6-5 Cinderella and Mojito

 同日一九時──某タワーマンション最上階。



「エニー、これよろしく」

「はい、ヨッシー」

 エニーが抱えているのは、浅い色味のとうバスケットかご。カリカリに焼けたブリオッシュ・ブール丸パンを、丁寧にトングでトースターから取り出す善一は、エニーのバスケットかごへひとつひとつ入れていく。

 芳ばしい薫りを放つ、ブリオッシュ・ブール。それらは、サムとエニーのまあるく柔らかい頬の形によく似ている。

「サム、炭酸水取れる?」

「タンサンスイ?」

「赤いラベルのペットボトルが入ってるんだけど、わかるかな」

 サムが冷蔵庫を開け、指定されたそれを探す。ものの三秒で見つかると、背伸びでそれを取り、まな板を洗い終えた善一の傍に置いた。

「これでなに作るの?」

「ん? いいものだよ」

 台所キッチンへ戻ってくるエニー。二人にくるりと見上げられ、善一は「では」と笑んだ。

夕食ディナーの供に、今夜は僕からプレゼントがあります」

 ハテナを浮かべる二人。それをクスッと笑んで、善一は食器棚を向いた。

 取り出されたのは、経口の小さい円柱形のカクテルグラス。それがふたつ、炭酸水の傍に置かれ、氷が五個ずつグラスの中で積まれる。

「こっちにはミントね」

 あらかじめ出してあったタッパーから、蔓状のミント葉を取り出した善一。パンとひとつ掌で叩き、薫りを立たせ、氷の合間を縫うようにグラスへ投入。

「なんでミント叩いたの?」

「薫り出しだよ。ほら」

 昼間、蜜葉にしたように、掌をサムとエニーの鼻先へ近寄せて嗅がせる。目を丸くして、二人は「わあ」と驚嘆を漏らした。

「そしてェ、このシロップを注ぎまぁす」

 昼間、蜜葉と共に作った、ミントを漬けこんだライムシロップ。それをグラスの半量分注ぎ入れ、炭酸水で割る。

「はい、出来上がり」

「飲み物?」

「爽やかな、見た目」

 カラン、と氷がグラスで揺れると、炭酸水がシュワワと泡を立てて上へ抜ける。

「次こっちね」

 あらかじめ出してあったタッパーから、オレンジの実をダイスカットしたものを取り出し、もうひとつのグラスにゴロゴロと転がす。これは、昼間に蜜葉がカットしたもの。

 同様に、蜜葉と共に作ったパインと柑橘の併せシロップを注ぎ、蜜葉がカットした輪切りオレンジをグラスの縁に刺す。

「はい、出来上がり」

 腰を屈め、目線を合わせる善一。

present for youお受け取りください

 ミントの方はサムへ、オレンジの方はエニーへ、それぞれ手渡される。


 炭酸水の泡を葉にまとわせている、青々としたミント。視覚から伝わる清涼感と、吸い込むライムの薫りで喉が鳴る。


 透視度の低い、鮮やかなオレンジ色の液体。氷の間に見える果実粒のみずみずしさと、まろやかに薫る酸味が、唾液を呼び寄せる。


「わあ……」

 重なる驚嘆の溜め息。うっかり謝辞を忘れてしまう二人。やがてくしゃ、と、揃って眉がハの字に垂れ下がる。

「よ、ヨッシー」

「あの、その」

シエスタお昼寝の間に、蜜葉ちゃんと作ったんだ」

「え、蜜葉も?」

「蜜葉は、なにしてくれたの?」

「ライムを切ってくれたし、オレンジも切ってくれたよ。包丁使ったことがないとか言ってたけど、ちゃんと出来てたよ」

 グラスに刺さっているオレンジの断面の美しさ。丁寧に切り込んだことがわかる。

「今日のデビューの成功を祝して、こちらで乾杯いたしませんか?」

 英語に切り替わった言語。そうしながら、善一は食器棚から椀状のグラスをひとつ持ってくる。

「俺も飲んじゃうんだー、今日!」

 別の戸棚から取り出したのは、ブランデーボトル。薫り高いそれは、レーヴ・サーカスに所属していた頃の差し入れ品。

「えっ、ヨッシーお酒飲めたの?」

「フフ、大人なので」

「今まで、お酒飲んでるの、見たことないから、びっくりした」

「そんなにたくさんは飲まないけどね。今日もこの後、ダンボール五個は潰したいし」


 揃って台所キッチンから出る三人。

 ダイニングテーブルで対面になると、湯気の立ち上る料理を挟んで、グラスを交わす。

「では、サムとエニーのパフォーマンスデビューと、その成功を祝して」

「ありがとう、ヨッシー」

「ヨッシー、ありがと」

 キン。甲高い接触音。くぴりくぴり、口に含まれるノンアルコールカクテル。

 その後の、双子の声にならない声。

「ありえない」

「あぁー。もう、ヨッシー……」

