2-6 can't enough

 五分後、柳田探偵事務所内。



 一人待たされていた服部若菜は、二脚ある応接用一人がけソファのうち、入り口から見て右側のそれに、まるで埋もれるように座っていた。

 ソファは、つややかな手触りが癖になるようなとても綺麗な状態で、鼻を近付ければ本革の匂いがほんのりと薫る。眠ってしまえそうなほどの柔らかい心地に、つい肩や膝裏までをソファに沈め、背もたれには首を反るようにして寄りかかってしまう。

「こんなのが紙束に埋もれてるなんて、もったいないな。はぁー、体溶けそーう」

 ガダン、と事務所のアルミ扉が乱暴に開く。あるじである柳田良二が帰還した。体勢そのままに、服部若菜はぐるりと柳田良二を見やる。

「ダメじゃないですか。こんなにいいソファ埋もれさせてたら」

「うるせぇ。紙が増えてくんだからしゃーねぇだろ」

「自生してるみたいに言わないでくださいよ」

 手頃なビニル袋に缶コーヒーが計七本。それを、応接用センターテーブルへガシャンッと置いた柳田良二。服部若菜の向かいのソファにどっかと座り、針金のように細長い足を高々と組んでふんぞり返る。

「でぇ?」

 いつの間にやら、柳田良二の左手には缶コーヒーが握られていた。カシャンとプルタブを開ければ、半開きの視線が服部若菜へ突き刺さる。

「テメーご自慢のマジックとやら、今ここでやってみせろや」

「それって、見てくれる気になったって事ですか?」

「仕方ねぇからな」

 缶コーヒーをダバダバと口の中へ半量流し込んだ柳田良二。まるで見せつけるかのように飲んでいく姿へ、服部若菜は悶々とする。

「あの」

「あん?」

「一本ください」

「やらねぇ。自分で買ってこい」

「金がないんですっ」

「イ、ヤ、だ」

 眉間のシワを数本増やしながらピシャリ、はねのける柳田良二。

 ぐぬっと苦渋に悶える服部若菜。

「ぐぅー! こンの鬼っ、悪魔っ」

「テメーにゃそこの水道水で充分だ」

 クイと顎で指された先に、小さなシンクの端が見えた。しかし、グラスの類いが見当たらない。

 柳田良二を一瞥いちべつするも、変わらずふんぞり返ったままこれ見よがしに缶コーヒーを啜っている。服部若菜は奥歯をギリギリとさせた。

「さっさとマジックやって見せろ。んで、さっさと出てけ」

「フン! いいですよ。絶対に唸らせてやりますからね、ヘッヘッへ」

 不気味な笑みと共に、スーツスカートの右ポケットからトランプを取り出す服部若菜。

 それを見るなり、柳田良二は組んでいた足をそっとほどいた。背もたれからそっと離れ、前屈みの姿勢で膝に肘を掛ける。左手の缶コーヒーは、センターテーブルの端に置かれた。

「じゃあまず、トランプのから」

「『カード』な」

 揚げ足ばかりを、と喉の奥に用意したものの、服部若菜が言葉を発することはなかった。

 なぜなら 柳田良二の眼が、マジシャンのそれに変わっていたためだ。半開きのままなのに、その奥で何かをユラリと光らせている。


 引かれた顎。

 そこに添えられた骨ばった左手の甲。

 細長い指はどことなく妖艶ようえんだ。

 今の彼──いかなるマジックをも見極めんとしている柳田良二の雰囲気は、どことなく服部若菜憧れの『彼』に似ているような気がして。


 生唾ゴクリの服部若菜。ギンと目と眉を近寄せて、声を極力落ち着ける。

「では──」

 マジック、開始。

「この山の一番上のトラ──じゃない、『カード』を見てください」

 いつものように、特にニコリともせず、服部若菜はカードをペラリ、柳田良二へ向ける。


 クローバーの7。


 柳田良二は、服部若菜のカードを持つ手先や、山札などまで、しっかりと目と記憶に焼き付ける。

「ん」

「覚えました? 当然私は見ていません。じゃあ、これを……」

 見せたカードを、一旦山札の一番上に置き戻す服部若菜。山札から『クローバーの7』を横へスライドさせ、引き抜く。この時もちろん、数字の面は下になっているため、服部若菜には何のカードであるかはわからない。

