1-5 come never again

 言い切ってしまってから、蜜葉はサアと血の気が退いた。


 また身分不相応な大きなことを言ってしまった。決意や目標が曖昧なまま進むなと、柳田探偵目の前の男に刺すようなまなざしを向けられるかもしれない。


 顔を上げることも出来ないまま、シンとした空気が続く。

「ハアァー……」

 それをバリンと壊したのは、良二の大きすぎる溜め息。クダラナイと一喝されてしまうだろうか──蜜葉は、膝の上で拳をふたつ作る。

「言っとくけどな──」

 低い声。しかし先程までとは違う、哀愁の色の混じった声色。若菜だけはその違いを察知した。

「──たとえ双子でも、俺はあのクソ兄貴とは真逆に違うからな」

 そろりそろりと顔を上げていく蜜葉。片や、ドキリと心臓を跳ね上げる若菜。共に良二へ視線を向ける。

「アイツがお得意の『他人様がどう思ってんのか』だの『察してやる』だのは、俺には全っっ然出来ねぇ。冗談抜きに、俺は一切わかんねぇ」 

 若菜は、その言葉に含まれた痛みが鮮明に伝わったかのように、キュ、と目頭を細めた。良二が身を削りながら、蜜葉へなにかを伝えようとしていることがわかったためだ。

「だから今から言うことは、アンタの気持ちがわかるから言ってやるわけじゃねぇ。探偵業やってる中で俺が見てきた人間やつらの感情を、統計的に推理した結果、助言してやることにしただけのことだからな」

 タバコを取り出したくなる気持ちを、右脚を小刻みに揺することで逃す良二。三秒かけて味のしない空気を吸い、五秒かけて吐き出す。

「まず。これは誰も知らねぇだろうから、『残ってる唯一の親族』が親切心で言ってやる」

 唯一の親族、という単語を強烈に胸に刻む若菜。事務机の背後の棚の、雑誌やスクラップブックがなぜか不意に脳裏をよぎる。

 背もたれから背を離し、ぐっと再び前に出る良二。もうその目力に、蜜葉を泣かせるほどの気迫は残っていない。

「アイツは昔から、『思い立ったら即刻行動』っつーのをし続けてきた奴だ。相手の意見も感情も、お構いなしに突き進む。着いて来られねぇ奴は、簡単に棄てる冷酷さがある。意味わかるか」

 蜜葉だけでなく若菜も聞き入る、良二おとうとが知る善一あにの姿。

「簡単にホイホイ着いてって、結局失敗だっただの違っただのってなっても、アイツは微塵も責任とんねぇってことだ。逆に気に入られちまったら、たとえ違う道を選びたくなっても叶わねぇ。ずーっとアイツの求めるものに、付き合わなきゃなんなくなるに決まってる。ビジネス金銭が絡んだ事だから、尚更だ」

 高く組まれた良二の左脚が、タンと下ろされる。しかしもう、そこに怒気は込められていない。

「わかるか。いかにアイツと関わることが、そう簡単に下りらんねぇ案件だっつーことが。だから、下りるなら今しかねぇ。わざわざ言ってやる理由はこれだ」

 蜜葉は唇を真横に引き結ぶ。自分の目で見てきたYOSSY the CLOWNの姿とは違う印象を、自分なりに真っ直ぐに受け止めたいとし、余計な言葉をみずから挟ませなくするためだった。

「アンタは本来ここで終わりでいいのに、この先もまだ着いてくるって譲らない。数日だか数ヵ月だかわかんねぇけど、高校生コーコーセーの時間っつーのは金銭で解決できねぇほど貴重なんじゃねぇのか? 今のアンタ自身に、そういう『犠牲』になるような覚悟があるようにゃ、見えねぇワケだ」

 真っ直ぐに見つめてくるだけの蜜葉から目を伏せ、視線を切る。フイ、と顔を『務』の窓へ向けた良二。

「これはアンタに限った話じゃねぇけどよ。どんな進路も退路も、最終的に決めんのは自分自身だ。他人の言葉に『ただ』乗っかったり、そのせいにしてるうちは、気迫がどれだけあろーがいつまでも本気にゃなれねぇぞ」

 視界がクリアになる蜜葉。一方で、瞼を落とす若菜。

「ついでに言や、ごちゃごちゃイイワケ考えてるうちは何に於ても失敗する。そういうのがつまりは『嗤いモン』の対象になる、絶対に。人間は、弱いヤツつついて潰すの好きだからな」

 エニーにかけられた言葉と、形は違えど似たことを言われているな、とさとる蜜葉。

 サムとエニーの、幼くも冷静なあのまなざしを思い出すだけで、蜜葉は心が奮い立つようになった。握り締めた拳をゆるりとほどく。


 エニーの信頼を得たいと思った。サムの希望に満ちた表情が向上心を呼んだ。

 そして何より、善一から「頼んだよ」と微笑まれたことで、『この人の』心の底から喜ぶ顔を見たいと願ったのではなかっただろうか。


 押さえつけられ、押しつけられてきた一七年。それが嫌だと思いながらも『抗わずにいる自分』が一番嫌だった事実。

 そんな泥沼の中に射した、YOSSY the CLOWNという一筋の光。

 知らなかった価値が付与され、外の世界のまばゆさを見せられて、変わりたいと本気で思えた、二度とないかもしれない機会チャンス


「ここまで聞いた上で、アンタに訊く」

 静かに発せられた、良二の声。いつの間にか、蜜葉へ視線が戻っていた。

「はい」

「この案件、アンタはどうする。描いただけで終わりにできる舗装された道を取るか、ガチの覚悟決めてマジでアイツに関わってくやぶン中を取るのか」

 良二の眉間は、蜜葉にももう怖くはなかった。自然に吸い込めた空気が、蜜葉の言葉を後押しする。

「迷うことなく、後者を取ります」

 ハッキリと発せられた決断の言葉に、緩く目尻が下がった若菜。

「たとえ柳田さんが、どんな方であっても、わたしは最後まで、きちんとやります。それが、ただの高校生であるわたしなりの、責任と誠意です」

 蜜葉の眼の色が変わったことに、片眉を上げる良二。二秒後にはそっと肩を落とし、一旦目を伏せる。

「後戻り、そう簡単に出来ねぇかんな」

「はい。どんな結果であっても、この先、妥協と言い訳は、一切しません」

 もう一度蜜葉を見据えると、蜜葉の猫目のかたちが初めてくっきりと見えた。

「ったく。物好きなこった」

 溜め息と共に吐き出した良二は、ゆらゆらと不安定に立ちあがった。


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