第37話「人付き合いが苦手だから小説家になる」時代ではない?

 最近はSNS上でこんな声を聞きます。

 

・作者が何万人もフォロワーを作って、自作を宣伝しろと出版社に言われる

・作家はサロンを作って交流をしよう

・物書きは自己プロデュースが大事


 要するに自分で自分をブランディングして(自分はこの言葉があまり好きではないのですが)、交流をたくさん持ち、宣伝してこそ、小説が売れるというわけです。


 これに対して、頷けないタイプの方もいると思います。


「そういうのが苦手だから小説書いてるのに」

「交流とか自己プロデュースとか得意なら違うことをしている」


 平成の頃に分業が進み、小説家は小説だけコツコツ書いていればいい的な雰囲気があるので、そう思う方も多いのかもです。


 しかし、歴史的には、小説家というのは、サロンを作り、交流するのが基本的な形なのかもしれません。


 例えば志賀直哉や武者小路実篤の『白樺派』

 上流階級の子息が集まる学習院の同窓同世代の作家が集まって『白樺』という雑誌を創刊します。

 作家だけでなく、岸田劉生らの画家も参加しています。


 『スバル』系詩人・北原白秋一門の人たちや版画家・石井柏亭らの集まった『パンの会』

 永井荷風を編集長とした『三田文学』

  

 他にも正岡一門、尾崎一門という形で師匠と弟子と友人たちで集まったり、夏目漱石の『木曜会』なども夏目本人の意識はそうでなくても、一種の文学サロンの趣があります。


 昭和の作家さんも実はSF大会などに参加したり、読者さんと交流を持っていました。


 つまりサロンを作って交流したり、自分でファンを作りに出かけるのは「これからの作家の形」ではなく「古くからの作家の形」なのかもしれません。


 実際、ネット小説はそういう形に傾いていると思います。


 書籍化された方の中にも、とにかく縁を大事にして、たくさんの人にRTで宣伝してもらって売り上げを伸ばす努力をされている方がいます。


 また、作家のキャラクターを出して話題を呼び、人気を得ている方もいます。


 交流を持った人に宣伝してもらうことで読みに来る人が増えて、それでレビューが増えるという現象もあります。


 人との繋がりは本当に大事で、賞などに受からなくても、交流会などで縁を持つことで小説を出す機会を得る方もいます。


 サロンを作るまで行かなくても、これからは以下のようなことが必要になる時代なのかもしれません。


・作家が自分のキャラクターを決める

・人との交流を増やす

・ただ書いていれば良いという時代ではないという意識を持つ


 紙の本はわかりませんが、少なくともネット小説だと「書く」以外のこういったものが、小説を読まれるための条件になるのかもしれないです。

 

 そのあたりもいつか掘り下げたいと思います。


 正直、自分としては「めんどくさい」な気分なのですが、めんどくさがってると、せっかく書いたものも読まれないので、一緒にがんばりましょう。


 

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