帰ってきて一番初めににキミに会えて、嬉しかった」

「わ、わたしこそ、です!」

 カフェを出て、のんびりと再び上階を廻り、突き当たったがために解散を選んだ善一と蜜葉。コインロッカーに預けた荷物を取りに行く道中の雑踏で、そんな風に言葉を交わしたところで。

「柳田さんにお付き合いいただけて、嬉しかったです」

「……うんっ」

 間を空けてしまってからの首肯は、YOSSY the CLOWNのものに、ひとまずはなった。

 「柳田さん」と呼ばれることを、途中から訂正しなくなった善一。公的オフィシャルな態度と仮面を着けられず、ゆえに訂正が出来ないでいる。

「あの」

「ん?」

 耳までをカアッと赤く染めて、立ち止まり俯く蜜葉。

「また、その、今までのように、ご連絡、するのは……えっと」

 つられて足が止まる善一。努めて上げていた口角から力が抜ける。

「あ、あのほら。サムくんエニちゃんにも、お話しなくちゃ、ですが。やな、柳田さんがご迷惑でなければ、あの、たまにこうやってその、会う、とか」

 細く途切れていた言葉は、繋げずとも意図が理解できる。


 公的な繋がりは一旦切れるも、私的な連絡は取ってもいいか──。


 俯き赤くなっていく蜜葉の様子から、『欲』を発して照れ恥じらっていることは明白で。

「あー……」

 プツン、と切れる、善一の中の『なにか』。

「はぁー」

 ガクンと天を仰いで、両掌で顔面を覆う。

「もう無理、限界」

 普段の声量でそう発した善一。サングラスの向こうの両目を閉じているがために、「え?」と蜜葉が顔を上げたことには気が付けない。

「ちょ、こっち来て」

「ふぇ?」

 左掌で鼻から下を覆い隠し、右手の細長い五指で蜜葉の左腕を強引に引きさらう。今だけは、雑踏など無いようなもの。蜜葉の戸惑いまでも、そこに消える。

 一本の支柱の影になるように、ハテナだらけの蜜葉の背を壁にそっと押し当て、掴まえていた彼女の左腕を解放。しかし、空いた善一の右腕は、蜜葉の左側を塞いだ。

 それはいわゆる、『壁ドン』に近しい体勢。目を真ん丸に見開き、蜜葉は彼の距離の近さに心臓を跳ね上げる。

「あっ、の、やな」

「悪いけど、今この瞬間から完全に『私的な話』するからね」

 ドキリとし、反射的に口を引き結ぶ。

 彼の声色が、わずかに低い。そこで初めて、良二と似ている声であると気が付いて、緊張がはしる。

「俺、本名は善一。柳田善一。だから『ヨッシー』」

 蜜葉が永く知りたかった、『俺』のときの本名フルネーム。喜びでふるりと背筋が震える。

「善、よ」

「ねぇ蜜葉ちゃん」

 囁きに似た声で呼ばれると、腹の底がきゅんと縮み上がったように疼いた。

「キミは俺のこと、結構な頻度で掻き乱してるんだけど、自覚ある?」

「かっ、掻き、みだ?!」

 見つめられている薄い灰青ウェッジウッドブルー色レンズの奥のまなざしが、まっすぐに突き刺さる。照れてしまうほどに整った真顔がちの彼からは、しかし全く視線が逸らせない。

「キミくらいだよ。こんなナチュラルに、俺を翻弄してくるの」

「そ、そっそんなっこ」

「最初、ノートに向かうキミの姿に惹かれたんだ。楽しそうに自分の世界をノートに閉じ込める姿から、目が離せなくなって」

 初めて声をかけられたときの話であると、浅い呼吸の合間に気が付く蜜葉。

「でも正直、いつものことかもって思ってたから、ビジネスのままを徹そうとして、ずっと何度も『YOSSYだ』って必死に直してたんだよ。なのにキミは無視して『柳田さん』て呼んでくるしさ」

「あっ、その」

「その度に俺、YOSSYの顔で居られなくなっていくんだよ。蜜葉ちゃんと居るときは、素の自分じゃないと逆に不自然、みたいに感じることのが多くなって」

 明かされる、善一の素の本心。霧が晴れていくような、目の前が明るくなるような。

 カチャリ、小さく音が鳴る。それは、愛用の薄い灰青ウェッジウッドブルー色レンズのサングラスが外された音。左手で丁寧に外し、『OliccoDEoliccO®️』のジャケットの胸ポケットにスルリと差し込んで、あらわになった裸眼が初めて蜜葉を向いて。

「今、怖がらせてたらごめん。いろいろダメだってわかってるんだけど、もう、どうにもなんなくて」

 揺らめきが見える、善一の白銀の双眸そうぼう。その美しさに吸い込まれそうだと思った蜜葉は、言葉を失ったまま弱く首を振る。

「キミは自分に自信がなくて、自分のこと全然信じてなくて。なのにいつだって、真面目に突き進もうとする。誰に何を言われても自力で起き上がって、あまつさえ周りを引っ張る力すらも見せてくる」

「いや、そんな」

「いつもそうやって蜜葉ちゃんは、俺の予想の遥か上を行くから、見失わないようにどうにか繋ぎ留めたくて、必死になるんだよ。気が付いたらビジネスでだとか、どうでもよくなってしまうほどに」

