5-3 calm each other

 週明け月曜日──柳田探偵事務所。



 午前中に、アパート二棟と事務所内のルーティンワークいつもの掃除。昼ご飯を食べたあとは事務所に戻って、調査に出掛けた柳田さんの代わりに電話番やら書類整理。

 それが終わってようやく、依頼されたベビードレス製作に着手した私──服部若菜は、必要なミシンがけすべてが終わったところで、余裕綽々しゃくしゃくとばかりに口角を上げた。

「うん、今日中に完成だな」

 乳幼児の肌に縫い目が当たらないように、すみずみにまで気をまわす。この処理が甘いと、新生児の肌荒れ原因になって、酷い場合はアトピーとかの皮膚炎を引き起こしかねない。

 これは家政科高校で習ったこと。まさかこんな知識をこの人生で使うとは思ってもみなかった。柳田さんの言う「高い品位」 に該当するから、知っててよかったんだ。ラッキー。


 ちなみに。


 前日である日曜日は、何も作業をやらせてもらえなかった。あの後、ミシンを持って帰ろうと持ち上げたところで、柳田さんに止められてしまって。


「業務だろ。持ち帰んな」

「えぇー?」

「『えぇー』じゃねぇ。月曜にしろ。明日は休むっつーことだけしとけ」

 そうして「わかったな」と睨みを向けられて、私は渋々最低限の片付けだけに留めた。結局悶々として日曜日を過ごしたっていう。


「だから今日の作業、すんごい集中してさっさと仕上げられたのかなぁ」

 だったら、柳田さんのもくろみは間違ってはなかったんだなぁ、私にとっては。

 やっぱりスゴいな、柳田さん。

「──つーことは、終わったのか」

「どぅわっ?!」

 声がした方、つまり私の真後ろなんだけど、そっちを右回りに振り返り見た。

「な、本人っ」

「あ? んだそれ」

「いいえ、こっちのこと、です」

 顎を上げた柳田さん本人が立っていた。まぁ、事務所主だから当たり前の話なんだけど。

「あの、いつお戻りに?」

「九〇秒前」

「え? もう。どうして真後ろから急に声かけるんですか」

「俺はちゃーんと『戻ったぞ』って声かけたのに、またテメーが無視したんだろーが」

 きゅん、と眉が寄った柳田さん。あ、ふてくされてるんだな。また『構ってチャン』が発動してる。

「す、スンマセン。あの、お帰りなさい」

「ん」

 お、満足そうに頷いてる。フゥ、まったく、世話のかかる。

「で? 『集中して仕上げられた』っつってたが、作業終わったのか?」

「へ?!」

 ちょっと待って。私それ声に出してたの? サーッと血の気が退く顔面。

 ぎゃあ、独り言とかクッソ恥ずかし! しかもよりによって柳田さんに聴かれるなんて。終わった、絶対イジリ対象にされる。

「ま、まあ、ミシンは終わりました」

 顎を引いて視線を逸らして、尻すぼみにゴニョゴニョ言った私。

「あ? ミシン『は』ってなんだ」

「ボタン付けとかの細かいところがまだなんです。この辺に着けるんですけどね」

 ベビードレスになりたての布の集合体をカサカサと広げて、柳田さんへ見せてみる。

「それ終わって、全体の仕上がり見て『おしまい』です。だから今日は遅くなりませんよ。今四時過ぎだし、五時までには終わると思います」

「…………」

 あれ? 返答が返ってこない。もしかして、言ったこと信じてもらえてない? まぁ一昨日の件で前科一犯だしな!

