6-3 crossing shoulders
「はい、どうぞ」
「あ、すみません。ありがとう、ございます」
「今日いっぱい泣いたでしょ。だからちゃんと水分摂ってね」
言いながら出されたのは、善一の最も気に入っているホットココア。水分、と言いながらも甘ったるいそれには、身体への保湿効果はあまり期待はできない。
しかし、今の蜜葉にとっては、保湿効果など三の次四の次の話。善一に出されたものだというだけで、特別なものになる。
「あの」
「んー?」
「どうして、その、こんなに近く……」
「ちょっと休憩しよっかなーって思ってさァ。飲み物飲みながらァ、ちょーっと人肌が恋しくなったっていうかァ」
にんまり、と楽しげな善一。寄れば寄るほどふわりと薫る、善一の衣服に染みたお香の薫りに、蜜葉の幼い貞操観念が揺らぐ。
「ほんの少しの、二人だけの時間だから。出来るだけ傍に居たくて」
身を任せてしまった方がいいのだろうか、いやいやそれははしたない、まして恋人でもないのだからと、脳内会議が熱を帯びる。
「だあっ、ダメですよっ! サササムくんエニちゃんにも、よろしくないですっ」
「でも今二人とも、眠ってるもん」
ぐぬ、と
「ちょっとも、だめ?」
甘い声。
爽やかな薫り。
暖かい体温。
長い指に
そんな、気になる人のふわふわとした誘惑。
「てってて手近なとととところでいっい一時の快感をすすす済ますのは、そそそそもそもよよよ良くないですっ」
一気に飲み下さんと、ぐびぐびと鳴らしあおるホットココア。喉から胃へ熱い温度が滑り落ち、すると案の定わずかにむせた。
「大丈夫? 慌てて飲まなくたって、逃げてかないよ」
「そういう、ケホ、ことではなくっ」
きゅん、と目を瞑る蜜葉。右腕のロックからはなかなか外れられない。
「だだっ大体っ、おっおおお、おっお」
笑い飛ばしたいのを必死に噛み殺す善一。
「おぐっおく、奥さま、だって、嫌だと思うんですっ」
「……ん?」
「ささサムくんとエニーちゃんの、おお、おか、お母さん、というか、その」
言ってはいけないことを言うような、細く小さな声で紡ぐ蜜葉。ほわほわとした「あぁー」を、善一は顎を上げて中空に吐き出す。
隣で真っ赤になって、ホットココアを凝視している一七才を、柔く眺める。へぇ、ふうん、と笑んで、蜜葉の黒髪を一束、くるりくるりとその長い右人指し指に巻き付けた。
「やーっと正しく読めた。よかったァ、俺のスランプじゃなかった。フフフ」
「ス、スランプ?」
「ううん、いいのいいの、なんでもない」
くすくすと肩を揺らし、楽しそうに答えていく。
「キミの質問に正確に答えると、僕に配偶者はいないし、二人と僕に血の繋がりはないよ」
えっ、と口から漏れ出たその表情を、そのまま左隣の善一へ向ける蜜葉。
「二人は僕の養子。隠し子とかでもない。イギリスの養護施設で出逢ったんだ」
「養子、でしたか」
あからさまにホウ、と胸を撫で下ろした蜜葉へ、更に笑みを深く刻む。
「まぁ、この件については、僕から話すとどうしても長くなっちゃうから、今度二人に訊いてみるといいよ」
「お二人に、ですか?」
「うん。二人なら簡潔に、そしてきちんと順序立てて、それでいて魅惑的な情感を乗せて話をしてくれるからね」
なるほど、とひとつずつ納得。
「ちなみに。僕自身は婚姻歴もないよ」
左耳元で囁くように告げられる、蜜葉の一番知りたかったこと。目を丸くし、囁かれた左耳を押さえて見上げれば、善一が顔を間近に笑んでいて。
「安心した?」
「は、はい……あっ、いえ! いっ、違っその」
慌てふためき、真っ赤に俯いた蜜葉。なんとか身を
「ごっごごちそうさまですっ」
ザカザカと、しかし丁寧にマグカップを洗って水切りへ乗せ、手を洗う。