 あれ? と首を傾ぐ善一。頭を垂れ下げ伏せてしまった二人に、わざと問いかける。

「好みじゃあなかった?」

「そんなわけないでしょ!」

 重なる声。向き直る、幼い双子の表情。

「大変だよ、ボクの好みすぎる! 世界にまだこんなにボクの好みに合致する飲み物があったなんて!」

「信じられない。そもそもジュースって、好きじゃなかったけど、これは別っ」

「どうしてこんなの作っちゃうのさ!」

「ずっと、飲んじゃうじゃんっ」

「これで太ったらヨッシーと蜜葉のせいだよ」

「レシピ、教えてくれないと、怒っちゃうんだからねっ」

 頬を染めて、ぐびぐびとグラスを空にしてしまう双子。

 一部始終にプフーッと吹き出した善一は、上機嫌にグラスを回した。

「あはは、よかった。そんなに気に入ってもらえるとは!」

「ヨッシーが考えたの? あ、おかわりなんだけど」

「ううん、既製メニューだよ。おかわりはご飯食べてからにしようね」

「なんていう、ドリンク?」

「サムのはモヒート、エニーのはシンデレラ。二人のためにノンアルコールにしたけど、本来はアルコール入りの飲み物だよ」

 アルコール、と顔を見合わせる。

二〇才ハタチになったら自分で作って飲める!」

「あと、一五年、あるけどね」

 将来を楽しみにするサムとエニーに、善一は心底安堵していた。


 明日すら、憎しみと落胆に染めていた二人が、二ヶ月足らずでここまで変わってくれたこと。未熟な父親としては大きすぎる成果だと、しかし同時に、そこには計り知れない喜びもあり。


「楽しい一五年にしよう。僕がこれからも、しっかり守るよ」

 グラスを置く善一。その優しく笑む姿に、涙が溢れるほどに感謝をおぼえる二人。

「ヨッシー」

「ホントにたくさん、ありがと」

「ボクたち、既に幸せだよ」

「ヨッシーに、みんなに出逢えて、もっと……ずっと」

 言葉が続かないエニーの涙。そこにもう、かつての哀しみはない。

「いいんだ。キミたちは、まだまだ抱えきれないほど幸せにならなくちゃいけないんだから。幸せは、まだ始まったばかりなんだ」

 二人のかすかに震える声へ、かけていたサングラスを外すに至る善一。伏せた目を開けば、プラチナのような白銀の双眸そうぼうが二人を向く。

「これからもっともっと、輝かしい世界に変えていくんだ。キミたちも、一緒にね」



        ♧



 あくまでも冷静に──何度と繰り返し思っただろう。


 わたし──小田蜜葉が家に帰ると、母も父も出掛けていて居ませんでした。居たのは、お手伝いさんがお二人だけ。夕飯には帰るらしいと伝え聞いて、わたしは自室で、考えをまとめました。


 両親にどうしても知っておいてほしいこと。

 反対されても譲れないこと。

 そして、今までのわたしと決定的に違うのは、両親がわたしに求めることの、根本を知りたいと思っていること。


 ここを『あくまでも冷静に』問い、伝え、話し合うことを、今日しなければ。わたしだって、このままではこれ以上前には進めません。きっと、ううん絶対に。


 わたしには、応援してくださる大切な人たちがいます。

 サムくん、エニーちゃん、若菜さん、探偵の柳田さん……もきっと、表ではああいう感じですが、今日サムくんとエニーちゃんにマジックをお教えになってたときの、まなざしや表情は、優しくて暖かなものでしたもの! うん、きっと、うん!

 そして。

 そして、柳田さん。わたしに、いつもタイミングよく、欲しい言葉をくださる柳田さん。


 優しい笑み。

 ちょっと強引なところ。

 大きな掌。

 暖かな腕。

 そして、あの青いサングラスの奥の、まっすぐなまなざし。


 あれに含まれている哀しみを、わたし、いつかわかってさしあげたい。取り除くことは出来ないかもしれない。だってあれは、『お二人』の哀しみ、軋轢あつれき、すれ違いだと思うのです。


 わたしが柳田さんのことを、笑顔にしたい。

 そのために、まずは両親との話し合いなんです。

 絶対に負けません。

 両親にではありません、自分自身にです。


「お帰りなさいませ、奥さま」

 一階の玄関で、お手伝いさんの声。

「あくまでも、冷静に。あくまでも、冷静に」

 大丈夫。

 もうわたしは、信頼を得ている。


 もうきっと、絶対に、わたしはわたしの思い描いている未来を、歩むのです。


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