6.酒場の報せ

 居酒屋さんみたいだな、というのがレムファクタの最初の印象だった。

 店の使いで薬や香辛料を届けに行った、近所の飲み屋を思い出す。そちらは大通りに面していることもあり、昼間に裏口から尋ねた店内に酔っ払いは少なかったが、緑羚亭りょくれいていは違うようだった。

 間口は驚くほど広い。外観ではテュエンの店と大して変わらぬ印象だったので、少年には意外だった。

 よく見ると、太い黒茶の柱や筋交すじかいが室内の要所に突き立っている。どうやら数部屋に分けるところ、仕切り壁をなくして一部屋にしたものらしい。柱と筋交いのあいだには年季の入った分厚い木製卓と椅子が何組も置かれ、そのうち半数はあまり親切そうに見えない客で埋まっていた。

 一人客もいれば、仲間で集う者もいる。食後の皿が積まれた卓も、まだ湯気をたてる椀やパン籠が置かれた卓もあり、そしてどの客の前にも例外なく取っ手付きの酒杯が並んでいた。

 食器を押しのけ、地図らしき紙面や書き付けを指さしつつ喋っていた連中がいっせいに振り返る。じろりと無言の一瞥をよこされて、思わず足を止めたレムファクタなどまるで意に介さず、アレックスとスヴェルグは荒い足音を立てて店内へ踏み入った。

「邪魔するよ。ただの物見客さ」

 誰にともなく大声でアレックスが挨拶する。一応それで渉猟兵たちは自分たちの仕事へ関心を戻したらしい。ダナに促され、レムが空いている隅の卓へ腰を落ち着ける一方、アレックスはスヴェルグと二人、奥のカウンターへ向かっていった。

「物見客なんですか?」

 客の中には、まだ胡乱うろんげな視線を向けてくる者もいる。なんとなく声を潜めて少年が訊くと、魔術師はクスッと笑って答えた。

「それは隠語のようなもの。この街に長く留まる予定のない旅人という意味よ」

「ふうん……」

「リシュヌーは他国との自然素材取引が多いそうだけれど、そのぶん渉猟兵も多いようね。こういう場所の組合では新参者は歓迎されないわ。商売敵が増えてしまうからでしょう」

「渉猟兵には縄張りがある。俺たちは違うが」

 先に戻ってきたスヴェルグは、片手に麦酒エールのなみなみ入った大杯二つを掲げていた。もう片手には肴らしきで芋と、青黴の塩チーズが山盛りの皿。

「アレックスは、酒盛りはしないと言っていなかった?」ダナの呆れた問いかけへ、大男は不思議そうに「これは宴という量じゃない」どすんと席に着いた。

 さっそくチーズを芋に乗せ、かぶりつくスヴェルグに感心しつつ――さっきも揚げパンをあんなに食べていたのに、すごい胃袋!――レムは店内をこっそり観察した。

 天井は低い方だろう。階上が宿なのか、時折ぎしぎしと足音がする。煙草と油煙の臭いが壁に染みつき、なぜかランプが柱に突き立った矢に提げられていた。

 サントラジェの古びた地図やダーツの的、角のない羚羊の頭骨(角は素材として売られたのだろうか?)などが壁のあちこち飾られていた。改めて眺めてみると、卓にはナイフを突き立てたような傷跡がいっぱいあるし、石床は鋲底靴にえぐれたらしい無数の窪みがついている。そんな無骨で荒々しい雰囲気は、そこで酒食をたしなむ渉猟兵たちによく馴染んでいるようだった。

 荒織りの毛織のマントに身をくるみ、汚れた片靴を椅子に乗せ上げて座っている戦士。暗がりの一人客は、頭巾から尖った鼻先だけを出していて盗賊ふうにうさんくさい。兵士崩れの男もいれば、町民と変わらない軽装の者も見かけられる。