 ひやりと触れたのは、細長い指先。蜜葉の胸の前にあった右手が、善一の左指先と絡んだ温度。

「好きだよ、蜜葉ちゃん」

「んっ?」

「会えなくなんのがキツいのは、俺の方。夢を応援するのはマジだけど、キミとずっと接点がないまま何年も待つなんて、正直無理。耐えられない」

 ぱたりとひとつまばたきをした蜜葉は、そこまで耳に入れて、ようやく「告白されているのでは?」と考え至る。

「と、えっ」

「こんな風に言うなんてかなり格好ワリーのはわかってるし、すんげぇ柄じゃない。でもそんなの気にしてらんないほどキミが好きで、離したくないんだ」

 かけられた言葉の意味がずんずんと体に頭にのし掛かり、キューッと頭の先から順に赤くなっていく蜜葉。

「蜜葉ちゃんに何とも想われてないんじゃないかって考えただけで、怖い。ていうかそんなの、今まで女の子に対して考えたこともなかった。でもキミは『違う』から、全然」

 蜜葉の赤が移ったように、善一の頬も耳も染まる。

「蜜葉ちゃんの気持ちが読めなくて、俺ずっと、こう、モヤモヤすんの」

 壁に寄りかけた右腕が、ググと力む。

 猫のような目尻も、丸く澄んだ瞳も、その清純さを壊したくなる衝動も、歯を食い縛り腕を壁に押し付けることで、善一は懸命に堪え続ける。

「蜜葉ちゃんの正直な気持ち教えて」

「えっ」

「俺がこう想うの迷惑? 怖い?」

 そうして、くしゃと真顔が崩れた善一を見て、震える唇で言葉を絞り出した。

「そんなこと、思わないですっ」

 息を呑んだがために上下した善一の喉仏に、蜜葉は釘付けになる。

「柳田さんを、そういう目で見てはいけないと、いつも思ってました。えと、色恋の目、という」

「うん」

「でも、だんだんそういう目で、見てしまってて。その度に、ダメだダメだと、その、たくさん我慢したり、して。わたし『も』」

 繋ぎ方をぎこちなく変える。善一の指先を、やっとの気力で、両手で包むに至る。

「わたしだって、会えなくなるの、嫌だから。離れてしまうなんて、ホントは嫌です」

 声が細く揺れる。俯いていってしまう蜜葉の頭部。

「いつも何考えてるのかな、とか、どうしてわたしに優しくしてくれるのかな、とか。ずっと、ずっとずっと、知りたかったんですからっ」

「……うん」

「今日お帰りになるまで、何度も何度も、なんて理由つけて、電話しようかなとか、メッセージ送ろうかなとかっ。悩んだり、して」

 涙の気配と共に、全身が震えだす。たまに裏返る、蜜葉の声。

「わ、わたしの方がっ、きっと……いや絶対、すす、すっ、好き、です」

「本当に意味合ってる? 俺の好きは、恋愛の方だよ」

「あ、合ってますっ」

「強引な俺に流されてるわけでもない?」

「もうっ!」

 眉を寄せて、顎を上げて、揺らめく白銀の瞳を蜜葉は見つめ返す。

「柳田さんだって、全然ご自身のこと信じてないっ」

 流れ出た蜜葉の言葉に、ぎくりと背筋を凍らせる善一。

「釣り合う人になりたいと焦がれたり、堂々とずっと傍に居る理由を進路にしてしまうくらい、大好きなんですよ。『善一』さんのことがっ」

 蜜葉の目に、いっぱいに溜まっていた涙粒。そこに鏡写しに、情けない表情をした自分自身が映っていた。

「夢を頑張り続けるために、善一さんに傍に居てもらえたらいいのにって、欲張りなこと、思ってるんですからっ」

 ガクンとブルーアッシュのベリーショートのストレートヘアが地を向いて、彼女の涙を胸に抱き、自慢のスーツへと吸わせる。

「ひゃっ」

「だから、ヤバいって。そういうの」

 力を込めていたはずの左腕は、ズリズリズリ、と垂れ下がった。それはそのまま彼女の背中へ回され、力任せに引き寄せて。


 思っていたよりも柔らかい、彼女の躯体。

 胸元の厚み、柔らかな頭髪。

 自らの体内へ取り込んでしまいそうなくらい、肩も腰も強く抱き締める。


 ようやく出来たひと呼吸目は、互いの匂い。善一はそっと目を閉じて、その白くか細い首筋に、鼻先と頬を押し当てる。

「あと三年くらい余裕で待てるとか思ってたんだけど、三秒だって無理だったなぁ」

「三年?」

「三年経ったら成人でしょ? そしたらいろいろ、気負わなくて済むようになるから」

 首筋にかかるその囁きに、くすぐったさと恥じらいをおぼえる。

「じゃ、じゃあ」

「ん?」

「三年未満で、今よりも離したくないと、思っていただけるデザイナーに、なりますね」

 そっと離れる、一五センチ。

「成人するより早く、一人前になればいい、ってことですよね?」

 その悪意のかけらもない無垢すぎる上目遣いは、善一を下心ごと滅するほどの破壊力を持っていて。

「はー、マジで無理。完敗」

 うっかり泣いてしまいそうになった善一は、「この娘はやっぱり俺の好みだ」と胸に抱いた。脱力したように、再び蜜葉の肩口に頭を埋めていく。

「あの、善一さん」

「ハイ」

「声に出てます……」

「あ」


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