2-5 calling with CLOWN
スラックスの左ポケットに滑り込ませてあったスマートフォンを乱暴にタップし、選びたくもなかった番号を表示させる。左の人指し指を、画面上の緑色をした真円ボタンめがけてタンと弾かせてから、右耳にそれを近寄せる。俺──柳田良二は、ダンダンダンと乱暴に階段を降りていた。電話の相手が、俺にとって史上最強に嫌な相手だっつぅのが、胸くそを悪くする一大原因なワケだが。
八コール目でようやく繋がる。チッ、とひとつ、舌打ち。聴こえたって構いやしねぇ。俺の細めた目が、無意識に更にギュンと細まる。
『
ありったけの怒声。
事務所の階段を降りきった先の通行人何人かにジロジロビクビクと眺められる。チッ、
『やっぱり電話くれたね。久しぶり、良二』
「ぬゎーにが『久しぶり』だっ。ふざけんな」
余裕そうな、コイツの声色。それだけで俺はむしゃくしゃしてくる。このムカつきは、あの一七になったばかりの夏から変わらない。約八年間、俺は電話口の『コイツ』に腹を立て続けている。
「テメーなぁ、なに勝手に面倒な女よこしてんだ」
『アハ、まぁまぁ、落ち着いて』
「落ち着けっと思うか、ああん?!」
『彼女、なかなか粘り強いでしょ』
「しつけーってんだよ、あーゆーのを!」
『おうおう怒ってんねぇ。相変わらず短気だなぁ、良二は』
「誰のせいだと思ってんだクソが、ぶん殴んぞ」
俺の怒りは、コイツにはダメージとして刺さらないらしい。それもまた、俺の怒りゲージが溜まる原因になってる。そんなことも、コイツはわかってんのかわかってねぇのか。いつまで経っても腹の内が読めない。
『ええー、いいじゃん別にィ。良二暇でしょ?』
「良かねんだよ、暇でもねぇよ!」
『彼女、帰る家すら無いらしいよ』
「聞いた」
『そう。破門された上、無一文でホームレス。ああっ、若き彼女にどうか! どうかマリアの御加護を!』
「俺はマリアじゃない」
『良二、マリア様に失礼だぞ』
なんだこのやり取り。舌打ちを大きく挟む。
「とにかく、俺は知らねぇぞ。無一文だろうと何だろうと、それはテメー自身が悪い話じゃねぇか」
『それはそうなんだけど。ねぇ頼むよ、良二ィ。彼女、俺についてくるってすごい気迫でさァー』
「知らねぇテメーで処理出来ねぇモンこっちに寄越すなクソ迷惑だ」
『良二、句読点が付いてない。減点だよ』
「んなこたどーでもいいんだよっ。押し付けた理由を正直に言え」
『アクロバット出来ないみたいだったし、使えないなと思ったから』
「ケっ! クソストレートに言うじゃねぇの」
『だって。俺が今メインでやってんの、マジックじゃないし。マジックをメインでやるつもりもないし。大体からして、身体使えないんじゃあついてこれない。それに、誰が元手の無い彼女の旅費払うの?』
「まぁ、な」
ネチネチと、理路整然と言ってのけるコイツの頭の回転の速さには腹立たしさすらあるが。
『とりあえずさ、マジック見てやってよ』
「で? テメーんとこソッコーで返しゃいーんだな?」
『すぐは困るなぁ。俺またすぐ飛ぶんだ』
「どこに」
『
イッラァーッ。
つい、濁点を付けた「あ?」で怪訝を露呈する。
『じゃ、逆に良二は? どうして見てやらないの?』
つい、言葉を呑み込む。
正しく、的確に、簡潔にコイツに言ってやらねぇと、俺は気が済まない。
長い長い三〇秒。その後に、ボソボソと返す。
「教える側になると、またやりたくなんだろーが」
言ってしまってからやはり思う。ガキくせぇとアイツが思ったかもしれないということを。
『まぁ、ね。わかるけどね』
同調、された。
つい首筋が痒くなって、ガリガリと右手で掻く。
「芸事で食ってくなんて絶対にムリだ、
『そゆことね』
また舞い降りる沈黙。
そうは言ったが、俺の本心はもう決まっている。ただ、コイツだけには簡単に見抜かれたくないだけだ。だから、見栄とウソで本心を隠す。いつだってそう。きっと、これからもコイツにだけは、そうして生きていく。
『マジック、とりあえずちょっとでいいから見てやれば?』
「そんで何て言うんだ。見て、レベルはどーであれ『テメーにゃ無理な世界だから止めとけ』って言えっつーのか」
『聞き入れ──』「ねぇだろ、あの感じじゃ」
やれやれ、とアイツは電話口へ小声を向ける。首でも振ってんのか、クソ、キザったらしく振る舞いやがって。
『俺の見立てだとさ、良二なら彼女を上手く使えると思ったんだよね』
「あ?」
『掃除、ちゃーんとやってくれるって。なら、裏のことも、良二の手を煩わせなくたってちゃーんとやってもらえるんじゃない?』
裏、か。
じわりじわりと、自分に『都合のいい』事柄が増えていく。『コイツによって』ってところだけ、腹が立つが。
『あーヤベ、時間。な、頼むよ、何とかお願い。良二がちょっとでも良さそうだと思ったら、返してくれるんでいいから。な? 俺これからマジで取材あったり地方飛んだりなんだ』
「……テメー、言ったな」
『え? うん、言った言ったっ。だからさ、ちょーっとだけ』
「じゃ、対価として行き先教えろ」
『んもー、しょうがないな。イギリスだよ』
「イギリス? チッ、よりによってなんでまた……」
『ね。きっと、何かあると思うんだ。俺にも、良二にも』
「不吉と紐付けんな」
言ってしまってから、間違えたことに気が付く。『不吉』だなんて冗談でも言うんじゃなかった。
『まぁまぁ、大丈夫だよ』
続く言葉に迷っていた俺へ、コイツはヘラヘラとそう口を挟んだ。
『俺は必ず、生きて良二の元に帰るから』
「一〇〇%出来る確証がねぇこと、気安く言ってんじゃねぇ」
また、うっかり言い過ぎてしまった。けど、これは俺の本心だから、不正解なわけじゃねぇ。訂正はしない。
コイツよりも早く、俺は言葉を捩じ込む。
「今にあの女突っ返してやっから、覚悟しとけ」
『フフっ、はいはい、待ってますよ。あ、呼ばれてる。じゃね、良二』
そうして向こうから一方的に切られて、そっとスマートフォンを耳から外す。その場で空を仰ぐと、駅の方から曇天が近付いてきているのが見えた。
あの曇天は、俺に良くない事柄を運んでくる予兆のあらわれだ。
そんな風に、あの灰色が気分をズンとさせたので、後頭部をガリガリと掻きながら本当にコンビニへと足を向けた。
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