そこまでを、顔を真っ赤にしたままやってしまった蜜葉。
「おおおお邪魔しまっしたっ」
鞄を左肩に引っ掛け、へこりと頭を下げる蜜葉に、くすくすと笑む善一。組んでいた左脚を下ろし、ソファから立ち上がった。
「よかった。元気になったみたいだね」
「げっげげっ元、元気、元気ですからっ」
「そっかそっか、フフ」
華やかな笑み。跳ね上がる心臓。
子ども扱いされているのでは、という邪推が、チクチクと自傷に至ってしまう。
「ちょっと玄関前で待ってて。そこまで送る」
♧
蜜葉と共に玄関を出て、静かに鍵をふたつかける善一。やがて、五歩先のエレベーターが昇り来ると、ポーンと音が鳴って扉が開いた。
「どうぞ」
「あ、ありがとうございます」
開いた扉を手で抑え、先に蜜葉を入れる善一。出入口の傍に立ち、『1』のボタンを押してから、背後へなんでもないように問う。
「まっすぐご帰宅できそうですか?」
「ドアが閉まります」の女声アナウンスと共に、扉が閉まる。
「はっ、はい、ちゃんと、帰りますっ」
「そう?」
エレベーターのガラスに映った蜜葉のその表情から、善一は複数を読み取る。
「僕らにどれだけ心配かけても構わないけど、やっぱり
びく、と肩を震わす蜜葉。どうして、と問うより早く、善一にわざと
「ちなみに、『心配をかけたらダメ』ってことじゃないからね。適度に『安心はさせてあげた方がいいよ』っていう。お兄さんからのお節介です」
「…………」
押し黙ってしまった蜜葉を、ガラス越しに確認する。
「上手く話し合いが出来なかったとか、不安なことがあったら、真夜中だろうと遠慮なく連絡くれていいよ。もう僕らに時差はないから」
「柳田さん」
「『YOSSYさん』だよ」
「どうして、その」
「一階です、ドアが開きます」の女声アナウンスと共に、扉が開く。先に二歩外へ出た善一は、扉を再び押さえ、蜜葉をそこから出す。
「ん?」
「い、いえ」
視線を落とし、立ち止まってしまう蜜葉。
「人はね、話し合えるうちにきちんと話しておかないと、すぐに関係がダメになるもんなんだよ」
その頭頂部へ、言葉を優しく落とす善一。わずかばかり、蜜葉の顔が上がる。
「面倒だなと思って後回しにしてると、あっという間に取り返しがつかなくなる。勘違いしたまま接し続けなきゃいけないなんてのは、衝突のタネだし、結局誰も幸せになれない」
まるで、つい最近に体験した出来事であるかのような口調。眉を寄せ、そろりそろりと視線を上げていく。
「誰かが言ってたけど、自分にとっての大事なことって、全部『面倒くさい』んだって。腰が重くなることは、大概が自分にとっての大事なことなんだってさ。多分これって、乗り越えなければならない壁のことだよね」
「壁……」
なぞり呟くと、善一は優しくひとつ笑んだ。
蜜葉の悩みをすべて見透かし、その上で誤解なく理解しているかのようなまなざし、言葉のタイミング、そして、接し方。
「どうしてそんなに、なんでもわかってしまうんですか? わたし、そんなに顔に出てたり、その、わかりやすい、ですか?」
一度は呑み込んだそれを、訊かずにはいられなくなった蜜葉。何と思われようかなど、考えもせず流れ出た言葉で、発した後になって「すみません」と身を縮める。
「あはは、お兄さんは
エレベーターから二歩三歩と、ゆっくり離れる善一。二歩後ろから着いていく、ハの字眉の蜜葉。
「というのは建前で」
マンションの自動ドアをふたつ抜け、その先ですぐにまた立ち止まる善一。スラックスポケットに、それぞれ手を入れている。
「俺もね、サムとエニーと同じなんだ」
秋風がチクチクと冷たい。
「子どもの頃から、
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