6-4 CLOWN's worries

 続きを待っている視線にそっと笑んで、半分だけ横の距離を詰める善一。

「こう言われたいんだろうな、とか、こうして欲しいんだろうな、とか。よっぽどじゃない限りわかっちゃうから、読心術だって揶揄やゆされたこともある。気味悪がられたりもしたねぇ」

「ごめんなさい。わたし、そういうつもりじゃ」

「フフ、わかってる。キミにそういうつもりがないことは、ずっとわかってる」

「でも、あの」

「安心して、誤解してないから」

 本当に、と念を押す善一の柔い笑み。儚く脆そうなそれへ蜜葉は顎を引き、つられるようにして口角をわざと上げた。


 どちらからともなく、ふらりと駅方面へ足を向ける。


「たとえば顔色、声色、態度に視線。挙げていけばキリがないけど、そういうのを総合して、子どもの頃から瞬間的に気が付いちゃうんだよね、多分。何がどう関係してわかるかなんて、深く気にしたことはないんだけど」

 離れがたい気持ちがあらわになっている、二人の歩行速度。駅へと向かう、止まりそうで止まらないような遅い歩みは、善一の優しい語り口調にとてもよく馴染んでいる。

「そういうのもあって、僕はパフォーマンスをするなら、観客ギャラリーが心から喜んでるのがちゃんと見える、舞台やストリートが好きなんだ。ネットやテレビじゃ、生のリアクションがわからないだろ?」

 なるほどと、小刻みに首を縦に振る蜜葉。

「サムとエニーも、俺と似たようなことが出来る。特にエニーは、ご存じのとおりだね」

「はい」


        ♧


 それ、悲しいとか、諦めてるgive upの気持ち、伝わる。

 エニー、そういうの、わかっちゃうの。気持ち悪い?


        ♧


 初めてデザインを見せた折にエニーが告げた、自嘲じちょうに似た事情説明。あんな悲しい言葉を、あんな幼子が自ら発するなんてと、蜜葉は今思い出しても胸が軋む。

「自分と似たようなことが出来る二人だから、俺は彼らが欲しいと思ったんだ」

「…………」

「あの二人は逸材で、夢の塊で、初めて自分と一番近い存在だと思った。だから、似たような境遇のあの二人をどうしても救いたかった」

「そうだったんですか」

 心配そうな蜜葉のまなざし。耐えかねたように、善一は目を伏せ、サングラスの位置を直す。

「あの、その。探偵の方の、柳田さんは?」

「え?」

「似てると仰るなら、双子の弟さんの方が、というか」

 顎に手をやりながら、そっと訊ねる蜜葉。

 ポカンとしていた善一は、五秒の後で、回路が繋がったようにポツポツと話を再開する。

「良二は、そうだなぁ。鏡みたいな存在かな」

 鏡、と口腔内でなぞる。

「俺が右を出すと、良二は左を出す。いつも絶対に『同じ』じゃないんだ。他人まわりには同じに見えるかもしれないけど、少なくとも俺は同じだとは思えたことがない。だから──」

 ふー、と吐き出す呼吸で、抜ける秋空を見上げた。

「──だから俺は、ずっと良二を理解してやれない。良二の芯の部分が、いくら年月が経っても読み取れなくて、わからないんだ」


 その、苦い横顔。言い知れぬ寂寞せきばく感に、蜜葉の胸の奥が渦を巻いて苦しくなる。


「良二は俺と逆で、他人ひとの気持ちが全然読めないんだって。だからいつだって、ああいう悪態で俺をかわす。機嫌が悪いヤツに関わりたいと思う人間はいないと思い込んでるんだ」

 通りへ戻る、善一の視線。

「俺は、良二のことをちゃんとわかってやれてない。昔から良二のことだけは、上辺ウワベだけしかわからなくて、ホントはそんな自分が歯痒い」

「…………」

「良二、ホントはよく笑うし、優しくて面白いヤツなんだよ。才能だってあるし、面倒見がいい。他人のことが読めなくてわからないから、手を掛けて面倒をみることをきちんと出来るヤツなんだ」

