3-3 come rain or

 枝依中央ターミナル駅傍──ホテル・ブルーダッキー1F カフェラウンジ、窓際席。



「改めまして、僕はYOSSYヨッシー the CLOWNクラウン。主に舞台や劇場で活動してる、世界的有名パフォーマーだよ」

 向かい合って座るソファのふかふか具合を堪能するように、善一──もといYOSSY the CLOWNは、その細長い身をそこへ沈めていた。右脚を高く組み、ひじ掛けに右肘を乗せ、寄りかかっている。

「えと。小田、蜜葉です。高校二年っ、です」

 緊張した面持ちが続く小田蜜葉は、やっとのことで震える声を発した。背もたれに背をつけず、両の手はその膝上にて固く握られている。

「今日は来てくれてありがとう」

「いっ、いえ! えと、わたしもお話したかった、ですし。あ、あと、逃げてしまったのとか、昨日は傘袋まで拾っていただいたりして、その、申し訳なく思ってて」

 傘袋の件は良二だな、と視線のみを逸らすYOSSY the CLOWN。運ばれてきて間もないホットココアで、口腔内を潤した。

 小田蜜葉の前には、ホットロイヤルミルクティ。そこから立ち上る湯気を眺めながら、緩くウエーブのかかる黒髪を左耳へ掛け、口を開く。

「あのォ……お訊ねしても、構いませんか?」

 下から窺い見られるYOSSY the CLOWN。即座に「どうぞ」と左掌を向ける。

「『柳田さん』、なんですよね?」

「うーんまぁ、『柳田さん』なんだけど、今は『柳田さん』じゃないんだよ」

「ん?」

 けろりとした表情でかわしたYOSSY the CLOWN。小田蜜葉のキョトンとした顔を気に入ってしまったようで、敢えて困惑させる発言をしたらしい。フフッと笑んで、頬杖を解く。

「僕は『柳田』の名前で世間に売ってはいないから、今は『柳田』じゃあないんだよね。戸籍上『柳田』ではあるんだけど、Signorinaシニョリーナと今話をしているのは『YOSSY the CLOWN』の僕なわけ」

「あ、えと……え?」

「だから僕の事は、『YOSSYさん』って呼んでもらえるとありがたいなぁ」


 困惑による沈黙が五秒間。


 ポカンと口を開け、首を捻る小田蜜葉。

 ニコニコとそれを見つめるYOSSY the CLOWN。ホットココアのカップを手に取り、一口未満を口に含む。

「まぁつまりは、公私混同をしないようにする工夫のひとつなんだよ。Signorinaと今話をしたいのはオフィシャル、つまり『YOSSY the CLOWN』のときの僕ってわけね。ここまでいい?」

「は、はぁ」

「で、Signorinaが言う『柳田さん』は、私生活プライベート……つまり本名の時の僕ね。そっちは、Signorinaに今のところ用事はない」

 敢えて『今のところ』と明言するYOSSY the CLOWN。私情を押し込め、ビジネスとして接していく旨を強調する意図があった。

 一方で、今の一言に心がチクリとした小田蜜葉。

「えぇと、ということは。多重人格などなど、ではない。のですね?」

「アハ、そうだったら面白かったんだろうけど、残念ながら違うんだよ」

 YOSSY the CLOWNの言う「面白さ」が、小田蜜葉にとってはいまいち共感に欠ける。

「じゃあ昨日お会いした、柳田さんは、私生活プライベートだった、ということでしょうか?」

「いや、あれはそもそも僕じゃあない」

「えっ? で、では、昨日の『柳田さん』は……」

「あれは僕の弟」

「お、弟、さんっ?」

 驚きのあまり、肩を縮めて両手を胸元に持ってくる小田蜜葉。真ん丸に見開いた黒目に、YOSSY the CLOWNが綺麗に映り込む。

「西区で探偵をやってる、僕の双子の弟なんだ」

「ふたっ、双子……」

 肩の力が一気に抜けた小田蜜葉は、ようやく合点がいったといわんばかりに、忙しなく目をしばたたかせた。

「すっかり外見見た目は似てないと思ってたし、まさか間違われると思わなかったよ」

「今更、かなり、その。は、恥ずかしいです」

 頬から耳からを真っ赤に染める小田蜜葉。尻すぼみになる言葉を隠そうと口元を覆い、ソファの背もたれに背をうずめる。

 YOSSY the CLOWNは組んだ脚をそっとほどき、深呼吸をひとつ。背もたれから背を離し、「あのね」と口を開いた。

「まず、いろんな話をする前に、それについて謝りたくて」

「は、はい?」

「実の弟とはいえ、探偵を使ってSignorinaキミの事を調べさせた。申し訳ない」

「え、ええっ?!」

 そうして突然頭を下げられたので、慌ててソファから半立ちになる。

「そ、そんなっ。あた、頭を、上げてくださいっ」

 言われたとおり、素直にそっと頭を上げるYOSSY the CLOWN。姿勢を正した彼の透視率の低いシルバーレンズの奥が、至極真剣に小田蜜葉を向いている。引き結んだ口元に、YOSSY the CLOWNとしての笑みは残っていない。