 しげしげ眺めていると、そのうちの一人が立ち上がった。カウンター脇まで行くと、男は壁掛けの掲示板を熱心に眺めはじめる。

 ――きっと、あそこに依頼書があるんだ。

 と、レムは思った。

 ――師匠の出す依頼書も、時々あそこに貼られてるんだろうな……。

 渉猟兵について、広場の寸劇以上の知識をレムファクタは持っていない。しかし錬金術師については、いつも身近でその活動を見聞きしている。

 自然物から人工物まで、錬成に使われる素材は幅広い。栽培、養殖されていて街で買える素材ならよいが、そうでない場合に、彼らが頼るのが渉猟兵だった。

 人を寄せ付けぬ秘境に産する石であるとか、草花であるとか。ある特定の地域、特定の季節や時間にしか採取できない素材、さらに上級錬金術師の使う品物には、魔力甚大な魔物の身体の一部というのもあるらしい。

 テュエンが使う主な素材は市場で手に入る品が多い。わざわざ依頼することは少ないが、たまには必要になるようで、少年の師匠がこの集会宿へ足を運ぶ日もあるのだった。

「あのう……」

 掲示板を見てきちゃ駄目ですか? と、レムがダナンシーへ言い差したとき、ちょうどアレックスが機嫌良さげに戻ってきた。

 スヴェルグに席を詰めさせて座り、彼女は当然のごとく大杯を掴む。喉を鳴らして麦酒を呷ると、鼻の下に作った白泡の髭を満足げに手甲で拭った。

「朗報、朗報。最新版の交易目録があったよ。これで仕事はほぼ終わったようなもんね」

「目録だけなら、待てば帝都でも手に入るわ。依頼主は満足しないでしょう」

「うーん、わかってるよ。ただ、はるばるリシュヌーまで登ってきたってのに炎剣の復活に失敗したという、このあたしの傷心をだな、まずは達成感で癒やそうと……」

「地元の術師しか知らない錬成素材の情報を、むしろ求められていると思う」

 アレックスを無視してダナが意見すると、

「ここの連中に訊いてみるか」

 呟くや、スヴェルグが席を立って芋とチーズの皿をさらっていった。あたしも行くわ、とアレックスが慌てて追ったが、二人とも片手に酒杯を忘れず掴んでいたので、レムファクタには彼女が酒肴を追いかけていったように見えた。

「皆さんは、魔物退治とかはしないんですか?」

「時には、するわ」残ったダナに尋ねると、魔術師はレムも何か飲む?と首を傾げた。

「おれ、大丈夫です。渉猟兵の仕事って、情報集めもあるんですね」

「そうね。……もともと渉猟兵というのは、各地で猟師や傭兵をやっていた人たちなの。錬金術用の素材を入手する仕事が多いけれど、護衛や、魔物討伐を専門に請ける人もいる。私たちのように各地を旅して、依頼主の欲しがる情報を商う人もいるのよ」

「ダナさんは魔術師なんですよね。魔術師も、商売をするんですね」

 気になっていたことを、レムは訊いてみた。

 話に聞く魔術師といえば、定住者にしろ遍歴者にしろ、印象としては修道僧に近い。およそ商いという言葉は似つかわしくなく、しかしそれを言うとダナは笑った。

「多くの魔術師はお金とは無縁ね。でも魔術師も人間だから、何か食べなくちゃ生きていけないでしょう。お師匠様も驚いていたけれど、私の学ぶ流派は、悪い言い方をすると異端なの」

「異端、ですか?」

「ええ。魔術師は人間と自然を調和させる術を学び、伝える者。その方法は流派によって色々だけど、我が〈真知派〉では、積極的な知識の収集と同時に、精神の洗練も重視するのよ。正しい魂のありようを人と自然のあいだで思索することによって、未来の調和を実現しようという一派なの」

「は、はあ……」

「嫌だわ、私も修行不足」目を白黒させる少年に、ダナは誠実に謝る。「誰にでも理解できる、わかりやすい説明こそ難しいもの。つまり私は魔術師だけれど、あちこち旅して勉強をするから、普通の魔法使いのように森で茸狩りをするだけではお腹が減ってしまうのよ」

