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 一方──枝依市西区、柳田探偵事務所。



「書き終わりましたよ。柳田探偵」

 A4紙を縦にした下半分に、善一は良二から渡されたペンで、必要事項を書き連ねた。

 整った字体。均一な大きさ。流れるような筆運び。

 相変わらず、小綺麗に書きやがって──良二は、善一の連ねた文字にすら嫉妬をおぼえ、やる気の失われた目をスウと細める。

「あーそうそう、忘れないうちに」

 右足を高く組み直し、胸元をまさぐる善一。流れるように茶封筒を出し、センターテーブルへ静かに置いた。

「なんだよ」

「依頼料」

「ハッ。用意周到なこった」

 それへと手を伸ばし、糊付けされていない封筒口をパカリ。一万円札が一〇枚入っている。

 良二はジロリ、善一を睨む。

「どのみちこれ置いて断らせねぇつもりだったな?」

「さあ? でも今引き受けるって言ってくれたじゃん、良二」

「結果論だろ」

「お望みとあらば、結果に至るまでの過程プロセスをもう一回やってもいいけど?」

「断る」

 封筒から、中身を四枚だけ静かに抜き取る良二。

「まだ多い。残りは任務遂行後によこせ」

 中身が六枚残った茶封筒を、センターテーブルへ置き、ずいと善一へ返却。「はいはい」とどこか嬉しそうに善一は笑んで、茶封筒を胸元へ回収。良二は裸の四枚を、甘くふたつ折りにし上着ジャケットの右ポケットへ隠した。

