3-2 convey the feelings

「柳田さんっ」

 バン、と開けたアルミ扉。事務所の電気は点いていない。

 くるりと一秒足らずで柳田さんを探せば、『所』の窓の近いところで書類棚を前にして立っていた。持って帰ってきた荷物の中から、資料ファイルをごっそり手にしている。

 片付けようとしてる……あの片付けをしなかった柳田さんが。

 こんな些細な変化にすら、今は動揺してしまう私──服部若菜。変な速さの心臓のせいで頭がよく回らないけど、柳田さんには勘違いしていて欲しくないから。

 後ろ手にアルミ扉を閉めて、そっともう一度だけ。

「お帰りなさい、です」

「…………」

 無視。緊張が無駄に終わる。

 くそう、そういう態度かい。

 でも残念でした。私はこんな程度じゃめげませんから。

「裏の掃除も、事務所周りの掃除も終わってます。昨日は蜜葉と少し喋ってから、一八時でここを閉めました」

「で?」

「『で?』って……」

 スタンスタン、としまわれていく資料ファイル。

「いつからあーいう話が出てた」

 ゆっくり、こっちを向く柳田さん。

「俺が何も聞いてねーのはどういうことだ、あ?」


 突き刺すような冷淡なまなざし。

 普段よりも寄っていないはずなのに、深く刻まれている眉間のシワ。

 醸されている嫌悪感。


 慣れはしたけど、やっぱり怖じ気づきそうな、柳田さん独特のこの威圧感。奥歯をきつく噛んで、負けじと立ち向かう。

「さっき、初めて聞いたんです。私も突然の話で、ビックリしてたところで」

「あー、わぁった。この話があんの知ってたから、この前のクソ兄貴の誘いに乗らなかったンだな」

「違いますって。私もさっき初めて聞いたんですって」

「ゴタクはいらねぇ」

 ふいっと顔を背けられる。半ば乱暴な手付きで収納されていくファイルたち。

「いーじゃねぇか。テメーの能力を、福利厚生のしっかりしてる株式企業サマのお役に立てろってこったろ? どーせ、ここに居るより手厚い待遇してもらえんだろーし? テメーはそーいう仕事のがいっつもいっつも集中してっしよ」

「た、確かにそうかもしんないんですけど」

「家政科ンときにかかんなかった声が、今よーやくかかってんだ。願ったり叶ったりだろ」

「あの、だから私っ」

「今日限りでマジシャンのことはキッパリ諦めて、とっととこっから出てけ」

 酷い音を立てて、しまい終えられたファイルたち。

「出て、って……は? なんですかそれ」

「そーゆーこったろーが、さっきの話は。引き抜きだろ? 要するによ」

「別に引き抜かれたわけじゃないです」

 こっちを向かない柳田さん。声が細かく震える私は、柳田さんに口を挟まれる前に弁明にはしる。

「基になるドレスを作ったのが私だったから、ちょっとだけ協力をお願いされただけなんです。作り方とか細かいとことか、そういうのを指示したりするだけです」

 多分、と思ったけど呑み込んで胃酸の海へ浸ける。

「俺の了承を得たらどーとか言ってただろーが」

「私一人で決めちゃいけない事だからですよ。私は柳田さんの秘書なんです。だから、柳田さんが定めた秘書業務しかホントはやるべきじゃない。だから『了承得ないと』って言ったんですっ」

「だァら了承してやってんだろーが。ゴタゴタ言ってねーで出てけって」

「ヤです! 出ていきませんっ」

「相変わらず強情な女だな。じゃーどーするっつんだよ」

「前みたいに、探偵事務所ここに来た依頼案件として受けたらいいと思うんです。だってそしたら、毎月定額が探偵事務所ここに入ることになるんですよ? そういうのは悪くはないでしょ?」

「んなこたテメーが心配する事じゃねーよ。どのみち俺は探偵業務コレだけじゃなくて、マンションとコンビニの賃料もあるしな」

「けど、せっかく私を頼ってくれたので、期待に応えたいんです」

 眉を寄せて、スーツスカートの膝上を強く握る私。

「また私が秘書業務の合間に……こ、今度は、マジックの練習おこたりませんから! だからっ」

「中途半端は最も要らねえ」

 低くて、強い言い切りの言葉。含まれた苛立ちが、単純に怖い。びくっと肩が縮み上がって、背筋が凍る。

「テメーよくあれもこれも抱えて、全部器用にこなせる自信出てくんな? やれたことあんのか、今までに。一回でも」

「…………」

「わかってねーみてーだから敢えて言うがな」

 胸元から取り出される、いつものよれよれのタバコ。

「俺は、同時進行っつーことは容認してねんだよ。依頼業務はひとつずつ片付けてかねーと、どっかしら絶対に疎かになる。これは一〇〇%の話だ」

 柳田さんは、やっぱりまだこっちを向かない。

「一〇〇%の結果を出して、それを積み上げていくのが俺様流だ。テメーが働く姿見てて、テメーもそーなんだと思って、二%くれぇは見直してたんだがな」

 擦られるマッチ。近付く火。

 嬉しいことを言われているのに、どんどん悲しくなってくる。

「どーやら、俺様の審美眼が狂ってたらしいな」

 いくつか吸われて、白煙が上る。

「バカでオヒトヨシで断りきれねぇテメーは、請け負いすぎて中途半端を重ねるうちに、全員からの信頼を失くす結末を迎えるだろーぜ。現に今、俺から失望されてるしな」

 泣くな私。絶対に泣くな。

「テメーは一番何がしてぇんだ。何やるためにここに居続ける?」

 ようやく半分だけこっちを向いた、柳田さん。ギンと鋭いナイフみたいなまなざしが、えぐるように痛い。

「だからどーしてもテメーで引き受けてぇっつーんなら、ここから出てけって言ってんだ。ここにゃ中途半端な秘書も、真面目にマジック学ぶ気がねぇ奴も要らねえ。邪魔だ」

 スタスタ、と『務』の窓を開けに向かう、柳田さん。背中を丸めて、窓辺に寄りかかって、白煙を外気へ混ぜ流す。

「つーことで、テメーは解雇だ。おら、自由の身だ。さっさと必要とされてるとこ行け」

「…………」

 足も動かない。声も言葉も行方不明。ぼんやりと柳田さんの丸めた背中を眺めながら、私は、平衡感覚がなくなっていく世界にぐるぐる漂う心地に酔う。

「な、ださ、は……」

 掠れる声は、ゆらゆらと揺れている。口を引き結べば、その中は鉄の味が滲んでいた。

「柳田さんはっ、私がここから居なくなっても、いいんですか?」

 こんなこと、本当なら訊くべきじゃない。

 だって、私から押しかけてきておいて、強引にマジックを何度もやらせて、楽しい感覚思い出させておいて、挙げ句にこんな風に怒らせておいて。

「いいとかワリーとかじゃねーだろ。テメーもどのみち、いつかここから居なくなんだろうが」

 携帯灰皿に落とされる、タバコの灰。

「そのためにここに来たし、そのためにマジックやってんじゃなかったンかよ」

「そうでしたけど、もう違いますよ」

「あ?」

 半身を捻った、柳田さん。私を向くその表情は険しい。高くてスッとした鼻筋にまでシワが寄っている。

「私もう、どこにも行く気は、ないですよ」

 言ってしまった私の左頬に、一筋生暖かい水分が転がり落ちていった。


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