3-2 change the feelings
「柳田さん。依頼受けてきました」
柳田探偵事務所に戻ってきた若菜。サムとエニーは善一へと引き渡され、若菜と入れ違うようにしてそのままホテル方面へと帰ってしまった。
アルミ扉が三人を送り出してから、五秒経過。その後に冒頭の言葉を発した若菜を、良二は三人がけソファに寝転んだまま凝視。
「……あんだって?」
「花屋のてんちょからなんですけど、まわりくどそうだったので引き受けちゃいました」
小さなシンクでザカザカと手洗いをする若菜。良二はむくりと起き上がる。
「まわりくどそうってなんだ。つか、依頼内容くらい俺様を通せ」
「あ、スミマセン」
手を拭いながら振り返る若菜。ケトルに水道水を注ぎ入れ、火にかける。
「厳密にはてんちょの知り合いの人が頼んできたことなんですけど、新生児用の服作れる人探してほしいって内容で」
「新生児?」
「その知り合いの人、孫娘が産まれたばっかみたいで、贈り物にしたいんですって」
「期限は」
小さな冷蔵庫から取り出した缶コーヒーを手にする若菜。そのまま八歩で良二へ歩み寄る。
「来週の木曜です」
「一週間ねぇのか」
左手で缶コーヒーを受け取る良二は、きゅ、と眉間を詰める。若菜はシンクへリターン。
「土日含めの六日間で服作れる人間を探して、服を完成させなきゃなんねぇのな?」
「さっすが柳田さんっ! 話早いですねぇ」
歩み戻った小さなシンクに、白磁色のマグカップをタンと置く若菜。
「それでね、作れる人探すのも時間かかるかなーと思ったんで、私が引き受けようかなって提案してきたんです」
驚きのあまり、プルタブを空け損ねる良二。痛める左人指し指。
「な、何?」
「私、服作れるので、私が引き受けようかなって」
良二を振り返り、敢えてゆっくりと告げる若菜。チョイチョイ、と右人指し指を自らのあまり高くはない鼻先へ向けている。
「……まァたあのヘッポコクオリティーじゃあねぇだろうな」
「なっ、ま、『また』ってなんですか」
「マジック出来るだの言っといて、結局ガキのお遊戯以下だったじゃねぇかよ」
「ばっ。もう! 言い方最低ですよ」
「嘘じゃねーし」
カシュッと軽快な一音で、ようやく開くプルタブ。ギリリと奥歯を歯軋りする若菜。
「でェ?
ジュジュジュ、と啜るブラックコーヒー。「行儀悪ぅ」と喉の奥で宙吊りにした若菜は、否定も肯定もせずに、言いたいことをさらりと放つ。
「それにはまず、ミシンが必要かなと思ってます」
「……ん?」
啜る音を止めた良二は、目蓋を上げて若菜を再度凝視。
「当たり前じゃないですか! 私がチャチャーっと作ってやりますよっ」とかなんだとか言い放ち、加えてふんぞり返っている姿が、普段の若菜から予測し得る「覚悟があるだろうな?」に対しての
それがなぜだか珍しいことに、今回は調子に乗ったテンションでものを言ってこない。
肩すかしのような手応えのなさ、そして脆く崩れそうな戸惑いを、良二はその胸の内に柔く抱いた。
「ミシンだと?」
眉を寄せ、問い返す良二。
「そんな細かい機械、扱えんのかよ」
「私、家政科卒なんで」
「かっ、カセーカ?」
「だからホントは手縫いでもイケるんですけど、時間はかかっちゃいます。それじゃ意味ないじゃないですか、時間ないのに。それに、掃除とか他の仕事、出来なくなっちゃうし」
「一回こっきりのために、経費でミシンを買えっつーのか」
「探偵・柳田良二の名に恥じないような迅速丁寧な仕事をするためにも、私にはミシンが必要なんです。手縫いじゃあどうしたって限界があります」
若菜は覚悟を決めて、良二へ向かってぎゅんと頭を下げた。
「お願いします! 前持ってたミシンは、前の家賃のカタに大家に持ってかれちゃったんですっ」
初日に下げたときのように、九〇度以上の角度で真剣さを表す若菜。「またこれか」と、後頭部をガシガシと掻く良二。
「前の家賃のカタってなんの話だ、聞いてねーぞ」
「前のアパートは家賃滞納で追い出されました! 恥ずかしすぎて、黙ってました!」
そんなところから金の使い方がなっていないのか、と眼球をくるりひと回し。
「前の大家っつーのはどこにいる」
大きな溜め息の良二は、三人がけソファから立ち上がる。下げたときと同じ勢いで、ガバッと頭を上げ戻す若菜。
「えっ、取り返してくれるの?!」
「あん?」
「と、『取り返してくださるんですか』っ?」
「新品買うより、テメーの使い慣れたモンの方が、勝手知ってて倍速だろ」
「は、はい! 今まだ大家の手元に残ってるかはわかんないですけどねっ!」
「無かったら手縫いでやるんだな」
通りすがりざまに、空になった缶を押し付けられる若菜。
「今から前の大家んとこに案内しろ。時間ねぇし、早ぇとこ取り返すぞ」
「はいっ! ありがとございます、柳田さんっ」
♧
五時間後──
柳田善一は、YOSSY the CLOWNの仮面を貼り付けて、
善一は当然、全身『OliccoDEoliccO®️』で染めている。
真っ黒細身スーツに瑠璃色シャツ、シルバー地に薄水色の格子柄ネクタイ。瞳を隠すためのサングラスは、黒のフルフレームにメタルシルバーのレンズで、派手さは霞んでいる。
人だかりがはけ、わずかに覗いていた太陽が曇天に隠れきった頃。ポツリと一人、善一をじっと眺めている人影に気が付く。
「やあ、お待ちしておりましたよ、Signorina」
「こっ、こん、にちはっ」
揺れる柔らかな黒髪。
わずかに潤んだ黒い瞳。
縮み上がる肩、左のそこに下がる合皮の黒鞄。
鞄の紐を固く握る、白く冷たそうな両手。
泣き出してしまいそうなほど震えている声色。
小田蜜葉本人だ。
「よく来てくれました」
「いいっ、いえ!」
極端な緊張具合に、おかしさが込み上げる善一。笑ってはいけない、と思う傍ら、しかし「ふふっ」と漏れた口元が薄く弧を描いた。
「きっ、昨日は雨、大丈夫、でしたか?」
「雨?」
「あの、パラパラ降ってきて、駅までその、走られてたみたい、だったので、その……」
「気になって」と、消えるように続いた言葉。善一は「はーん?」と片眉を上げ、腰に手を当てた。
良二が、
「ホントだったんだなぁ」
「え?」
「あーいやいや、なんでもないですよ、Signorina」
貼り付けた笑顔へ返される、無垢な笑顔。
「ね、ちょっと話せる? まぁ話せるから来てくれたんだろうけど」
「はっ、はいっ。はなっ、お話をするために、その、まいりましたっ」
「
コクリと小さく頷く蜜葉を見て、善一はゆるりと背を向け歩き始めた。
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