「で? いつまで日本ここに居ンだよ」

 A4紙を一度バサリと波立たせ、目通し始める良二。

「決めてない」

「あ?」

「一応五日間は居ようかと思ってんだけど、場合によってはギリギリまで居る」

 A4紙から目を上げる良二。

「ギリギリってなんだ」

「来週フランスで公演ステージあんだよ。四日間、八ステージ分。だから直前までにはフランスに戻るんだけど、それまでは暇なんだ、俺」

「フン。それで日本見学か」

「まぁ見学っつーか、下見っつーか」

 曖昧な言い方をするときは、真意を探られたくない時だ、と、良二は善一に方程式をあてはめ、目を閉じる。

「……墓は」

 低い、良二の一言。善一の胸の奥がズキリときしむ。

「明日、行ってくる」

 善一の声色も、自然と低く小さくなる。

「アイツらもか」

「うん。教えておかなくちゃなんないだろ」

 言いながら、善一は窓の外へゆるりと視線を逃した。ふわりと起立し、『偵』の窓へと近付く。

「命日だしな、もうすぐ」

 独り言は、はっきりと良二の耳にも届いた。

「仏花は持ってくなよ。嫌ってたからな」

「わかってるよ。心配性だなぁ、良二は」

「線香は吹き消すんじゃねーぞ」

「フフっ。知ってるよ、大丈夫」

 力なく笑むと、虚しさが自らに露呈ろていした。薄い灰青ウェッジウッドブルー色レンズをチャキ、と正す。

「こんなことどーでもいい話だが──」

 なにかを察知したように、良二を振り返る。

「──俺のこと、アイツらに説明したのか」

 そう問う良二は、事務机を向いていた。視線を合わせられないのは、気まずい証拠──そんな方程式を自らにあてはめた良二。

「ううん。唯一の親族、とだけ。とりあえずね。ホテルに戻ったら言うよ」

「…………」

「良二は俺のお──」「戻りましたぁー」

 タイミングが良いのか悪いのか。アルミ扉のバンと開く音と共に、若菜が双子と手を繋ぎ帰還した。

「おっかえりー!」

 善一は、満面の笑みをその顔面に貼り付け、双子へと早足で近寄る。ストンとしゃがみ、両腕に双子を抱き迎えれば、サムもエニーも善一の首筋へとその白く高い鼻を寄せた。

「サムもエニーもスゴいな。Signorina若菜とすっかり仲良くなったの?」

「うん。若菜の話、勉強なった」

「エニー、プリンcustard pudding選んだ」

 辿々しい日本語が、弾むように双子から発せられる。善一はガクガクと嬉しそうに頷き、密やかに胸の内を撫で下ろした。

「そうかそうか。よかったね、二人とも」

「さて、サムエニ。こっちで手ェ洗いますよ」

「うんっ」

「はぁい」

 善一からそっと離れ、若菜と小さなシンクへ向かう双子。一人ずつ若菜に抱えられ手を洗う背中を、善一は安堵したように眺めていた。

「どこ泊まってんだ」

 良二からの小さな問いかけ。折っていた膝を立て、良二を振り向く善一。

「ターミナル駅傍。ホテル・ブルーダッキー」

「げ。クソたけぇとこじゃねぇか」

「ホテルオーナーのご令嬢と知り合いなんだ。まぁ、厳密には『彼女の護衛SPと』なんだけど。その恩情で」

 フゥン、と呆れたような相槌で返す良二。

「調査終わったらこっちから連絡する。それまでここに来んな」

「ハイハイ」

「お待たせしました。どーぞ、YOSSYさん」

 背後からかけられた声。若菜がブリックパックのココアを差し出している。

merciありがと , Signorina」

「リョーちん、プリンpudding食べていいOK?」

「あー。さっさと食ってさっさと帰れ」

「サムエニ、これYOSSYさんに渡したげてください」

「エニーが、あげる」

「ん、じゃあよろしくゥ」

「どうぞ、ヨッシー」

「ありがと、エニー。じゃあそっちに三人で座ろっか」

 手編みのエコバッグからプラスチックのスプーンが出てくる。各々へ手渡されると、善一は若菜の手元を凝視しながら眉を上げた。

「その杏仁豆腐、誰の?」

「私のです」

「あん?! テメー、何シレっと買ってきてんだ!」

「別にいいじゃないですか。みんなで食べたいんですぅ」

「『みんな』ってなんだ、自分を頭数に入れてんじゃねー」

「柳田さんにはこれがあるじゃないですか」

 そうして投げ渡される、カートンのタバコ。ナイスキャッチの良二は、吐き捨てるように若菜へ言葉を向ける。

「バカかテメー。サムとエニーコイツら副流煙吸っちまうだろーが」

「え」

「へぇ」

 くるり、若菜と善一はそれぞれ良二をじっと見る。

「あ?」

 常識的な優しさかよ、とそれぞれの胸の内でツッコミ。そのふたりの視線からなにかを察知した良二は、カアッと耳を赤くした。

「だーっ、うるせぇうるせぇ! おいっ、小口サイフ返せ」

「はい。あ、レシートは中です」

 良二の左隣のソファにボスンと身を沈めながら、小口現金財布を手渡す若菜。右手には杏仁豆腐の白いカップ。良二は舌打ちの後で、すっかり常温になってしまった缶コーヒーを半量あおった。

「ヨッシー。話、終わり?」

 その向かいにきちんと座っているサムが、クルリと訊ねる。善一は満面の笑みで首肯しゅこうを返した。

「うん。だから、これ食べ終わったら次のところ行くよ」

「次のところ?」

 訊ね返すエニー。サムもプリンを口へ運ぶ手が止まる。

「駅に戻る途中の場所に行きたくて。きっと僕らにとって『いい変容』だけど、ちょっと相談にのってね」

 プライベートな善一で笑んでくることを察知したサム。言語を英語に換え、優しく訊ねる。

路上ストリートやるわけじゃないんだね?」

「うん。目的地は不動産屋」

「不動産、屋?」

「そこにも知り合いがいるの?」

「ううん。いいマンションがあったら、日本こっちに移住するのはどうかな、と思ってて」

 目を丸く見開くサムとエニー。英語が通じず「なんのこっちゃ?」な良二と若菜。

 それぞれの反応を見比べた善一は、「アハハ」と肩を揺らした。

「二人が気に入らなかったら、この話は白紙になる。だから、正直に、真剣に選ぼう」

 どうかな、と善一に見つめられると、サムもエニーも無条件に首肯を返しそうになる。顔を見合わせた双子は、それのみで意志疎通を終わらせ、やがて遠慮がちに小さく訊ねた。

「見てからでいいんだよね?」

「もちろんだよ、サム。キミたちの琴線きんせんに触れないと半分くらい意味がない」

「わかった」

「アタシも、正直に、見定める」

「うん。それが一番だよ、エニー」

「あと三分で出るからな。さっさと食っちまえ」

 日本語で割り入るは良二。話の意味はひとつもわからないものの、「まとまっただろう」と、その流れは読めた。

「俺たち駅方向だけど、良二も?」

「まーな」

「んじゃ一緒に出るっ?」

 善一の嬉々とした問い。鬱陶しげに、良二はソファから立ち上がる。

「しゃーねっだろ、俺もそっちなんだから」

 四方八方を向く赤茶けた頭髪をガシガシと掻いた良二。

「依頼ですか? 柳田さん」

「あー、中央警察署行ってくる。テメーは一七時になったらここ閉めて上がれ。いいな」

 はぁい、と間の抜けた若菜の返事を背後で聞き、良二は残りの缶コーヒーを喉の奥へと流し込んだ。



 不動産屋の前で善一の思惑を聞き、良二が声を裏返すまで、あと九分。


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