1-6 cherish your mind
「
ふらりと立ち上がった良二は、センターテーブルに放ったままになっている茶封筒を、細長い左手で拾い上げた。
「アンタは俺様に雇われてるわけじゃねぇから、ちゃんと奴から直にふんだくれ」
「わ、わかりました」
ヒラヒラ、良二に揺らされる茶封筒。三度目のまばたきの後で、それはなんの躊躇いもなくクッシャクシャに丸められてしまった。
「えっ?!」
「あーっ、カネが!」
身を乗り出すようにして、茶封筒を心配した蜜葉と若菜。想定内の反応だなと、掌を合わせたまま心内でニヤリとする良二。
「ん」
「え」
次いで、手の甲を上に向けた右拳を若菜へと突き出す。
「テメーにやる」
「いや、くっしゃくしゃの茶封筒ですよね? カネも入ってるけど、ってあああ、体が勝手に……」
『
「ん? 何これ」
条件反射的にむぎゅっと掴んだ若菜は、ピーっとそれを引っ張ってみる。
「え、ええ?!」
スルスルスル、と小さな国旗が次々に列なって拳から出てきた。引っかかることなく、引けば引くだけ出てくる国旗。日本、アメリカ、イタリア、ドイツ、フランス、イギリス、中国、ロシア……まさしく『万国旗』。
どこまで続くの、と顔をしかめる若菜だが、引っ張る手は止まらない。やがて糸巻きのようにくるくる巻き付けていき、然るべきタイミングで良二は握っていた拳を緩め、掌を返した。
「あれっ、封筒じゃない」
「わぁ、す、スゴい、です」
目を真ん丸に驚く若菜と蜜葉は、万国旗付き凧糸の終わりに付いていた『くっしゃくしゃの茶封筒ではない物』に、目を凝らす。
「鍵?」
「お家の鍵、でしょうか」
持ち手部分が長方形で、シルバー色の、ごく一般的な先端がギザギザとした鍵。チャランと静かに揺れる鍵は、そうして若菜の手に渡った。
「カネは?! 柳田さん、カネは?!」
「さぁな」
「ちょっと。ちゃんとYOSSYさんに返してくださいよ?」
「そのうちな」
シラを切る良二。ツーンと半開きの目を逸らす。
「で、これどこの鍵なんです?」
「テメーに貸してる部屋の、真上の部屋だ」
「え、ウチの上?」
「そこを今から、テメー『ら』の作業場にしろ」
言った後で、良二はゆっくりと窓を向いて若菜の視線から逃れようとした。耳がわずかに赤く染まる。複数系にしたことを照れているわけだが、誰にも気付かれずに流れる。
「さ、作業場?! マジすか!」
「あー。クソ兄貴に家賃は貰ってんだよ。だから
ガシガシと後頭部を掻く良二。かかとを擦り、事務机へと移動する。
「部屋も片付けてある。一昨日業者を入れた。電気ガス水道も使える。冷蔵庫とレンジとテーブルとイスしかねぇが、充分だろ」
くるりと若菜へ向き直ると、ワナワナと肩を震わせ、口をへにゃんへにゃんに曲げている若菜と目が合った。
「なっ?! なんだよ、その顔っ」
「柳田さんっ、ありがとうございます!」
がばりと立ち上がり、また九〇度を越える角度に上半身を曲げて頭を下げた若菜。万国旗付きの鍵を大事そうに胸に抱え、にへら、と笑む。
「は……お、おう」
あさってを向く良二の鼓動は、知らぬ間に速度が増していて。
「作業場貰えた!」
「は、はいっ!」
くるりと振り返った若菜が、見ている側が恥ずかしくなるほどの輝きを
「じゃあ問題ねぇなら、一旦解散しろ」
「はーい」
「あのっ、や、柳田さんっ、で、よろしい、んですよね? お名前……」
今度は蜜葉が静かに立ち上がる。ガラガラ、と事務椅子を半分引いたところで、良二が蜜葉へ顔を向ける。
「あ? あぁ。俺は柳田良二、ここの私立探偵だ」
「よ、よかったです。お名前まで、間違ってたらあの、ますます申し訳ないというか、なんというか」
小さく肩を縮める蜜葉へ、若菜が詰め寄るように身を寄せた。
「ね、私にも名前教えてください。呼び方に困るから」
「は、はい。小田、
「蜜葉ね。私は
「テメー、まだそれ言ってんのか」
「いいじゃないですか、私のお決まり挨拶なんですぅ。ねぇ蜜葉、いいですよねー?」
「よかねぇ、一〇〇点満点中九点だ。
