section 4

4-1 chose the ivy-colored one

 翌日、火曜日祝日、一〇時──柳田探偵事務所前。



 私服に身を包んだ若菜は、事務所へ続く階段前に立ち、良二が降りてくるのを待っていた。


 広めに開いた丸首が気に入っただけの、なんてことのない長袖Tシャツ。

 気に入った丈がなかったため、以前自分でさっさと作った、綿の生成色ロングスカート。

 近所の靴屋で安売りしていた、紺色のラウンドトウ丸形爪先ウェッジソールパンプス。

 アクセサリーなどというものは持ち合わせていない若菜の、一番『マシ』な私服がこれで。


「おう」

「おはようございます」

 カツンカツンとかかとを鳴らし降りてきた、良二。変わり映えのしない、いつものヨレヨレスーツでの登場に、若菜は口を尖らせた。

「なぁんだ、いつもと同じじゃないですか」

「ウルセー。着飾ったってしゃーねーだろ」

「つまんない男はモテませんよ」

 ヒヒヒと若菜が嫌味のように笑ってやると、左手の中指でひたいを弾かれた。バチン、と一発。いい音が高く抜ける。

「ったー。何すんですかっ」

「気付かねーオマエがワリー」

 ふら、と若菜の目の前を横切る良二。気が付かないってなに? と眉を寄せた若菜は、そこでようやく胸元の色の既視感に顔を染めた。


 木蔦アイヴィ色の、手編みネクタイ。

 あれは、若菜が編んだ一品。


「ちょっ、待っ、柳田さんっそれ」

 駅方面へさっさと進んでしまう良二の背を、若菜は慌てて追いかけた。



        ♧



 一〇時四八分──枝依中央ターミナル駅前。



 前日まで厚く曇っていた秋空は晴れて、まだらにかかる薄雲が陽射し避けになっている。パフォーマンスには丁度いい気候となった。

「うひー、ターミナル駅なんて数か月振りです!」

 既にどこかへ出向く買い物客で溢れつつある、ターミナル駅周辺。改札を抜け、指定された広場へ歩み進む良二と若菜。

「ったく。出不精にも程があんだろ」

「はー? デブじゃないですぅー」

「太ってるっつってねーよ、外出ねぇヤツのこと出不精っつーだろーがっ」

「えっ、そうなんですか?」

「オマエな、俺より日本語知らねぇのどうかと思うぞ」

「それ自分で言うのもどうかと思いますけど」


 善一らの言っていたとおり、駅前広場にはちらほらと自由な表現者たちが、それぞれに場所を取っていた。彼らを観覧しようと、人々が足を止め、時折小さな歓声と拍手が沸く。


「一二分、暇だな」

「まだそんなにあるんですか?」

 そうして若菜が目を見開き、顔を見合わせたところで、不意に二人きりであることをそれぞれに自覚。

 どちらも言葉を何とも続けられず、するとぎこちなさが露呈し合い、顔を逸らす二人。必要以上に、周囲をキョロキョロと不自然に見回す。

「たぁっ、タバコ行く……」

 若菜に背を向け、木陰へ向かおうとする良二。しかし「待ってくださいっ」とその背をぐっと引かれ、ガクンと首が上向く。

「チッ、んだよ」

「駅周辺は禁煙区域、だそうです。駅前の歩道に書いてありました」

「…………」

 苦い顔をして若菜を睨むも、仕方がない話なわけで。首の後ろをさすり、秋天を仰ぐ。

「よっ、YOSSYさんもサムエニも蜜葉も、まだ、来てないんですかねっ」

「んー」

「探偵の観察眼とその高い上背で、捜してくださいよ」

「ルセェ」

 広場中央へ、良二は足を進める。若菜はそれに小走りで着いていく。


「トシくん、今の子たち見た?」

「ん、見た」

「かわいいの着てたね。あの子たちも何かするのかな。この辺パフォーマンスする人多いし」

「見てくか?」

「見たい、けど、抱っこ代わらなくて大丈夫?」

「平気。三ヶ月の娘一人くらい、重くない」


 手を繋ぎ、来た方向へ転回した子連れ夫婦の会話に、目をやる若菜。

「『かわいいの着てた』『あの子たち』?」

 足を止めて、夫婦の向かう方向に目を凝らす。

「あっ見て柳田さん、あれ!」

「あ?」

 数歩先を行ってしまった良二を呼び止める若菜。その長い左腕へ駆け寄り、ぐいぐいと夫婦の後を追うべく引っ張る。

「たぶんサムエニですよっ、行きましょ、早くっ」

 わずかに、ほんの一瞬、そして二ミリ程度、若菜の平たい胸元に触れてしまった、良二の左肘。若菜は気が付かなかったものの、赤面をし慌てる良二は幼すぎる反応を見せた。

「バッ、バカ、引っ張んなっ。自分で行くっつの」

 慌てて振りほどかれる左腕。並び歩く二人。

「あっちだったんですね。もう人だかりが出来始めてる」

「どーせクソ兄貴にたかってんだろーよ。アイツ、顔だけは売れてるからな」

「またそんな風に言って。柳田さんの悪評流してもらいますよ?」

「いよいよアパート追い出すぞ」

 良二の予測どおり、人集りはYOSSY the CLOWNを中心に出来上がっていた。パフォーマンスのひとつもしていないYOSSY the CLOWNだが、写真撮影にサインを求める手にと、非常に忙しない。

「んー、サムエニが見当たりません」

「多分、アイツの足元に居るだろ」

「サムエニ怖がってないかな、大丈夫かな」

「もう簡単にガタガタ震えるようなアイツらじゃねーよ」

 多分な、と良二は溜め息混じりに肩の力を抜いた。

「柳田さん、その辺から蜜葉が居るかわかりませんか?」

「あ? んー」

 頭ひとつ分抜けている良二。高い位置から、蜜葉らしき姿を探偵の眼を使って捜す。

 広場へ向かってくる顔。

 出ていく後姿。

 広場の隅の方へまで、次々に視線を向けていく。

「まだじゃねーか? 見あたんねー」

「あれ、どうしたんだろ。電車遅延かな」 

「まぁ、そのうち来るだろ、昨日は行くっつってたんだ」

 眉を寄せる若菜は、鞄から自らのスマートフォンを取り出し、見つめる。

 連絡はない。しようか迷って、良二が声を落とす。

「おら、アイツら出てきたぞ」

「え、どこっ。どこですかっ」

 人混みの一番奥に立ってしまったがために、その中心がよく見えない。

 良二は、その一八二センチの長身から、悠に中心を観ることが出来ているが、若菜はしかし周囲の人たちよりも背が低い。懸命にその上半身を、人の合間を縫うように、行ったり来たりさせてはサムとエニーをハッキリ捉えられる位置を探さなければならない。

「おあっ、ここだ。キタ」

 左に上半身を折り曲げた若菜。妙な体勢に、目頭を細めて、吹き出しそうになるのを密かに堪える良二。

「始まりますね」

「ん」

 まばらな拍手が今、秋空に抜ける。


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