section 7

7-1 crispy croissant

 それから三日後のフランス──某所アパルトマン。



 寝起き三〇分後の、午前八時半のこと。

「提案がありまぁーす」

 キッチンから戻って来たヨッシーが、そんな風にぽやんとした声を朝のダイニングテーブルに浮かべたから、ボクとエニーはぴたりと動きを止めた。サクッサクのクロワッサンにかぶりつこうとしていたんだけど、丁度オアズケを食らってる感じ。あんが、と開いた口を無理矢理閉じる。

「昨晩、飛び込みゲリラパフォーマンスの場所を決めましたー」

 つき立つ右人指し指。なかなか椅子へ座ろうとしないヨッシー。ああ、カッコつけたいんだろうな、フフ。

「それって、先週イギリスからこっちに来る飛行機の中で言ってた件?」

「そうそう」

「どこ、で、やるの?」

 エニーの小さな問いかけに、ヨッシーはにぃんまり、と頬を高く持ち上げた。一〇日後にはフランス国内での舞台公演ステージパフォーマンスを控えてるし、十中八九、近くだろう。

 ヨッシーは胸を張って、手を腰にあてがって、イタズラを思い付いたみたいな口調で言った。

JAPON日本だよ」

「え」

 まばたきを、ひとつ、ふたつ。そして、顔を見合わせる、ボクとエニー。


 ええと、待ってほしい。


 だからさ、一〇日後フランスここ舞台公演ステージパフォーマンスがあるって、決まってるよね? だったらフランス国内で、まぁ行っても近郊の国で『飛び込みゲリラパフォーマンス』やれば良さそうじゃない? その方が効率良さそうだしさァ。

 それとも、日本から慈善チャリティー公演の話が来たのかな? だからわざわざ飛ぶのか? あんまり時間のないこの時期に?

 あ、いや、別に、日本に行くのが嫌だとかじゃない、全然。むしろ心待ちにしてた。ご飯美味しいって話も魅力的だし、現地に行けば言語吸収のいい経験にもなるから。


「えと……」

 ボクはひとまず、ありきたりな返答をする。

「ヨ、ヨッシーの故郷だしね?」

「まぁね」

「いつ、行くの?」

「今日の夕方の飛行機に乗っちゃおうかなーって」

「や、あの……」

 バスとか電車感覚で言うなよ、と思ってしまったボク。

「ん?」

「ううん、何でもない……」

 浮かぶ、ボクの苦笑い。

 ヨッシーって、良くも悪くもフットワーク軽いと思う。『思い立ったらすぐの人』なんだな、とは気が付いてたけど、まさかここまでとは。

「あとね、俺の親族にも会いに行こうかなと思ってるんだ。キミたちをちゃんと紹介したいから」

「し、親族?」

 びく、と固まってしまうボク。右隣のエニーは、クロワッサンをお皿の上に落としちゃった。

「大丈夫。安心して。もうたった一人しか血縁は残ってないんだ。他はみんな、死んじゃって」

 えっ、と瞼が上がる。ヨッシーの顔をまじまじと見つめる。

 「みんな死んじゃって」なんてあっけなく言ったけど、それってかなり寂しいことじゃないのかな。ヨッシーのこの笑顔、なんとなく、哀愁っていうか悲壮っていうか、そういうのを隠す笑い方に見えて仕方がない。

「そ、そう、なんだ……」

 無言に耐えかねて、ヨッシーの発言をボクのそれでひとまず包んでおく。


 人の生き死にに関して、どんな言葉で触れたり寄り添ったらいいのか、ボクにはまだわからない。わからないけど、ヨッシーの傍で、元気が出るような何かはしてあげたいって思ってる。


 横目でエニーの様子を窺うけど、ピクリとも動かない。うう、ボク本当になんて言っていいかわかんないよ。

「たくさん、ツラい、想いした? ヨッシー」

「はは、まぁ、そうだね」

 エニーの小さな問いに、ヨッシーはちょっと──いやそこそこ、困ったみたいにやっぱり曖昧に笑った。

「二度と会えないのはやっぱり悲しいし、何より、そうだなぁ……むなしいよ」

「虚しい?」

「うん、虚しいね。死んでしまった親族の誰にも、僕の功績を見てはもらえないんだから」

 そういう、ことか。


 ヨッシーは、きっと死んでしまった中の誰かに、今こうして『立派に』やってることを褒めてもらいたかったのかもしれない。それこそ、この前の夜に話してくれたお祖父さんグランパとか。

 今のヨッシーは発信するだけで、だけどきっと受け皿が無い状態なんだ。虚しいと言ってしまうのも納得かも。


「お墓に報告に行くのは、ダメなの?」

 ふと、思ったことを口にしたボク。ヨッシーはくるりとボクを見つめる。

「日本は火葬して骨にするけど、その後はみんな同じお墓に入るんでしょ? 養護施設の本で読んだよ。お墓のみんなに、ボクがヨッシーのスゴさを報告してあげるよ」

 それじゃ嫌かな、と顎を引く。

「お墓に、ご挨拶。一緒に行こ、ヨッシー」

 エニーも静かにひとつ頷いて言う。

 ビックリしたみたいに固まってるヨッシー。え、もしかして思い付かなかったの?

「あ、はは、そうか、墓参り。なぁんだ。うん、そうだよね」

 しばらくして、石化から解けたように動き出すヨッシー。咳払いを挟んで、右拳を口へあてがう。

「えっと、では。今回も俺のワガママに、付き合ってくれるかな」

 照れたみたいに、ヨッシーがはにかむ。ボクたちよりもずっと子どもみたいだ。

「もちろん」

「当たり前」

「『今はボクたちがヨッシーの家族だよ』って、ちゃんと伝えるからね」

「うん、アタシも」


 ヨッシーのために、日本へ行く。

 ヨッシーのかつての家族にも、たった一人の血縁者血のつながりにも、しっかり会いに行くんだ。


 そう思うだけで、日本行きがますます楽しみになってきた。

「ありがとう、二人共」

 グレーのグラデーションレンズの奥で瞼を伏せて、優しく微笑むヨッシー。ヨッシーにも甘えたいときがあるんだから、今ボクが出来る『満面の笑み』を向けて、安心させてやらなくちゃ。

「ねえねえ、その『たった一人』は、どんな人なの?」

 ボクは質問を投げかけて、おあずけ状態だったクロワッサンを一口頬張る。もう無理我慢できません。乳製品好きのボクが、バターの芳ばしい香りがしてるのに、これ以上待てるわけないでしょ!

 サク、バリ。

 ワオ、最高!

 バターの薫り高さ、唇にぺたぺた貼り付く薄い生地、中身の薄皮みたいに白いヒダ! 歯触りも軽快で、ずっと何度もこの「サクッ」を聴いて感じていたい!

「んー、そうだなぁ」

 ボクがガツガツと頬張る様を眺めながら、ヨッシーはそっと椅子へ腰かける。

「俺がしない表情を、全部してくれる人だよ」

 両掌を胸の前でパチリと併せて、「いただきます」と日本語で呟くヨッシー。いいなぁ、ボクも日本語喋りたい。

「ヨッシーがしない表情?」

「そんなの、ある?」

 交互にボクとエニーが問うと、ヨッシーは「あるさ」と楽しそうに笑った。

「逆に、俺がする表情をその人はしてくれないね」

「へぇ」

「早く会いたいな、その人に」

「アタシも」

「フフ、俺もっ」

 ヨッシーが楽しそうにそうして笑ってくれるだけで、まばたきの次の瞬間を楽しみに思える。少しだけ、ヨッシーのフットワークの軽さの意味に気が付けたような気がした。


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