6-4 childhood's hopes

        ♧



「それさァ──」

 初めにそうして訊ねたのは、祖父じいさんへだった。

「──こうしてこう、で、合ってる?」

 俺の手元を眺めていた祖父じいさんは、明らかに目を丸めて、息を呑んだ。わずかに言葉に迷ったような反応を見せてから、そっと一言をこぼす。

「マジかよ。コピーしたみてぇに出来るじゃねぇか」

 緩く、シワの寄ったほうれい線を、そうして持ち上げた。しわくちゃの手で、ちっぽけなガキだった俺の頭をガシガシとなでくりまわし、やがてカラカラと笑った。


 祖父じいさんが笑うと、俺も少しずつ笑えた。

 祖父じいさんが「いいぞ」と言うだけで、向上心が芽を吹いた。


「俺も芸人に、なれるかな」

 それからしばらくして、ボソリと本音を呟いてみた。

 滅多に望みなんて言わない内向的な俺を気遣ったんだろう。祖父じいさんは「どうだかな」と言いながら、反面で肯定的な意見を添えてきた。

「サイレントパフォーマーなんつーキザな芸人も居るくらいだ。言葉扱わなくたって、芸だけで魅せるのもカッケーと思ったな」

「サイレント、パフォーマー……」

 それなら俺にも、出来る気がする。変な自信がついた。



        ♧



 日本──枝依西区、柳田探偵事務所。



「わかりません」

「わ、か、れ」

「見えません」

「見えるっつの」

「いい加減、細かいとこ教えてくださいよ!」

「だァらっ、いい加減盗めっつってんだろ!」

「だあーっもう! 盗めないって言ってんじゃないですか!」

 そんな堂々巡りを続けて、かれこれ二〇分。

 不意に見せた良二のマジックを、穴が空くほど見つめるも、「さっぱりわからない」とお手上げの若菜。


 良二は、初めて若菜がやって見せたトランプカードマジックを、極上に上手くやって見せた。しかも呼吸をするかのように滑らかに、自然に、そしてとても品良く。

 そんな良二の手さばきに、自らの行うそれとの相違点ばかりが目についた若菜。じわじわと気力を失いかけていたため、壮大な「はあー……」を吐き出すこと六回目を迎えている。

「じゃ、わーった。こう言やいいだろ」

 整った山にしてあるトランプカードを、良二は若菜へと手渡す。

「テメーは全部の動きがぎこちねんだよ」

「ほうほう」

 差し出されたトランプカードを受け取りつつ、がくがくと頭を上下に振る若菜。

「『上手くやってやろう』だの『失敗は許されない』だの考えて、身体からだ全部に力が入りまくってんのは、マジックをやる上で一番あっちゃなんねぇ」

「どうしてですか?」

「演者が力んでっと、観客も力むからだ」

 意外な解説に、若菜は「へぇ?」と吊り上がった目尻を見開いた。

「観客が力むと、その眼は純粋な興味だの好奇心だのじゃあなくなる」

「ほうほう、つまり?」

「好奇心は、簡単に粗探しに変わる」

「粗、探し」

 若菜は身に覚えがあった。良二のマジックをリラックスして眺めたときと、ギラギラと目を見開いて観察するときとでは、感じ方に差がある。

「力んだパフォーマーは、粗探しの標的にしてくださいって言ってるようなもんだ。だからまずテメーは力を抜くことから始めるこった」

「力を抜く、かァ」

 右手に持ったトランプカードの山札。それをそっと眺め、深呼吸をひとつする若菜。

「そっと、めくる。一枚目の、カード」

 ボソボソ、小声で呟きはじめたそれは、まるで自らへ言い聞かせているような声色。良二は事務机に頬杖をつき、若菜の手元を見守る。

「ナチュラール、ナチュラール」

 目を閉じ、歌うようにそう言った若菜。「呪文か」というツッコミが口腔内で待機する良二。しかし呑み込む。

「『はーいこのカード覚えてくださいねー』とかなんとかァー、流れるようにィー」

 そうしながら、若菜の身振り手振りが変に滑らかに変わっていく。本気で力の入っていない動きを続ける若菜の様子に、良二はきゅ、と目頭を細めた。


 吹き出して笑ってしまいたい──珍しく良二は『笑いを』こらえていた。しかし、笑いには変えない。笑ってやるものかという意固地の精神が先に立つ。


 胸元から取り出したタバコへ火を点け、良二は見えないように一ミリだけ口角を上げた。



        ♧



 ある事象をきっかけに、祖父じいさんは新聞やら雑誌を片っ端からかき集めて、小さな小さな記事を見つけてスクラップするようになる。

「そんなの集めてたのかよ」

 低く問えば、祖父じいさんは背中で曖昧に「あぁ」と相槌あいづちを返してきた。

「そんなクズみたいな記事、嬉しいかよ」

 スクラップブックは一向に次のページへ進まなかった。記事が小さすぎて、全然嵩張かさばらないんだ。それが少しだけ歯痒かったのかもしれない。俺は、わざとそうして訊ねたんだ。

「別に」

 予想外の返答。ピクリ、左眉が上がる。

「生死確認がとれた証拠だから、別になんでもいんだよ。この際内容なんざ飾りだ」

「…………」

「生きてるなら、それでいいんだ」

 微かな舌打ちを口腔内に収める。引き際がわからずに、言葉を続けてしまう俺。

「ネットのがデケェの載ってんじゃねぇの」

「ネットだァ? ハン、あんなもん俺がわかるかよ。ジジイに『ハイテク』は触れねぇ」

「…………」

 年寄りの甘えだと思った。昔から柔軟な対応をする祖父じいさんだったが、さすがに歳を重ねて頑固になってきたんだろうと勘繰る。

「ま、さぞかしデケー記事がネット様にあるっつんなら、オメーが調べて印刷してきてくれよ」

 思い付いたように、祖父じいさんはくるりと俺を振り返った。

 それは力ない笑み。どことなく、体調が悪そうだ。

「どこで」

「高校でいいだろ」

「いいのかよ? 私用目的でそゆことやっても」

「相変わらずバカ真面目だな、オメーは。先生様の目ェ盗むのも、生き方のお勉強よ」

 カラカラと乾いた笑いが向けられる。そんなもんだろうか、と視線を逸らす。

「わーったよ。印刷してくりゃいんだろ」

「オメーも心配なんだろ?」

 細く問いかける祖父じいさん。そうやって簡単に俺自身の『見たくない本音』を、勝手に掬い上げてわざわざ見せてくる。

 いつもそうだ。祖父じいさんも、アイツも。

 俺は大層な間を空けてから、祖父じいさんに背を向けた。

「んなワケねぇだろ」

 音もなく閉めるふすま。ピシャンとやると、祖父じいさんがうるさいから。

「んなワケ、ねんだよ」



        ♧


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