1-4 come back your home

「アンタの番だ。デザイナーさんよ」

 良二の低い声でそう呼ばれ、もともとガチガチだった全身が更に硬直してしまった蜜葉。緊張と共に背筋をピシリと伸ばせば、右隣の若菜が心配そうに様子を窺った。

「とはいえ、アンタに対しては簡単だ。これ渡せって言われてるだけだからな」

 はだけさせたスーツジャケットの内側から、薄手の茶封筒をひとつ取り出す良二。蜜葉へ向けてセンターテーブルへ放ると、そこを七センチだけ滑り流れる。

「えと、これは」

 眉をハの字にいぶかしみ、目の前の良二と滑り寄ってきた茶封筒を交互に眺める蜜葉。

「アンタのデザイン料」

「デザッ、料?」

「代わりに、『清書したデザインを描いた紙』と『生地指定だのなんだののメモ』を渡しな。用意してきたろ? あとはそれ見ながら、コイツが確実に上手く作る」

 くいっと良二の左親指が、若菜を指す。「え」と漏らした若菜だが、しかし良二の耳には届かなかったようで、返答は帰ってこず。集中している様子の良二と蜜葉を、若菜は黙って眺めることにした。

 片や、「それって」と前のめりに言葉を挟んだ蜜葉。ひとつ首肯しゅこうを返した良二は、首をポキポキと鳴らした。

「あぁそうだ。アンタの役目は、ここで終わりだ。これでアイツから解放してやる。そのカネ受け取って、早ぇとこ帰んな」

「まっ、待ってくださいっ。わたしはっ」

「クソ兄貴に『強引に頼まれたから』、この話に『ただなんとなーく』参加してんだろ?」

 蜜葉の言葉を遮って、気怠けだるそうに良二が割り込む。

「え?」

「アイツのことだ。アンタにどんな風に頼んだのかなんざ、八〇パー予測が立つ。どうせアンタも、アイツの巧みな言葉に流されてここまできたんだろ。悪かったな、アイツが引きずり回してよ」

「そん、そんな、わけじゃ……」

「この件が変に長引いたり、なまじ上手くいって『またやってくれ』ってアイツに過度な期待かけられると、先々もっと面倒になってくのが目に見えてる。気ィ弱そうなアンタなら、ほだされてどんどん断りにくくなるだろうしな」

「ち、違います、わたしは──」「こっから先は大人の『仕事』だ」

 そう強く声を張り、一言も聞かない姿勢を向け続ける良二。ボスリと背中をソファへ埋め、高く左足を組んだ。

「アンタ、マジでデザイナーを目指してんのか?」

「え、と」

 気迫に気圧けおされ、言葉が出ない。

 蜜葉の本心など汲み取れなかった良二は、小さな溜め息をひとつ挟み、厄介払いのような言葉を続ける。

「そんな中途半端なままでアイツに関わると、マジで人生狂っちまうぞ。だからただの高校生コーコーセーはただの高校生コーコーセーらしく、オウチでオベンキョだけやっとけ」

「…………」

 つららのように冷たく突き刺す言葉。芽吹いた新芽を簡単に踏み潰された心地に、悔しさがじわりじわりと込み上げる。


 これは、母親にデザイン画を見られ、嘲笑ちょうしょうされたときと同じ。

 これは、父親に失意を向けられ、自尊心を打ち砕かれたときと同じ。

 高校生は、高校生でしかない──そんなり固められた『正しい立ち位置』へと強引に戻された感覚が、蜜葉を襲っていた。

 良二に向けられた言葉には事実もしかし多く、頭ごなしに否定出来ない。


 ぐにゃり、視界が歪む。倒れ込んでしまうほどに、ワナワナと震えて声すら出ない。


「あの、柳田さん」

 そんな蜜葉の、みるみる青めていく表情を横目にした若菜が、そっと低く挙手をした。

「あ?」

 怪訝けげんに眉を寄せた良二は、ギッと若菜を一瞥いちべつ

「彼女の話、聞いてみたいんですけど、私」

「なんで」

「多分ですけど、彼女、YOSSYさんともう少し先までの約束をしてるんじゃないですか?」

 そうして若菜は、良二の睨みを受け流し、サラサラと続きを述べた。

 耳に入った言葉に、俯けていた顔をぎこちなく若菜へ向ける蜜葉。

「もう少し先ってなんだ」

「わかんないですよ。柳田さんがどんどん話切っちゃうし、私だって超能力者じゃないので。だから話を聞いてみませんか、って言ってるんです」

 スゥ、と胸が軽くなるのを感じた蜜葉は、震える喉の奥で深く空気を吸い込んだ。

「あんのか、なんか、アイツとの契約外の。なんつーか……そういうの」

 口を山なりに曲げ、問いを向ける良二。顎を引き見つめ直す蜜葉は、肩を縮み上げ、忙しなく口を動かした。

「えとあの、ちちっ近いお話は、させていただいたつもり、です」

「近いお話だァ?」

「は、はいだから、あの、な、流されてだとかじゃ、ありませんっ。わたっわたし、わたしの意思で最後まで関わろうって、決め、決めて、ここまで……」

 ぎゅん、と眉が寄る良二。右腕背もたれに放り、そこで頬杖を付きながら、顎を上げた。

「まさかテメー、マジに『専属デザイナー』だのになるつもりか」

 善一から聞いていた言葉を確かめるため、敢えて問う良二。

「それっ、は、まだ、わかりません、が」

「ハァ? テメ──」「柳田さん」

 開きかけた良二の口を閉ざしにかかった若菜。右掌が良二に向けられ、「黙ってください」と言わんばかりのまなざしを良二へ向ける。

 その様子に、ホッとわずかながらも緊張を緩めた蜜葉。き止められていた言葉が、ツルツルと紡がれる。

「わたし、はっ、出来上がった衣装……自分のデザインした衣装、を見て、お二人に着ていただいて、そのっその先で何が……自分の世界『も』どう変わる、のか、見てみたいんです」

 固く握った両手それぞれの拳が震える。若菜は静かに片眉を上げ、蜜葉を見つめていた。

「だかっだから、今回はまず、最、最後まで見届けたいと、思ってます。そのとき、にっ、答、答えが出るのでは、と、思ってるんですっ」

 キッ、と目をつむり、「なので……」と細く吐く。

「なので金銭はっ、まだ受け取れないんですっ!」

 自らの膝をめがけて、蜜葉は半ば叫ぶように言い放った。

「わたしの希望も幸運も、まだ、始まったばっかりなんです!」


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