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 蜜葉を解放した右手で、ジャケットの胸ポケットに刺した薄い灰青ウェッジウッドブルー色レンズサングラスを手にする善一。かけ直そうと開いたところで、蜜葉は「あの」と言葉を挟んだ。

「かけてしまうんですか? サングラス」

「え? うん。どうして?」

「だ、だって。とっても綺麗なのになと、思って」

「え、そう? 俺はあんまり気に入ってないんだけど」

「わたし、は、その、素顔の善一さんを、もっと見たいし、特別なその瞳も、好きになっちゃったから」

 顎を引き、悪意のない上目遣いが善一を向く。ズギュン、胸を一突きにされた心地に、うっかり一番のお気に入りのそれを落としてしまいそうになる。

「だっ、大丈夫ですかっ?!」

「だっ……う、うん、大丈夫」

 慌てた善一は、普段鼻筋にあるサングラスのブリッジ部分をクイ、と上げる。しかし当然空振り。サングラスは、左手中。

 ハッと気が付き、恥じらいから眉を寄せ、ボソボソと反撃。

「蜜葉ちゃんの一挙手一投足が俺の理性と倫理観を常日頃から無意識に抉ってくるってことだけ除けば、わりといつも全部大丈夫」

「ふぇっ」

 ぶわ、と赤くなり、言葉に詰まる蜜葉。反撃が物足りなかった耳の赤い善一は、続けてジト目を向ける。

「自覚してもらうために敢えて言うけどね。蜜葉ちゃんのそういうかわいいところはマジで大好きなんだけど、キミが未成年のうちは、俺、たくさん我慢しなきゃいけないことがあるから、ほどほどにしてね」

「たくさん、我慢ですか?」

「そう。まぁ、ご推察ください」

 ともかく、と強制的に区切り、左手中の薄い灰青ウェッジウッドブルー色レンズに視線を落とす。

「俺のこの目、生まれつきこの色なんだ。アルビノってやつ」

 声に乗せずにそれをなぞる蜜葉。

「こんな色してるけど視力的には問題はないし、光に弱いわけでも、病気とかでもなくってね。最初は黒みがかった灰色だったらしいんだけど、だんだん色が抜けてったんだって」