「だから、探偵さんを、上手くなさってるんですね」

「ふふ、そうだね」

 笑みに力や気迫がない。蜜葉は眉を垂れ下げる。

「俺の夢はね、俺のやることで、いつか良二に本気で笑ってもらうこと」

 強いビル風が二人の間を抜ける。散る髪を押さえ整える蜜葉。

「俺の言葉で、俺のパフォーマンスで、いつか良二を笑わすことが、九才の頃からの目標。それは、今もまだずっとここに持ったまま、叶ってない」

 ここ、とネクタイの上からわし掴む胸元。シワの寄り方を見て、蜜葉は立ち止まった。

「良二を心から喜ばせようって必死なのに、良二は絶対に笑ってはくれない。どんなに小さなことでも、良二は俺に笑顔だけはくれないんだ」

 吐露する真顔が、まるでエニーの泣き出しそうな脆い表情と重なって見えた。

 不意に見えてしまった兄弟の溝に、蜜葉はかける言葉を見失う。


 言葉を見失って、しかしどうしてもその胸元を握る拳に寄り添いたくて、蜜葉は小刻みに震える両手を、上から包むように添えた。

「え」

 目を見開き、そして我に返る善一。


 今、このの前で、何を口走っていた?


 サァと血の気が退く心地に、柄にもなく慌てる。

「あ、ごめん。これじゃ、ただ駄々捏ねてる子どもだ……かなり格好つかない。忘れてくれる?」

「いいんです」

 ブンブンと首を振る蜜葉。善一の右手を上からくるみ握ったまま、そっと善一を見上げて。

「忘れたりなんてしませんっ。わたし、柳田さんと、こういうお話が、したかったんです」

「こういう……え?」

「格好とか、関係なしにした、柳田さんの、ホントの気持ち」

 跳ね上がったような、彼女の目尻。丸い瞳。

「いつも、どんなときも、柳田さんは、裏方に回るから。そうじゃない柳田さんを、わたし、ずっと知りたかったんです」

 ほわ、と浮かぶ、暖かな笑み。

「たまには、柳田さんが、ちゃんと主役になってください。わたしたちが今回、主役にしてもらいました。なので今度は、きっと柳田さんの番です」

 ほぐれる拳。胸元から下ろされる右腕。それは、蜜葉に包まれたまま。蜜葉の視線が、それへ刺さる。

「いつか、柳田さんのことを笑顔にするのは、わたしでありたいと、思います。いつかじゃなくても、きっと……きっと」

 小声の告白は、互いの鼓膜に色濃く貼り付いた。


 そっと外される、繋いでいた手。温もりだけが互いに残る。


「わたし、決めました。両親と話し合うの、諦めません。負けないように、ちゃんと、頑張ります。だから──」

 夕焼けのせいか、照れているのか。曖昧な赤を頬に浮かべて、蜜葉は顎を引いている。

「──だから柳田さんも、諦めちゃだめです。探偵の柳田さんは、話せばきちんとわかるお方です。ご自身が、一番よくおわかりじゃないですか」

 口角を上げる蜜葉が、神々しく眩しく映る。

 生唾を呑む善一。

「柳田さんに、出来ないことは無いです。だって、お若くして、単身、フランスへと飛べたのですから。わたしと同じ年の頃に、異国で名を馳せることが、出来たのですから」


 こんなに正面切って、堂々と手を引いてくれたのは、誰が最後だったろう。

 

 取り繕うことを忘れた善一は、呆然としたまま、照れ笑いの蜜葉を眺めている。

「あ、ここまでで、大丈夫です。本当に今日は、たくさん、ありがとうございました」

 へこり、と小さく一礼が向けられる。かと思いきや、タッと身をひるがえし、駅へとゆっくり駆けていく。

「サムくんエニちゃんのお写真、待ってますからね!」

 一度振り返り、声を張った蜜葉。双子の名前でようやく我に返ると、緩く笑んだ口角を作って、首肯代わりに手を振った。


 振り返される手。

 長くなってきた黒髪がパッと散り、肩周りで落ち着き、彼女のペースの駆け足と共にまた散って、また戻り。

「…………」

 角を曲がるまでをその場で見送り、完全に見えなくなると、振っていた右手で顔面の下半分を覆った。

「マジ?」

 ばくん、ばくん、血流の速度に目眩めまいがしそうだ。へなへなとその場にしゃがみこむ。

「あれ、ズルくねぇ?」

 耳が熱くて、喉の奥が疼いて、胸の回りが苦しくて。


 ハァーと漏れ出る、深い溜め息。

 この高鳴りに名前があることをずっと昔から知っているのに、そうと認めてはいけないというブレーキが、軋み鳴いている。


「俺、ヤバい。絶対。マジでヤバい」


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