1-2 coffee , flowers and you

 同じ頃──柳田探偵事務所隣、花屋・マドンナリリー 二号店。



 その日の掃除業務をひととおり済ませた私──服部若菜はっとりわかなは、事務所で大人しくマジックの練習をしていた。

 もうすぐ帰ってくるであろう柳田さんの缶コーヒーを買いに、下階のコンビニへ向かうため階段を降りたところで、事務所ビル隣の花屋の有村ありむらてんちょに呼び止められて。

「いいとこに、若菜ちゃん」

「あ、こんちゃーす、てんちょ」

「リョーちゃんに持って行ってほしいものと、ちょっと相談があるんだよ」

 相談、と首を捻るなり、花屋へ連行される私。事務所鍵かけてないけど、大丈夫かな。

春己はるみちゃんて、覚えてるかい?」

「え。ハル、ミ?」

「ベビードレス頼んできたあんチャンだよ。アンタがベールで作ってやった、あの」

「あぁ! もちろん覚えてますよ」

 目を丸くしたところで、春己さんの容姿をぼんやりと思い出す私。


 もうすぐ五〇才になるらしい春己さんは、一見三〇代そこそこのお兄さん。

 一八〇センチは越えている長身。

 総立ちにした短い黒髪。

 柳田さんよりも大きく見える、がっちりとした身幅タッパ

 そして、ニカッと少年みたいな笑い方が、なんだか母性をくすぐるような。


「彼がどうかしました?」

「いやね、またベビードレスの件で話がしたいんだと」

「もしかして、お直しですか?」

 産まれたばかりの孫が大きくなったから、それに合わせてサイズ大きくして、とかかなぁ。安直な私は、春己さん絡みの相談の内容についての予測がたたない。

 けど、有村てんちょは首を振る。

「わかんないねぇ。詳しく訊く前に電話切られちまって」

 せっかち? と思ったけど、ふぅん、と顎をしゃくるに留まる私。

「ともかく、今回もまた若菜ちゃんが動く話になるだろうからね。それでも話聞いてもいいってんなら、連絡くれって言われてんだよね」

「まぁ、内容聞いてみないと何もわかんないですもんね」

 顎に手をやる私。

 きっとそんなに手のかからない作業を頼まれるんだろうし、タカタカーと終らせて、マジックの練習を頑張んないと。

 でも……。


 頑張って、その暁に、どうなるんだろう。


 ぞく、と背中に伝う何か。氷を一粒、首筋から下へコロコロ転がされたみたいな、そんな唐突な寒気が走る。

「…………」

 ダメだって、私。そんなこと、考えたら。

 フッ、と短く吐き出して、『邪念』を飛ばす。

「じゃあ、ヤツに電話しとくから、細かいことわかったら事務所に電話入れるわ」

 てんちょの声で、唐突に現実に引き戻る。

 「は、はい」と曖昧に笑って、てんちょからビニル袋を受け取った。

「はいこれ、リョーちゃんに」

「ありがとござまーす」

「アンタも上手くなってきたんだから、これ、断り入れて使わせてもらいなさいな」

 ビニル袋の中身は、売り物には出来ない短すぎる花たち。柳田さんはこれをここから貰ってきて、それを自分がやるマジックに使う。

「あってんちょ、一個見てくれません? 練習してたやつ!」

 とか言いながら、もう準備は済んでいた私。フフーン、構えずに始めるってのがまたこれミソなわけですよ、わかる?

「新しいのかい?」

「うんうん、新しいの!」

「ほぉーん? どーれ、やって見せな」


 今からやろうとしてるのがなんのマジックかってぇと、月頭に柳田さんが、サムエニのために一度だけやって見せた、『簡単な』って言ってたあの一興。手の中に持ちながらにして「無い」と思わせられなくて、実は人に披露できるレベルになるまでに、結構苦労した。

 でも、柳田さんがサムエニに伝えたときの文言をギリギリなんとかきっちり覚えていたから、押さえなくちゃいけないポイントを押さえることが出来て、今までで一番早く上手くなれた気がしてる。


「えっ、全然わかんなかったよ! えらく自然に出来たんじゃないかい?」

「フッフゥーン。私もようやく、てんちょにそう言わすようになりましたなぁ」

「なぁにを、こンの調子ノリ。もっかいやってみな!」

 思わずヒッヒッヒ、と笑ってしまった。でもダメ。二回目をやったら、まだバレちゃう。

「フフ、それは嬉しい相談ですが、ごめんねてんちょ。事務所の鍵開けたままなんです。帰んないと」

「そっか。じゃあまた後でやって見せとくれい」

 にっこりとして、まあるく血色のいい頬をプリンと持ち上げるてんちょ。はぁいとヒラヒラ手を振って、花屋を出る私。ひとまずさっさとコンビニでコーヒー買っちゃわないとだな。

「わっ、若菜さん!」

「どわあっ!」

 振り返った矢先にかかった声に、つい古い漫画のような飛び退き方をしてしまった私。びっくりしたぁ、ちょっ──あれ?


