3-4 come shine

 過去、小田蜜葉はなにかの拍子に、母親にデザイン画趣味を見られてしまったことがある。

 その際に強く否定された。「くだらないことに時間を割くな」と注意を受けた。なれるわけがないからと、幼い夢の詰まった進路を踏みつけられた。

 一方で父親からは、箱入りのように徹底された『押し付け』を強いられている。こうであれ、こうあるべきだと、強い言葉で縛られ続けている。


「親にはずっと、む、無駄だって、言われてきたんです。なっても意味がないとか、そんなの仕事じゃないとか、勉強やって成績だけ上げてろ、だとか」


 それらの経験が、小田蜜葉を萎縮いしゅくさせ、隠しとおさせ、好きなものや本音や意見などのすべてを内に秘め続けさせる原因となっている。


「でも、止められないから、デザイン描くこと。好きだから。描きたくなって、しまうから……」

 徐々に頭を下げていく、小田蜜葉。肩が震えている。

「だから隠して、こっそり、描いてるんです。描ききって、アイディアが尽きて、すっぱりやめられたらいいのに」

 目の前がくらくらとする。じわじわと涙が溜まり、こぼれてしまいそうになる。

「でも外の世界のデザインを見ると、さん、参考にして、また次を描いてる、わたしがいて」


 しかし。


「これ、これは、わたしの唯一の、ストレス発散方法、なんです。だから、その、あなたの言うスゴい価値じゃ、な、ないって、思ってて」


 顔を上げた先にてホットココアを嗜む男──YOSSY the CLOWNだけは違うらしい。小田蜜葉の描きかけのデザインに一目惚れをし、更にはそれを具現化したいと申し出ている。


「そっそれに、ストレス発散のために、描いたものなんて、あの、贈られて嬉しい、でしょうか」


 YOSSY the CLOWNの審美眼の良し悪しは、小田蜜葉にはわからない。わからないが、世界的有名ブランドのイメージキャラクターという肩書きが、彼にはある。どうやら小田蜜葉の衣装デザインは、『商品価値』を付けられるレベルにいると言われているに等しい。


「じゃあ、例えばキミは──」

 YOSSY the CLOWNは、引き結んでいた薄い唇をそっと開いた。

「──その今着てる制服のデザイナーがどんな気持ちでデザインしたかまでを考えながら、制服を着たことがある?」

「え」

「その制服のデザイナーのこと、朝からいちいち考えて袖をとおす?」

 YOSSY the CLOWNは声色柔く、そして右足を高く組んだ。

「怒りとか落胆のエネルギーを作品にぶつけることは、世間一般的にみても大して変なことじゃあない。ピカソだってベートーヴェンだって、絶望の縁を作品にした人たちだ」

 「そんな有名人と並べられても」、と小田蜜葉は内心でひとりごちる。

「それに、一昨日見たキミのデザインデッサンからは、ネガティブなものは感じられなかったけどね」

「そん……そう、ですか」

「楽しそうだったよ。わくわくして描いていたように、『俺』には見えた。たとえストレス発散だったとしても、キミはノートの上で、ポジティブな気持ちに変換して、愛ある作品に仕上げているように思えたけど?」

 ようやく柔く微笑まれると、蜜葉は意固地になっている自分に気がついた。

「そのときはどんな気持ちで描いたにせよ、『僕は』キミのデザインは特別だと思ったよ。先に他の誰かに目をつけられるよりも早く、キミを手に入れたいと思うくらいにはね」

 こうも真っ直ぐに見つめられ、肯定され、更には求められている。今までそのような経験を、蜜葉は一度もしたことがなかった。首から下へ鳥肌がゾワワワと一気に駆け抜ける。

「どれだけ僕が、キミのデザインに心奪われたか。これだけ説明しても、受け入れてはもらえない? 冷やかしとか、そういうんじゃないってことも含めて」

 急にカタカタと震えだした奥歯。それを黙らせるように、ぎゅうと噛み締める。それを合図にしたように、今度は鼻の奥が涙の味でツンとした。蜜葉は慌てて俯き、膝を睨み見る。

「このYOSSY the CLOWNに、探偵を使って捜させるほど、キミのあの衣装デザインに惹かれた。そのことだけは、伝えたかったんだけどなぁ」

「…………」

 返答を言いたい。しかし、震える口元、声、肩、全身。それらにより、何も出てこない。

 一言でも、目の前の人へ返したいのに──小田蜜葉は拳をきつく握る。

「キミが『どうしてもイヤ』って言うなら、僕は計画していたいろいろを諦める。そこまで強要できるほど、僕に利権はないからね」

「…………」

 YOSSY the CLOWNは、押し黙ってしまった小田蜜葉の頭頂部を眺めていた。背を離し、ホットココアが生温くなったことに気が付き、静かに半量を飲み下す。

 どうしたもんかな、と聞こえない溜め息を吐いた。

「……あの」

「ん?」

 三分が経って、小田蜜葉が風前の灯のような細い声を出した。

「こわ、怖いんです、わたし」

「怖い?」

「は、母に否定されて、嗤われたとき、のこと、ト、トラウマみたい、な、っ感じで、その」

 しゃくり上げる言葉尻が、か弱さを訴えてくる。

「俺は、否定してないよ」

「そっれ、それでもっ、やっぱりその、怖くて……わたし」

 言いながら、小田蜜葉は足元の合皮の黒鞄を膝元へ持ってくる。帰られてしまうかもしれない、とYOSSY the CLOWNも腰を上げられるよう身構えた。

「でもっ、わたし、わたし……ずっと思ってたことが、あるんです」

 俯いたまま、合皮の黒鞄へ右手を突っ込む小田蜜葉。

「わたしも、誰かを笑顔に出来たらいいなぁ、って。わたしの『創作物』が、いつか誰かの心に刺さったらいいなぁ、って。私がいいと思ったんだから、もしかしたらもう一人くらい、世界のどこかの誰かも同じように、いいと仰ってくれたらなぁ、って」

 顔を上げた小田蜜葉。その双眸そうぼうには、ゆらゆらと大きな涙粒が溜まっていた。

「その『もう一人』が、柳田さんなんだとしたら……わたしの勘違いとか、うぬぼれじゃないんだとしたらっ。こんな幸運、もう来ないかもしれないなぁって、今すんごく、思うんですっ」

 ぱたぱた、とこぼれ落ちる涙粒。白い小田蜜葉の頬を伝い、白地のセーラー服をわずかに濡らす。

 そうして、YOSSY the CLOWNへずいっと向けられる一冊のノート。B5大のそれは、一目見ただけでも随分と使い込まれたことがわかる。

「これ……」

「わたしの、一昨日まで使ってた、デザインノートです。はじっ、初めてわたし以外の、誰かの目に触れますっ」

 ノートがガタガタと震えている。

「ひと、ひとつでも気に入らなければっ、わたし、のことは、わっ、忘れてくださいっ。だからっ、どうかわたしの、わたしの作品っ、に、見解をくださいっ」

 ぼたぼた、流れこぼれ続ける小田蜜葉の涙粒。YOSSY the CLOWNは、ゆっくりと口角を上げ、ソファから立ち上がる。

「わかった、ありがとう」

 両手で受け取られる、デザインノート。YOSSY the CLOWNの手に渡りきるなり、鼻を啜る小田蜜葉。

「キミの勇気に敬意を表して、真剣な答えを言わせてもらうことにする。取り繕いはナシ。OKいいかな?」

「はっ、はいっ」


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