8.秘密の小瓶

 真夜中の錬成作業が、テュエンは好きだった。

 理由は単純で、静かだからだ。来店客に呼び出されることもないし、元気いっぱいで好奇心旺盛のレムファクタが鳥を追って屋根に登り、ベランダに落ちたりして気を揉むこともない。谷間の小国の夜更けは、人も家畜も野良猫も、たぶん精霊でさえ寝静まり、ただただときが流れていく。

 ことに今晩のような雨夜には、石造りの作業場は穏やかな雨音に完全に閉ざされた。気づけば仕事に没頭して、壁時計が日付を越えるのを告げてからしばらく経っていた。

 ――そんなに慌てて作る必要もなかったんだけれど……。

 作業が一区切りしたとき、テュエンは部屋のあちこちに積まれた錬成の成果を見回した。数日雨が続いたので、はかどってしまったらしい。悪友アレックスに注文された量以上に、ほぼ空に近かった在庫品も、いくつかの種類では元どおりに戻ってきている。

 底が見えていた横並びの硝子ガラスの大瓶には、透きとおったオレンジや空色や、白に金の粒子が散った小指の先ほどのビーズ玉が詰まっていた。艶やかな飴玉にも似たそれらは基本の錬金滴で、物に打ちつけてひび入らせれば、内に封じた力をあらわせる。例えば鍋一杯分の水を得るとか、火種を作る労無しに焚き火を燃えあがらせるとか。普段の暮らしに使うには大げさでも、旅には便利な携行品だ。

 作業台脇、足下の木箱には、燻された色の青鱒あおますの革袋の数々。ゆるんだ口紐の奥から熱冷ましや胃腸薬、虫下しなど常備用丸薬の照りが覗いていた。壁際には肩の丸い陶製壺が、団栗どんぐりよろしくまちまちの背丈で並んでいる。たっぷり入った薄い緑色や半透明の軟膏は、切り傷や火傷の薬、虫刺されの薬などだ。鼻腔を通す清涼な芳香を漂わせつつ、小壺に分けられるのを待っていた。

 ――防水布は、明後日あたりには乾くだろう……。今度染ませたハーブの薫油は、防虫効果が一年だとアレックス、いや、ダナに言っておかなければ……。

 それから虫除けの香も、それから温灸に氷嚢も――と、次に作るものを数えつつ、テュエンは作業室を軽く片付けていった。

 仕事中は取り散らかすのが悪癖で、弟子には閉口されるのだが、錬成が続くとどうしても使い勝手のいいようにあたりに物を置いてしまう。ただし反射炉の火の始末のほか、素材の中には扱いの危険な品もある。そうしたものだけは、テュエンも注意して棚へしまいこんでいた。

 乳鉢の横に危うげに置かれた細身の青い密封瓶も、厳重保管薬の一つだ。夜目の目薬に使う夜想菫やそうすみれの絞り汁は、濃縮すると幻覚作用を及ぼす錯乱剤になる。蓋の締まりを確認して、テュエンは奥の鍵付き棚へ向かった。そして戸を引き開けたとき、彼は小瓶の列の最奥に、ふと目を吸い寄せられた。

「こんな物があったかな……」

 いぶかりながら取り出したのは、濃紫色の絶霊瓶ぜつれいびんが一本だ。振ってみればなにやら液体の音がする。錬成日等、当然記録すべき事項を書き付けた付箋ふせんもなく、謎の瓶にしばし首を捻ってから思い出した。

雷柵らいさく用の錬成漿れんせいしょうか! 処分できずに、閉まっておいたんだっけ……」

 思わず手つきが慎重になったのは、それがきわめつきの危険物だったからだ。テュエンにはあまり類のない大失敗作であり、意図せず強力な効果を宿してしまった錬成品だった。

 錬成漿とは、錬金滴を作るさいの中間生成物に近いものである。使い勝手の悪さから、商品としてはあまり開発されていない。素材から抽出された力を結晶内部に凍結させられる錬金滴とは違い、漿液のほうは作られた瞬間から力を漏出し続けてしまうのだ。

 混交する不純物や溶媒の工夫により、漏出の程度を抑えられる場合もあるものの、長期保存は難しい。また垂れ流しつづける効果そのものも不安定で弱いため、せいぜい専門の錬金術師が冷光ランプの燃料や、暖熱・冷却用の漿液しょうえきを製造販売するくらいである。

 そんな品物を、あるときテュエンは一見客の依頼で製作したことがあった。注文品は野営中に天幕を囲う針金の柵といったもので、客が言うには過去に他国で偶然に買い、便利だったからまた欲しいのだという。針金自体には何の変哲もなく、ただそこに雷気らいきを帯びた油を塗っておくと、就寝中に獣が寄ってくるのを防げる品だ、と。