 柔らかそうに緩く波うつ黒髪。

 色白の肌、施されていない化粧。

 引かれた顎と、猫っぽい形の目。

 垂れているのとは違うハの字眉。

 黒い太線が、服の縁に沿って一本引かれてある、真っ白のセーラー服。

 その胸元に下がる、アタッチメント式の真紅のリボンと、その左胸ポケットへ刺してあるクローバーのチャーム付きペン。

 左肩に黒革の鞄を持って、上品なたたずまい。


「みっ、蜜葉? え、現実の蜜葉?!」

「ふふっ、現実のって、何ですか?」

 ほわん、と笑んだ蜜葉は、こっちが叫びたくなるくらいかわいい笑顔をしてみせる。

「ハァよかった、お会いできて。わたし、嬉しいです」

「うっ」

 頭抱えちまうよ私は。この、こんなにかわいくてマジで彼氏がいないのか? 性別関係なしに惚れてしまいそうだよチクショウ! まあ百合そっちはありませんけど! あーあー顔の赤みが退きません。ヘルプミ!

「だ、大丈夫ですか?」

「ダイジョブダイジョブ、なんでもないから」

 くらりとして俯けた頭を元に戻す私。

「てゆか、よく私がここにいるってわかったな?」

「はい。上で、柳田さんに、お聞きしました」

「わちゃ、柳田さん帰ってきちゃったんだ?」


 昼前から、枝依中央警察署に呼ばれていた柳田さん。

 なんか「事件の報告がうんたら」とか言ってたけど、柳田さん自身が関わってるわけじゃないみたいで、そこはひとまずの安心材料。


「柳田さんも、ご存じなかったんですが、窓をお開けになって、若菜さんの声が聞こえるから、って。それで、こちらを教えていただきました」

「えっ、そんなにここから声響くの?」

 ぎょっと顔を歪めて、反射的に声を小さくすると、蜜葉はくすくす肩を小さく揺らした。

「柳田さん、じーっと耳を澄まされてました。ここにいらっしゃる推測を、した上で、お確かめになってたんだと、思います」

 耳を澄まして、お確かめに?

 口腔内でなぞり呟くと、一気に恥ずかしくなってきちゃった。そうやって、なんか、柳田さんに意識されてると……うわ、もうムリ。なんでだよ!

 うう、と唸って顔を覆う私。

「いろいろ訊かせてくださいね、若菜さん」

「えっ?! しゃっ、喋ることなんて私っ、別にっ」

 慌てて覆っていた手を退けて、蜜葉を向き直ると、蜜葉の方がびっくりしたみたいに目を丸くして、眉をハの字に下げた。

「えと、進路相談が、近々あって、ちょっとご相談、だったんですけど……」

「進、路相、談?」

「は、はい。被服のことは、若菜さんに、お訊ねしたくて」

 ご迷惑でしたか、なんて顎を引かれるもんだから、首をブンブンと振って全面否定! 

「いい、いい、ダイジョブ! 乗る乗る、進路相談! 私でよければっ、うん!」

「わあ、よかったです! ありがとうございますっ」

 ぐぬっ、この華やかな笑顔。マジでかわいいなぁ。『THE・女の子』って感じがして、ほわほわして、いい匂いしそうだし、なんかもう『かわいい』しか出てこないくらいかわいい。

「でも、なんか……若菜さんのお顔を見たら、もうそれだけで、充分いいって思えちゃいます」

「ん?」

「えと、いろいろ悩んだりしてたんです。お話ししたいこと、あれも、これもって。今の今まで、頭に用意してたのに」

 困ったみたいに視線を俯ける蜜葉。頬が紅潮こうちょうして、ハァ、なんだよ、かわいいなぁ。

「若菜さんと、こうやってられただけで、気持ちが、軽くなります」

「私、蜜葉のこと、笑かそうとかしてないのに?」

 照れるから、敢えて訊ねてみる私。口元を覆い隠すように、右手の甲を添える。

「笑わせようと、してでも、そうでなくても、若菜さんの傍に居られるだけで、わたし、なんだか楽しくなってくるんです」

「傍に、居られるだけで?」

「ただ傍に居たい。そういうの、たまに、ありません?」

「…………」

 たまにもなにも。

 私、とんでもない答えを見つけてしまったよ、蜜葉さん。

「あー、ある、な。あるある、うん。サンキュー蜜葉」

 顔の赤みが全然退かない。どうしよう、ドキドキするじゃんこんなの。

 意識しちゃうじゃん、私。

 事務所にどんな顔して帰ればいいの、私?


 なに乙女になってんの、私っ?!


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