「山の適当なところにぃー、差し、込み、ますと」

 『クローバーの7』は、山札の真ん中よりも下方にギュと差し込まれた。

 その、ややおぼつかない服部若菜の手つきに、柳田良二の眉間が更に彫りを深くする。

「そしてぇ、一番上をトントンと指で叩いてぇ、さっきのカードを、山の中からっ、呼び込みます」

 言うとおり、服部若菜の右人差し指がトントンとカードの山を叩く。

「すると──」

 ニヤリ。不敵に口の右端を上げた服部若菜。

「ハアイ!」

 勢いよく一番上を捲ると、山札に差し込んだはずの『クローバーの7』が現れた。

「…………」

 柳田良二はまばたきをひとつしたが、他の顔の筋肉は全く動かない。

「さっきのカードが昇ってきましたァ!」

 伝わらなかったかな、と服部若菜は敢えて一言付け加えてみた。それでも、柳田良二は顔色ひとつ変えず、ピクリとも動かない。

「あれ? もしかして、わからなかったですかァ?」

「ガキのレベルか」

 ピシャーン。まるで後頭部を殴られたかのような衝撃。「は、はい?」と恐る恐る、柳田良二を下から窺う。

「まず、カードを二枚重ねて、二枚目を『一番上』として始めに俺に見せたんだろ。そんで、山に戻したときに、マジの一番上を適当なところに差す。そんだけだ」

 ぐうの音も出ないほど、簡潔で正確なタネ明かし。ぐぬ、と言葉に詰まる、服部若菜。

 柳田良二は、ソファの背もたれに右腕を回し、どっかりと寄りかかった。

「論外。次」

「つ、次ィ?! えと、そのォ……」

 トランプをそそくさとケースにしまいながら、何かないだろうかと辺りを忙しなく見渡す。そうしてたまたま、柳田良二のヨレヨレスーツに目が止まった。

「じゃ、じゃあそのペンっ」

 その胸ポケットに刺さるボールペンを指す、服部若菜。どこにでもあるような、ごく普通のノック式のボールペン。

「これか?」

「そーです、そのペンを消したり出したりします!」

「…………」

 渋々、と言った表情で、柳田良二は左手でボールペンを服部若菜へ向けた。軽い謝辞と共に受け取り、服部若菜は右手で持ち直し、ボールペンを床と並行にする。

「じゃあ、いきますよ」

 再びニヤニヤとする服部若菜。そのニヤニヤに、思わずムカッとする柳田良二。


 服部若菜は、ふわあーっとペンの周りの空気を撫でるように左手を動かし始めた。二度三度動かした時点で突如フッとペンが消える。

「ふっふーん、どうですか?」

 もう一度周りを撫でるように左手を動かすと、右手からまた元のペンが床と並行の状態で現れた。


 思わず、満足気にニタリとしてしまう服部若菜。彼女なりに、かなり上手くできた。

「テメーの右手」

 無反応を貫いていた柳田良二が、センターテーブルに置いた缶コーヒーへ左手を伸ばしながら、そうして小さく口を開く。

「え、右手?」

「全然ダメ。角度的に、こっちからトリックが丸見えだ」

「ええっ?!」

 その指摘に慌て、カシャーンとペンを落とした服部若菜。

 口の開いた缶コーヒーの残りが、ダバダバと柳田良二の口の中へ流れていく。

「テメーよ、よくそのレベルでアイツに弟子入りしようと思ったな」

 やれやれ、と首を振った柳田良二の反応へ、さすがに服部若菜もかくんと肩を落とした。

「逆です」

「あ?」

「ヘタクソだから、教えてもらいたかったんです。私を笑顔にしてくれた、唯一のパフォーマーに」

 服部若菜の落胆した頭、肩、背。それらを眺めて、柳田良二は先の電話を思い出す。

「アイツのどこがいいんだよ……」

「え?」

「なんでもねーよ、クソ」

 タン、と空になった缶コーヒーが、センターテーブルへ置かれる。

「ワリーが、これじゃあ冗談でも認めらんねぇな」

「まぁ、そうですよねぇ」

 ボールペンをセンターテーブルへそっと置く服部若菜。センターテーブルのガラスとボールペンのプラスチックがぶつかる、カチャリという音が、事務所内に悲しく響いた。


 マジシャンズチャレンジ、失敗。


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