 柵に触れたところでピリッと痛む程度だが、熊や小物の魔物などにもけっこう嫌がられるらしい。試しに作ってみると、その後、話を聞いて買い求める客もまれに現れた。そうして何度目かの雷柵作りをしていたときだ。テュエンはその間違いを犯したのだった。

 何に気を取られていたかは忘れた。だが、とにかく分量を間違えた。

 久々に作った雷性らいせい錬成漿の主原料は、落雷にあった杉の松脂まつやに。溶媒には、不純物として貝化石の粉末を混ぜていた。必要量の百倍の粉末を入れてしまったのに気づいても、テュエンはうんざりしただけだった。なんの効果もない漿液を作り、手間を無駄にしたと思ったのだ。

 しかし一応は結果を確認するものかと、フラスコから一滴垂らしたその刹那、テュエンは意識を失った。気づくと壁にもたれて座っており、心臓が乱れた脈を打っていた。

 反射炉に固定の連結瓶レンビキにフラスコも固定されていなければ、中身がすべて流出してテュエンは死んでいただろう。主原料ではなく、魔効を制御するため入れる不純物の配合で効力が劇化するという発見は、真新しく画期的ではあっても、素直に喜べるものではなかった。ただの一滴で、その漿液は術師を壁まで吹っ飛ばし、感電させて数日身体に痺れを残したのだ。

 テュエンは慌ててレムファクタを家から一時避難させた。その上で、魔効を封じる絶霊瓶へ慎重に液を移し替えた。以来、通常の廃棄処理ができぬまま、とりあえず鍵付き棚へ封印し、今の今まで存在を忘れていたのだ。

「不用心だった……」反省しつつ、禍々しい瓶に目を細める。

 絶霊素材とはいえ、瓶は中身の魔効を完璧に封じてはいない。灰にうずもれたままの熾火が微かに輝き続けるように、力は放出され、そのうち失活するのを待っていたのだが……。

 テュエンの魔術師の眼がたところ、恐るべき失敗作はまだそこそこの威力を保持しているようだった。

 ――こんな棚ではなく、金庫にでもしまっておくべきだ!

 冷や汗をかきつつ瓶を手のひらに包み込む。金庫を探して見回したとき、しかしテュエンはふと思い当たって、紫色の瓶へ目を落とした。

 この錬成漿は、武器として充分な威力を持っている。

 魔法剣の代替品として、使えるのではないか?

 つまり剣に魔術を符呪するかわりに、漿液を塗布して一時的な魔効を持たせるのだ。ウルフバート鋼ではわからないが、普通の刀剣なら充分に機能しそうである。

 ――しかしこれは、初級免許には許されない領分だな。

 人を殺傷する力のある錬成品の作製には、上級以上の免許がいる。もしこれをアレックスに与え、味を占められて次を催促されたとしたら……。

 あの彼女の押しの強さだ。断り切れるかテュエンには自信がなかった。

「第一、危なすぎて二度と作る気はしない……」

 結論づけると、瓶の存在を彼は再び忘れることにした。あのとき錬成中に死なずにすんだのは幸運だったのだ。ぞっとしながら保管用金庫を探しあて、失敗作を厳重に封印した。

 ほっと息をついて見やった時計は深夜二時近い。作業室を出、いいかげん寝に母屋へ向かった。夜のしじまは深く、テュエンは無意識に足音を忍ばせた。

 と、居間に入るのと同時だった。どこからともなく身の毛のよだつ奇怪な叫びが聞こえてきて、テュエンはびくりと身体を硬直させた。

「…………」街路からのようだ。

 おそるおそる窓際へ寄り、外を窺ってみる。しかし視界は雨の帳で暗く濁っているばかり。闇の溜まった下の通りも、雨水の跳ね返りでようすは判然としなかった。

 しばらく耳を澄ませてみても、さっきの物音は二度と聞こえてこなかった。

 ――たぶん、野犬か何かが吠えたんだろう……。

 あるいは酔っ払いか。そう考えるかたわら、帰還した上の街衛士隊が広めたらしい噂を、彼は思い出さずにはいられなかった。

 魔物の襲撃は、当初街で噂されていたよりも少しく複雑であるらしい。現れては消える、と噂は言っていた。なぜか悪鬼が神出鬼没で、とても追い切れないと。

 ――さっきの雷性漿……。

 魔物退治に役立てられればな、とテュエンは思った。クルトかアレックスに渡してやれれば……。しかし、あの錬成漿自体も危険な代物なのだ。

 ――悪鬼討伐は、自分の仕事ではないのだから。

 割り切る思いで軽く息を吐き、彼はひとり頷く。それでもテュエンは外を覗き、窓硝子を流れる雨滴を見守ったが、やがて静かに身を離した。

 降りつづく雨音が、夜を暗く深めていった。

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