 震える唇を、YOSSY the CLOWNが言葉を紡ぐより早く、懸命に動かす。

「た、探偵さんを、使ってとか、ちょっと現実味がなくて、そ、そもそもの真偽が、わからないですが──」

 小田蜜葉はゴキュ、と息を呑んだ。

「──そうまでするくらいの、お話が、わた、わたしに、あるのですね?」

「うん」



  キミのデザイン、チラッと見て気に入っちゃって

  ぜひ、ステージ衣装にさせてもらえないかな



 名刺裏に書かれていた文言を、断片的に思い出した小田蜜葉。ストン、とソファへ腰を下ろし、わずかに眉を寄せる。

「お名刺の、あの件、ですよね」

「そうだよ。Signorinaキミが描いてた、あの衣装デザインについてだ」

 唇をひと舐めすると、そこから水分がとられてしまった。視線を外すのははばかられたが、目の前の甘いロイヤルミルクティの薫りに、どうしても手が誘われてしまう。

「贈りたい、大切な方がいらっしゃる、と、お書きに、なってましたね?」

 小さく「戴きます」と呟く小田蜜葉。ホットロイヤルミルクティのカップを手にする。

「うん。幼い兄妹へ向けて、なんだ。出逢ってからずっと、僕は彼らに救われている」

「その、お礼?」

「まぁね。サプライズにしたいから、二人はこうして今Signorinaと会っていることも知らないよ」

 優しい笑みのYOSSY the CLOWN。語尾と共にウィンクが小田蜜葉へと飛んでくる。バチンと小田蜜葉の頬の辺りにぶつかれば、顔を真っ赤に照れてしまった。慌ててロイヤルミルクティに口をつける。

「そういえば、僕のことは調べてみてくれた?」

「あっ、はい。簡単に、でしたが」

 カップを手にしたまま、小田蜜葉はまっすぐにYOSSY the CLOWNを臨む。

「ありとあらゆるパフォーマンスをしながら、世界を廻っていらっしゃる、と、ありました。有名ブランド『OliccoDEoliccO®️』の、イメージキャラクター、をお務め中、ともあって。あぁ、なるほどと」

「なるほどって?」

「あの、今日もですけど、あんまりにその、素敵なシルエットだなと。あのとき、無我夢中で、つい、手を動かしたく、なりましたので」

 顔は真っ白のまま、着ていたスーツだけをデッサンされたあの絵の話だ、と察するYOSSY the CLOWN。

 右目の端がピクリと凍る。当然である。


 YOSSY the CLOWNの矜持プライドは、世界のあらゆる山岳よりも高いに等しい。『スーツの方が目にいく』という企業側にのみ利のある状況は、パフォーマーYOSSY the CLOWNとしては許しがたい事象なわけで。


「……なるほど?」

 カップをソーサーへ戻し置き、組んでいた脚を掛け変えるYOSSY the CLOWN。

 嫉妬から成る怒りの感情など、表には出せない。それこそ、彼自身の矜持プライドが許さない。

「それでSignorinaは、世界的有名パフォーマーのこの僕を『マネキンにして』、僕のスーツを描いてたわけだ」

「まっ、マネキンだなんて! ちが、違いますっ」

 潤む瞳を向けられる。YOSSY the CLOWNとしては動揺してはいけない。顔色そのままに、鼻呼吸でいなす。

「や、柳田さんが、あの場でその、か、輝いて、見えたので!」

「『柳田さん』じゃなくて『YOSSYさん』ね」

「有名とか知らない状態でも、です!」

「それも傷つくなぁ。僕、世界でもかなり有名なんだけど」

「わたし、あのときの柳田さんに、触発されて、あぁの、スス、スケッチを、ですね」

「でも顔描いてくれてなかったじゃない? で、『YOSSYさん』でよろしく」

「みっ、ご、ご覧になってたんですか?」

「うん。あれ? ダメだった?」

「は、恥ずかしい、です。見られる、のは」

 真っ赤に頬を染め、縮こまる小田蜜葉。

 ぐらんぐらんと揺さぶられる、私的な彼の理性。なんだか調子が狂うな、とサングラスに触れる。

「そのくらい、わたし、自分の描いたものに、その、自信がないです。誰かに見せたことなんて、無いですし」

 俯いたまま、小田蜜葉はそう続けた。

「だから、こんなに有名な方が、わ、わたしのデザインを現実に、おこすなんて、違うと思うんですっ」

 顔を上げた小田蜜葉は、今にも泣き出しそうな表情をしていた。

「嬉しかったけど、わたし、どうしたらいいか、わからなくて、不安で」

「…………」

「その答えを、見つけられるかな、と、思って今日、柳田さんに会いに、きました……」

 顎に手をやったYOSSY the CLOWNは、「『柳田さん』じゃないってば」と口腔内で宙吊りにした。


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