 慣れた手付きで、愛用サングラスをかけ直す善一。その手先、仕草のひとつひとつをまじまじと蜜葉は眺めていた。

「だからサングラスこれは、目の色を隠すためにかけてるだけなんだ」

「隠す、ですか」

「他にいないでしょ? 日本人的には亜種っていうか。そういうのを子どもの頃、よく鼻つまみにされてさァ」

 そうしていつもよりも弱く笑んだ善一に、蜜葉はチクリと胸を痛めた。

「コンプレックスなんだよ。だから気に入ってはいないし、サングラスこれで隠してるってワケ」

 かけ直った、いつもの薄い灰青ウェッジウッドブルー色レンズ越しの瞳を注視する蜜葉。

「ああ、そうすると、少し黒っぽく見える……というか、まさか白だとは思わない、というか」

「そうそう。で、俺、広報キャラクターだから格好をカラフルにするし、ますますサングラスこれしてたって、誰も目の色のことなんて気にしなくなってくれるわけ」

 なるほど、と納得の蜜葉。

「でも、いつだってどんな善一さんだって、素敵ですよ」

 柔らかく笑みが向くと、善一に我慢の二文字が蓄積されていく。ぐぬぬと欲を押し殺した果てに、右手で蜜葉の頭頂部をそっと撫で回し、留まった。

「弟さん、は、深い茶色ですよね?」

「良二? 良二も同じ色してるよ。カラコンで隠してるだけで」

「あぁ、カラコン」

 良二の細い目付きを思い出す蜜葉は、あんなに自然に馴染むものなのかと関心を寄せる。

「俺が最初にコンタクトにしようと思ったのに、良二に取られちゃったから、俺はサングラスなんだよ。お兄さんは、かわいい弟に譲ってあげたんです」

 おどけた善一は、蜜葉がくす、と笑んだことに充足感を得る。

「仲良くコンタクトでも、よろしかったんじゃないですか?」

「俺はそれでもいいんだけど、良二がさぁ、俺と同じなのは嫌がっちゃって。それに、あの怖い感じで暗い色のサングラスなんかしてたら、随分怪しくなっちゃうでしょ?」

「ふふふ」

 ほわりとまるくなる空気に、初めて白い瞳で良かったのかもしれないと思えた。ものはついでだと、もうひとつの種明かしを決め、蜜葉の右耳へ顔を寄せ行く。

「ホントは俺、眼球に触れるのが怖くて、着けるの無理だっただけなんだ」

 こそこそしたその囁きに、肩を縮めた蜜葉。そっと離れた善一は、薄い唇に細長い右人指し指を当てて、「内緒」とウィンクを飛ばす。

 右耳を押さえた蜜葉が真っ赤になったので、これは大成功。


 左手で、蜜葉の右手をすくうように繋ぐ。歩み進む二人。目指すは、土産物でいっぱいの紙袋が詰まったコインロッカー。


「これからは、善一さんが怖いと思うことも、苦手なことも、かわいいとこも、ちゃんと知っていきたいです」

「『かわいいとこ』って……あのね」

「そういうところ!」

 光舞い散る公版笑顔オフィシャルスマイル以外の表情を見られた蜜葉は、驚愕と喜びで声がわずかに張った。

 その指摘された側面に、言葉を詰まらせる善一。向いた笑みが、どうしようもなく愛おしくて、空いている右掌で顔面を覆う。

「わたし、善一さんには笑顔だけじゃなくて、いろんな顔してほしいです」

「いろんな顔?」

「はい。それで、これからゆっくり、ちょっとずつでも、『善一さんと』お話がしたいです」

 見上げられる、黒々とした双眸そうぼう。彼女の穏やかな笑顔は、八年前に置いてきた拠り所を彷彿とさせた。

「俺も、いろんな話を蜜葉ちゃんとしていきたい」

「はい」

 繋いだ手の温度で気が付く、拠り所の安堵感。

「蜜葉ちゃんに隠して生きるのは、きっと想像しなくたってツラい。いろんなこと、くまなく聞いていていてほしいと思ってる」

 サムとエニーと同じ、もしくはそれ以上に、蜜葉へは隠し事などしたくない──コインロッカーの鍵を取り出した善一は、カチャとそれを解錠した。



        ♧



 一八時一〇分、枝依西区──柳田探偵事務所。



「お迎えでーす」

 事務所の扉を開けた善一は、目を丸くした。事務所内奥半分──つまり窓側半分だけ明かりが消えている事務所の雰囲気が、いやに寂し気で寒々しい印象だったためだ。

「遅ぇよ」

 事務机に頬杖をつき、いつもの缶コーヒーをチビチビと啜っている良二は、極力音をたてないように缶コーヒーを卓上に置く。

「今何時だと思ってる」

「良二、ただいま」

「聞いてんのか」

「六時過ぎ」

「晩飯前に迎えに来るっつー話じゃなかったのか」

「だから、夕飯には間に合ってるよ」

「ん」

 への字に曲がる良二の口元が、応接ソファを指す。いぶかしんでそちらへ六歩歩み寄れば、一人がけソファにそれぞれサムとエニーがいた。

「ありゃ」

 二人はそれぞれ、胎児のように背を曲げ、腕を胸の前で縮め、膝を抱えるように身体を丸めていた。手にはいくつも花を握り締め、静かに寝息をたてている。まるで天使、と錯覚する善一。

「飛行機で移動しただけでも疲れンのに、そのまま事務所ここでぎゃーぎゃー騒いでりゃ、そーもなるわな」

「え、騒いでたの? 二人が?」

 まさかと含ませて、事務所の良二を向く善一。

「土産話だのなんだのベラベラ喋り倒した挙げ句、マジックやれだの煙芸スモーク見せろだので、散々だ」

「なんだ、全然騒いでないじゃん。いつもの二人だよ」

 どか、と事務所にうつぶせる良二。慣れない『子どもの相手』をした心労がきたのだろうと、善一は秘かにクスと笑んだ。

「ごめんね、二人とも。眠気がくる前に迎えに来られなくて」

 そっと二人のブロンドを撫でる善一。報告があるんだ、と口にしたくて堪らなくなる。

「マジック、いくつか盗まれた」

「え」

 驚きで、良二に再び視線が戻る。うつぶせたまま『田』の窓を向いている良二の頭頂部が、ふやふやと泳ぐ。

「そしたらなんか、ちょっと、その。祖父じいさんの気持ち、わかったっつーか」

 ゴニョゴニョと紡いだそれは、耳を赤くして発した想い。善一は弱く笑んで、瞼を伏せた。

「そっか。スゴいな、二人とも」

「なあ」

 うつぶせていた頭を、そっと持ち上げる良二。細い双眸が善一に刺さる。

「どっかの夜、時間空けろ」

「え、夜? なんで?」

「話がある」

「…………」

「…………」

 三秒間の沈黙。

「別にいいけど、何時?」

「そっちの都合に合わすが、遅い方がいい。悪いが、コイツらにゃ聞かせたくねんだよ」

「なァに、そんなにヤバい内容なの?」

「茶化してんじゃねーよ」

「うーん。二二時なら、二人も寝てるかな」

「出られんのか」

「出てもいいの?」

「ダメだ」

 食い気味に否定する良二。子どもだけを家に残し外出することを、良二は嫌っている。

 うんうんと悩んだ末に、ボソボソと下を向いて良二は告げる。

「俺様が、い、そっちに、行ってやる」

 ふうん? と細められる善一のまなざし。鋭利具合は良二よりも上で。

「だ、だァら。チッ。いいい『家に、行ってもいいか』」

「いいよ。それならいい」

 にんまり、な善一。赤茶けた柔らかい頭髪を掻きむしる良二。

「良二、タクシー呼んでくれる?」

「あ? あぁ」

 卓上の白い固定電話で、記憶している番号を押す良二。それを横目に、善一は双子を一人ずつその腕に抱き上げた。


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