5-2 change of kindness

「──い」

 ガシャンガシャンと機械ミシンが行う針の上げ下ろしを、まばたきを忘れるくらいに見つめ続ける私。

 やっぱいいな、ミシンは。仕上がりが早い。それに、使い慣れたものってのがまた格別。

「おい」

 あれ、手が震えてる。もしかして私、楽しんでる? あんなに「熱中できない」って思ってたのに。

「おいって」

 裏地に採用したのが、ガーゼ生地で良かっただろうか。いや、新生児の肌に触れるんだから、優しいものの方がいいに決まってる。

「チッ」

 ガーゼ、サテン、ベールの順番で重ねれば、ドレスらしくていいよなという結論に至って、早速ガーゼとサテンでドレスの下地を作っているわけだけど。

「おいコラっ!」

「うっわ!」

 肩を跳ね上げて、耳にキンとしたその声の主を振り返る。

「なっ、なんだ。柳田さんかァ」

「なんだたーなんだ、テメー。散々無視しやがって」

 私──服部若菜の現在の雇い主、柳田探偵が背後に立っていた。相変わらずの低い声と、吐き捨てるような舌打ちが添えられる。


 私は、柳田探偵事務所の応接用の一人がけソファに座って、ミシンと向き合っていた。すっかり自分の生い立ちに思考が奪われていたんだった。変に集中しちゃってたな。

「す、すみません。無視してました?」

「し、て、た。ったく、どんだけ声かけさすんだっつの」

 ガシガシと後頭部を掻いて、柳田さんはフハァと大袈裟に溜め息を漏らす。


 愛想無し、態度悪し、目つき悪しの『マイナス要因トリプルフェイス』の柳田さん。だけどたまーに、誰も気が付かないくらいの優しい気持ちをうっすらと発揮してくることがある。

 昨日、前の大家からこのミシンを取り返せたのも、柳田さんが口利きをしてくれたから。前の大家に滞納してた賃貸料とか延滞料だとかまで肩代わりしてくれて、なんか予想以上に頼りになるし優しくない? ……まぁ、肩代わりなだけで、分割して給料からしばらく引かれることになるんだけどね。


「いい加減もう閉めるぞ。区切りつけて、残りは明後日月曜にしとけ」

「え」

 柳田さんのその言葉に、キョトンとする私。待ってよ、だってミシン始めたのはついさっきじゃなかった?

 そう思って、入り口近くの壁に掛かってる時計に目をやる。

「ええっ?! は、八時半?!」

 隣の花屋で依頼主と会って打ち合わせたのが、一七時ちょい前。探偵事務所ここが閉まる一八時までの一時間くらいやろうかな、とか柳田さんには言ったはずなのに!

「二時間以上オーバーしてるじゃないですか、どうしてもっと早く教えてくんなかったんですかっ!」

「呼んでも反応しなかったからだろーがっ」

 呆れたみたいな返答。ぐぬぬ、そうだった。

「ていうか、待っててくれたんですか? 私の作業が終わるの」

「はっ、ちげっ。い、依頼業務だからだっつの!」

 あ、耳がちょっと赤い。照れてる証拠。それを隠すみたいに、赤茶けた天然パーマ気味のボサボサ髪を掻きあげながら、柳田さんはかかとを擦って事務机へと向かった。

「何考えてた」

「え」

 ミシンに向けたようとした視線を、もう一度柳田さんへ戻す。

「何考えながら作ってたんだよ、それ」

 柳田さんは、すっかり私に背中を向けていた。火元の確認をし始めたんだろう、振り返る素振りはない。

「別に、大したことじゃないですよ」

「フゥン。俺様を二時間以上も無視しといて、説明するほどでもねぇこと一生懸命イッショーケンメー考えながらやってたってのか」

「いや……」

 構ってチャンかよ──って出そうになった口を閉じて、呑み込んで、深呼吸。危ない。別の言葉を用意して、と。

「そうじゃないですけど。まぁ、気が付いたら生い立ちに辿り着いちゃってて」

 ミシンから、ベビードレス未満の布の集合体をそっと外す。

「生い立ちだ?」

 怪訝にする柳田さんの声。しょうがないなぁ、サラーッと説明してあげよう。

「水商売一筋の母親が、客からチケット貰ったことがあったんですよ。それが、YOSSYさんが前に居たサーカス団のチケットだったんです」

「……レーヴ、サーカス」

 いやに低い声。「そうですそうです」と頷いて返す。

「それで、それ観に行って、感動して泣いちゃって。そこからYOSSYさんの背中を追いかけようって決めたんだったなぁ、と思い返してしまったわけです」

 柳田さんを向く私。いつの間にか柳田さんも、私をじとっと見ていた。


 相変わらず寄ってる眉間。

 睨んでるような細い目。

 山なりの口はなんだか不服そうな雰囲気。


 やっぱり、YOSSYさんの話は地雷なのかなぁ。すんごく機嫌悪くなるなぁ、もうすっかり怖いとかは思わないけど。

「前から訊こうと思ってたんですけど、どうしてそんなにYOSSYさんのこと嫌ってるんですか?」

「…………」

 あ、目を逸らした。訊かれたくないことなんだ。

「スクラップした記事とか掲載雑誌、あんなに集めてるのに」

「あ? テメーなんでそれ知ってる」

 げっ、ヤバっ! 秘密だった! 慌てて口元を覆うけど却って怪しい。ぐぬっ! やらかしちまったぜ!

「こっ、この前っ! そそそそこの戸棚の雑誌倒れてるの見つけて立て直したときに、みみみ見えてしまったんですぅ」

 うわあ、ヤバァ、雷落とされるかもしんない。もう、私のアホ!

「あっ、あのあれ、『平積みは見栄え悪いので立てときました』ですっ」

 この前用意したイイワケをペラペラ。ヒィー、バレるなよ、バレるなよ?!

 でも、なんだか柳田さんも表情をカチカチにしてる。ん? 何、この反応?

「あっ、ありゃ、あの、か」

 え、なぜ柳田さんがしどろもどろに? 左手を首の後ろへやって、視線を俯けている。

「かっ形見だから、だな。祖父じいさんの」

「形見?」

「そ、そーだ。形見」

「なっ、なぁんだ! YOSSYさんのファンだったのは、柳田さんのお祖父じいさんだったんですね」

「ファンなんだかなんなんだか知らねぇけどよ」

 すんごい小さい声で、そう言った柳田さん。くるっと背中を向けて、例の戸棚を注視している。

「俺はな──」

 普段よりもっとずっと低い声。腹の底に響くようなその声は、どことなく怒気をはらんでいる。

「──アイツにずっと、腹立ってることがあんだよ」

 腹立つこと? それほどの距離の縮まったことのある接点が、やっぱり二人にはあるんだろうか。

 柳田さんは、振り返らない。

「いつか話つけてやろうと思ってんだが、怒りの方が先に出ちまっていつも話し合いになんねんだ。だからなるべく顔合わせねぇようにしてんのに、アイツのが勝手に寄ってくる」

「YOSSYさんは、柳田さんのこと好きみたいですもんね。家族紹介しちゃうくらいには」

「……知らね」

 あれ? 随分寂しそうな声色。単純に好き嫌いの問題でもないんだろか。邪推若菜ちゃんが登場しちゃうよ?

「おら。あと二分で片付けろ」

「ええっ、二分?!」

「無駄口叩かねーでやれば出来んだろ」

「なんですかそれぇ! 無駄口叩く質問したのはどっちですかっ」

「超過分は、時給換算しねぇからな」

「わ、わかってますっ」


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