「そうなんですね。ダナさんみたいな魔術師もいるんだ」

「あなたのお師匠様も、魔術の心得があるのでしょう?」

「はい。子供のころに、旅の魔術師に教わったそうです」

「掲示板が気になる?」

 図星を突かれてレムは瞬いた。ちらちら掲示板を窺っていたのに気づかれていたようだ。

「アレックスたちはこの街の渉猟兵にすっかり馴染んだようだし、今なら目立たないでしょう。一緒に見に行きましょうか」

 喜んでレムは席を立った。アレックスとスヴェルグに目をやると、二人は芋とチーズの差し入れを武器に、一癖も二癖もありそうな客たちと気安げに会話していた。

 様々なことを訊きたがる自分をうるさがりもせず、丁寧に答えてくれるダナンシーへ、レムはテュエンに感じるのと同じ尊敬を覚えていた。やはり魔術師だから、似ているのかもしれない。

 一方で、アレックスとスヴェルグには憧れを感じる。病のない頑丈な肉体に重装備をまとい、世界を旅できたらどんなに多くの物事に出会えるだろう。魔物と渡り合う胆力があれば、荒くれ者の男たちと旧知の友さながらに酒を酌み交わすのもわけないはずだ。

 そして掲示板の依頼書は、思ったとおり面白かった。不揃いの紙きれが乱雑に留められ、端が丸まったり重なったりするさまは、まるで剥けかけた白樺の樹皮だ。

『素材採集依頼――四齢以上の崖跳牛シャモアの角を六本。欠けのないもの、決して!』

『調査代行――ヒスヴィス峰、北壁植生の食虫草調査の代行者求む。要、山岳登攀技術』

『護衛依頼――ソーブラントへの往復路の護衛募集。護衛に定評のある者に限る』

 錬金術師だけでなく、一般人の依頼も多いようだった。依頼主の欄にテュエンの署名が現れる日もあるのだろうと想像すると、少年は師匠の仕事の一端をまた知ることができたようで心楽しい。

 と、そのとき、隣の魔術師が低く囁いた。

「魔物討伐の賞金額が、高い……」

 ダナが注視している依頼書は、大きくて立派な上質紙だった。他とはやや離して、四隅を丁寧に真鍮しんちゅうの鋲で留められている。枠飾りには華麗な蔓草模様、文面は黒インクの淀みない筆跡で、堂々とした装飾文字カリグラフィが踊っていた。記された紋章と署名は大公家のものだ。つまり国からの公的な依頼書らしい。

 貼られた位置が高く、レムファクタはダナの背後に爪先立って読もうとした。すると、背後で集会宿の扉が勢いよく開かれ、例の裂けるような軋みが大きく店内に響き渡った。

「大公陛下から、新たな告知が出たぞ!」

 触れ回りながら入ってきたのは、組合の関係者のようだ。人々の注目を集めつつカウンターへやって来ると、待ち構えていた受付に男は指示を飛ばす。「鈴を鳴らせ」

 りんりんと手持ち鈴の鳴る中、クリーム色の巻物が手早く開かれた。先ほどまでダナが眺めていた紙の上に重ねてそれを鋲留めすると、振り向いた組合員の面持ちは興奮で赤らんでいた。

「かねてより通達されていた賞金首の額が、またもや増額された。リシュヌー地方より南部で討伐された悪鬼ゴブリンの首一つにつき、公国はオーレリオ金貨一枚を報償として与えるとのこと。最初の倍だぞ、諸君。こんな額は滅多にない。稼ぎ時だ!」

 感嘆ともどよめきともつかぬ声が上がるなか、ダナが細い眉をひそめて言った。

「――つまり、それほど被害が多いのね」

 レムファクタはやや不安げに、隣の魔術師を見上げた。思い出していたのは、今朝方、街を出発した衛士隊の後ろ姿だった。

「クルトさん、大丈夫かなあ……」

 少年を呟きをかき消すように、渉猟兵たちがどやどやと掲示板に詰めかけてくる。熱狂する群衆を避けて、レムはダナと一緒に席へ戻っていった。

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