5.渉猟兵たち

 リシュヌーの街は、二つの主要な街道の接点に発展してきた。

 一本は、国を南北に貫くサントラジェ街道。別名を〈大公の道〉とも呼ばれ、現在でも公国の動脈として重要な役割を果たしている。そしてもう一本が国と帝都を結ぶ山道、〈冬のたてがみ山脈〉を越えていくベルナルダ街道だ。

 後者はかつて、帝国領と大陸北西の国々を繋ぐ最短経路として物流が盛んだった。公国南方の沿海諸国が長い抵抗のあと帝国属州となり、海路が開けたのちは廃れてしまったものの、賑やかだった往時の記憶は街のそこかしこに残っている。

 例えば地区の真ん中を走り、下町を南北に分ける目抜き通り――ベルナルダ街道の起点である東門から、サントラジェ街道とぶつかる大橋のたもとまでを繋ぐ――〈絹織物大通り〉などは、昔この道を多く通過していった交易品がそのまま由来となっている。

 新市街である下町は、交易の産む利潤でリシュヌーが栄えるにつれ、無秩序に旧市街の市壁外に拡張してできた区域だ。建築様式も上の街とは趣が異なり、一階の基礎部分は重厚な石造り、二階より上は白漆喰に黒っぽい木材の軸組みが洒脱しゃだつ幾何模様きかもようをなした木造建築が多くなる。

「美しい町並みね」のんびり目抜き通りを鑑賞しながら、魔術師ダナンシーは感想を述べた。「はりや柱を隠さずに、装飾にしているんだわ。まるで玩具の積み木のよう。可愛らしいと言ったほうが、よりぴったりかしら」

「大通りを外れていくと、ぜんぶ木造の家が多くなるんですよ」

 隣を歩くレムファクタは、自分の知識で客をもてなせるのが何やら嬉しい気分で、あちこちと指さしては講釈した。

「上の街のほうは、石の家ばっかりです。景気が良かった時代に、帝国の都を真似して街を造り直したそうです」

「ふふん、景気の良かった時代ね」前をゆくアレックスが肩越しに振り返る。「今だって悪かないだろ? サントラジェの錬金ワインは帝都じゃ目ン玉飛び出るような値段だ」

「リシュヌーでも、高いみたいですよ」

「レムは、リシュリューズを飲んだことがあるのかい? ないんだろ? 集会宿の酒場に置いてたら、口うるさい師匠がいないうちに一杯奢ってやろうか」

「い、いいです」

 首をぶんぶん振ってレムファクタが遠慮すると、アレックスはおかしげに笑い、ダナンシーにたしなめられてはまた笑った。

 とにかく気性の明るい人物だ。レムファクタは、この赤髪の渉猟兵が己の物静かで理知的な師匠と友人であるのが不思議でならなかった。抱えた質問は百もある。

 帝都の大学にいたなら、アレックスも錬金術師なのだろうか? テュエンはもぐり学生と言っていたが、もぐりとはなんだろう。それから、なぜ渉猟兵になったのか。広場で見た人形劇のように、竜を倒したりはするのだろうか……。

「サントラジェではないのだけれど……」

 何から尋ねようか迷っていると、少年よりも先に、魔術師が再び質問した。

「以前、北の山地の集落へ巡礼したときは、石積みの家ばかりだったわ。この国では木造が伝統なのかしら。あなたは知っている、レム?」

「ええと……。おれ、知らないです」

「そう。じゃあ今度、知っていそうな人に訊いてみましょう」

「おれ、この街から出たことがなくて……」

 ふと語調の沈んだ少年を、ダナンシーが小首を傾げて見守る。だがレムはぱっと明るい顔をあげると、三人にこう告白した。

「渉猟兵の集会宿も、前から行ってみたかったんです。師匠はずっと許してくれなかったから。だから今日、一緒に行けて嬉しいです。ありがとうございます!」

 さもあろう、あのテュエンなら――と同意してくれると思っていた渉猟兵たちは、しかし黙って顔を見合わせた。申し合わせたように三人は、少年の背へ視線を向けた。

 有翼人種であるレムファクタの背中には、鳥によく似た純白の翼が生えている。だがそれは奇形を病み、飛翔はおろか小さく畳めもしない歪みを持っていた。それを癒やすためにこそ、彼は人間の錬金術師に預けられたのだ。今は軽く布をかぶせてベルトを回し、背嚢はいのうを背負っているように見せかけていた。