 改めて柳田さんを見上げる私。

「なんか急な秘書業務ですか? それとも、買い出し行ってこいとか?」

「テメーはよ」

 間髪入れずに言葉を被せてきた柳田さん。三拍遅れて首を傾げる私。

「その依頼、楽しいか?」

「え?」

 パタとまばたきをひとつ。仰ぎ見た柳田さんに、私もびっくりして固まってしまう。


 いつもみたいに寄っていない眉。

 いつもみたいに睨んでいない目。

 それはまるで、悪い事をして反省している子どもみたいな、不安そうな表情。


「えっ……と」

 柳田さんの質問の意図も、見たことがないこの表情も、残念ながら一緒には処理できない私の脳ミソ。

 とりあえず返答から、と思って、緩く抱いたベビードレスに目を落とす。

「ま、まぁ、そうですね。楽しいですよ、思ってたよりも」

「じゃあマジックは?」

 わずかに低くなった、柳田さんの声色。恐る恐る、柳田さんに目を戻す。

「ん?」

「マジックやってんのは、『楽しい』か?」

 ポケットに突っ込まれた両手。

 目頭に滲む見たことのない哀愁。

「な、なに、言ってんですか」

「…………」

 本当に。急にどうしたの、柳田さん。どうしてそんなことを、突然。


 だ、だって、大前提として。


 「好き嫌いで物事を判断するな」って、いつも怒るのは柳田さんだ。

 「感情論で突き進むのはやめろ」って、口うるさく言うのは柳田さんだ。

 「物理的に出来るか出来ないかで判断しろ」って、眉間を寄せるのは柳田さんだ。

 「感情的な返答と考えは一番嫌いだ」って、ずっと言っているのは、柳田さんだ。


 それは全部、自分が『他人の感情』を察することが苦手で、出来ないからに他ならない。そんな人が、昨日今日で突然、『他人の気持ち』を理解できるとも到底思えない。

 自分からは言わないけど、柳田さんはずっとそのことで悩んでいるんだ。


 早く。なにか言わなくちゃ。

 私が出来うる限りで柳田さんに、私の気持ちの部分をわかってもらわなくちゃ──。

「たっ──」

 ただ。

 ここで言葉を間違えると、もう柳田さんの下に居られなくなる気がする。

 怖い。それは、嫌だ。


 不意に、なぜだかそう思って、私は一旦口をつぐんだ。

 マジック云々だとかは抜きにした、私の中に残ったこれって、なんの感情? あれ? 私、どうしてそんなことを思うの?

 ズキズキする胸の内側。わからないことが増えて、なんだか苦しい。

 でも、柳田さんにしっかりと返事をしてあげなくちゃいけない。よくわかんないけど、よくわかんないなりに真面目な答えを──。


「あた、当たり前じゃないですか。楽しんで、練習してますよ。やりたいこと、なんですからっ」

 生唾ゴクリ、もう一度柳田さんを向く私。

「て、てーか、らしくないですよ、『楽しいか』なんて訊くの。ホントどうしたんですか?」

 つらつら、と言ってしまってから、私は柳田さんの口から出てくるかもしれない『最終通告』をもやもやと想像して、びくびくしていた。

 顔の筋肉が引きつる。真顔を保つのって、こんなに難しかったっけ?

「…………」

「…………」

 無言の柳田さん。

 何を考えているのかさっぱりわからない柳田さん。


 もしかして、こんな不安な気持ちを、小さい頃から毎日毎日、他人に対して感じてたんだろうか。


 もしそうなら。

 もし、そうなら。

 私は──。

「わかった」

 目を伏せた柳田さんは、小さくそう吐き出した。フラリと揺れるように事務机へ向かう。珍しくかかとを擦る音が小さい。

「あ、あの柳田さんっ」

「確かに俺らしくねぇことだった。忘れろ」

「私、マジックをふざけてやったことなんて、一回もありませんからっ」

 中腰の私。引き留めるみたいに、なんか微妙な哀愁に染まっている背中に言葉をぶつける。

「秘書業務だっていつも真剣──ううん、何にでも全力投球しか出来ないんです、私」

「わーってる」

「力加減ができなくて、昔から。だから、柳田さんにその辺は勘違いしてほしくないです」


 柳田さんは、私に無理強いをしない。『やれば出来る』とわかったことだけを頼んでくる。私を丁度よく頼ってくれるし、私のことを外側からわかってくれている気がする。

 それが、なんとなく心地いい。

 柳田さんが取る距離感が、心地いい。

 お陰で私も、自分のギリギリで手の届く範囲をひとつずつひとつずつこなせている実感がある。「出来ない」「出来ない」と責められる日々だったこれまでとは違う心地を、私は柳田さんの傍に来てから毎日味わえている。


 この気持ちをハッキリと伝えてしまいたいけど、そうしたら確実に柳田さんを困らせる。煙たがられる、ような気だってする。

 私、きっとそれが怖いんだ。


「わーってるって」

 振り返らないまま、放たれた返答。

 わかってる、だって? そんなの、絶対嘘だ。私の本心がわかんなくて、怖がって、そんな『らしくない』質問してきてるのに。

 今柳田さん、どんな顔してるの?

 どんなこと考えて、なにを怖がってるの。


 私は、かけるべき言葉がわからなくなって、しぼむように俯いた。中腰を下ろして、ベビードレスになりたての布の集合体を、センターテーブルへと置いて。

 落ち込むことじゃあない。そもそも、私は何に落ち込んでるんだよ。


 いつの間にか書き仕事を始めていた柳田さんに気が付いて、私もそっと、ボタン付けに取りかかることにした。


 ちょっと、いやちょっと以上に寂しいと思う、夕方だった。


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