「ええー? じゃあ柳田さんなら何にするんですか」
「必要ねぇから考えもしねぇな」
「『俺は柳田良二。イケメンクールでちょっぴりファンタジーな、しがない一匹狼探偵よ』……これでいきましょ」
「ふふっ」
「やらねぇよ、つーか『ちょっぴりファンタジー』ってなんだ」
「設定がファンタジーじゃないですか」
「ウルセェ、現実なんだからしゃーねーだろっ」
「あ、耳赤いですよ。気に入ったんですね!」
「気に入るかバァカ」
「早速使っていきましょ!」
「いいからさっさと打ち合わせしやがれ!」
♧
「結局飲み物も出さないでごめんなさい」
「い、いえ。お気になさらないで、ください」
事務所から出た若菜と蜜葉。そのまま左へ曲がり、駅方面へと並んで歩き出す。
「若菜さんも、探偵の柳田さんも、面白い方、ですね」
柔く口角を上げ、蜜葉は上品に笑った。
「ホント?! ひひひ、よかったです」
言われたそれに、素直に喜ぶことができた若菜。最近心地いいと感じている『良二との掛け合い』で笑いを取れたから、という点でくすぐったく思ってもいる。
「あ、手芸屋に着いたら、デザイン画見せてくださいね。デザイナー本人と生地の指定が直接出来るのは助かります」
「わか、わかりました」
手芸屋は、最寄駅である『西大学街駅』東口を出てすぐの二四時間営業のスーパーの三階に、テナント入りしている。大手メーカーで、時折安売りをしてくれるがために、越してきてまだ一ヵ月半である若菜は、早くも常連になった。
「あ、あの……」
「ん?」
左肩に提げた合皮の鞄紐を、相変わらずぎゅうと握り締めている蜜葉。右隣の若菜へは、照れてしまって顔を向けられない。
「わ、わたしには、その、敬語じゃなくて、大丈、大丈夫、です。わたしのが、その、若輩ですし」
流れ行く人波に視線を泳がせつつ、そう小さく若菜へ伝えてみる。
わずかな間の後で、若菜は蜜葉を
「わかった、そーする。敬語やめっ」
若菜なりにニッコリとしながら言ったつもりだったものの、案の定『不気味な笑み』になってしまっている。幸い、蜜葉が付近の店舗看板に視線を注いでいたために、気が付かれずに済んだ。
「ねぇねぇ、蜜葉はどうして自分で作らないんだ?」
覗き込むように声をかける。蜜葉は再び若菜をチラリ盗み見たが、やはり人波に視線を混ぜた。
「えと、お裁縫、全然できなくて、わたし」
「ふぅん、そっか。じゃあ、作りながら教えたげるから、覚えてみるか?」
その言葉に、思わず立ち止まってしまった蜜葉。
今まで、若菜のようにフランクに「やってみなよ」などと助言を受けたことは無かった。『慎重に』『着実に』が、両親のモットー。踏み込もうとすることを
「どした?」
二歩先で振り返る若菜。ポカンと口を開けて立ち竦む蜜葉へ、心配そうに眉を寄せる
「そんな、こと、わたし」
細く揺れてる蜜葉の声。若菜は一歩分だけ蜜葉へ戻る。
「そんなことっ、わたし、今までご提案、されたこと、なかったんです」
マズいことを言ってしまったろうか、と胸がざわめく若菜。謝辞を申し出ようかと迷うが、しかし蜜葉は口角を上げた。
「嬉しいって、思っても、若菜さんはご迷惑、では、ありませんかっ?」
「ん?」
「わた、わたしも、その、自分で気持ちを込めて、縫ったもの、を、その、サムくんとエニーちゃんに、着て、着ていただきたくて……それで、あの」
笑みを浮かべてはいるものの、ハの字の眉をサッと蜜葉は俯けた。鞄の紐を握る手がふるふると震えている。
「蜜葉っ」
「は、はいっ」
視線を上向けた先に見えた若菜の表情に、蜜葉はドキリと肩を跳ね上げた。
「『一緒に』作るぞ! 最高で、最良で、最善の
ニンマリ、と珍しく上手く笑えている若菜。更にそれは、蜜葉にはキラキラとまばゆく見えて。
フルフル、と背筋に期待の鳥肌が立てば、蜜葉は鞄の紐から両手を離し、若菜の手を取って大きくガクンと頷いた。
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