「あなたのお師匠様の心配はもっともなのよ、レム」思案げに微笑みながらダナが言った。「アレックスから話には聞いていたけれど、私も会ってみて驚いたわ。まさか本当に、有翼人が地上で暮らしているなんて」

「術師殿は忘れているようだったが」スヴェルグもぼそっと呟く。「二年前、店を尋ねたとき、アレックスは彼を怒らせた。おまえの羽根を一本貰えないかと頼んだからだ」

「おれの羽根ですか? どうして?」

「珍しいからさ。珍しいものに人は金を出す。あたしは売るつもりはなかったけど、でも金欠のときに白金貨を積まれたら、そうとも言えなかったかもね」

 最後にアレックスが両手を腰に当て、レムを見下ろした。大柄で武装した女渉猟兵に仁王立ちされると、なんとなく圧倒される気分になる。

「おれの羽根なんか、師匠の使う羽根ペンのものと違わないですよ。病気だし」

「本当にそうかい? あんたも知らないだけで、なにかの凄い力が宿ってるかもしれないだろう。事実じゃなかったとしても、そう考えるやつはいるもんさ。そういう勝手な噂がどこかの横暴な金持ちか、ちょいといかれた錬金術師に伝わってみなよ」

「……?」

「羽根一本じゃ収まらないよ。悪党があんたをさらいにくるね」

「…………」

「怖くなってしまった?」

 ダナンシーに優しく顔を覗きこまれ、レムファクタは反射的にかぶりを振った。だが先ほどまでのうきうきした気分は、小さくしぼんでしまった気はした。

「……でも、町の人たちは良い人ばっかりですよ。おれを気にする人は、あんまり見たことない」

「田舎だからねえ。のんびりしてんのよ、サントラジェは」

「この国は有翼人の島に近い。北部では、南よりも彼らが降りてきた話も多い」再び、スヴェルグ。「サントラジェでは、珍しくないのかもな……」

「そうなの? そんな話初めて聞いたよ、あたしは。珍しくねえったって、どうせ五十年に一回とか百年に一回とかじゃないの?」

「まあ、そんなもんだろう」

「レム。もしあなたの種族について尋ねたら、答えてもらえるものなのかしら?」

 魔術師が堪えきれなかったようすでレムに尋ねる。興味深げなダナンシーには申し訳なかったが、少年はこう答えるしかなかった。

「おれ、自分の種族のこと、よく知らないんです。師匠の店に来たときは小さかったし、故郷ではずっと家の中にいて、外に出してもらえなかったから――飛べないから、おれ、この羽のせいで」

「そうなの。ごめんなさい。悪いことを訊いてしまったみたい」

「いいえ、いいんです」

「その翼が癒えるよう、私も日々の祈りのおりに、万神に願っておきましょう」

「そんで、どうすんだい? 集会宿に行くの、やめとく?」

 アレックスが親指で、進行方向を指さしている。先には下町の定期市が開かれる〈泉の広場〉が見えていた。渉猟組合の集会宿は広場を南回りに横切って右へ折れ、狭い小路を一丁半ほど進んだあたりにある。

 少々気後れは生じていたが、広場あたりにはこれまでも一人で使いに来たし、交易所へ向かうらしい渉猟兵を見かけるたび、かき立てられていた好奇心は消しがたかった。

 行きますと言ったレムファクタに、アレックスはひょいと指さして「だったら翼はじっとしとけよ」また歩き出した。

「脅しといてナンだけどさ、心配しないでいいよ。あんたよりあたしらのほうが正直目立つから。……あっ、それでテュエンも許したんだな、あいつ。あたしらをダシにして」

「あのう――アレックスさんたちは、竜を倒したこととか、あるんですか?」

「竜ぅ?」ぶっと吹き出して、アレックスは大げさに片手で否定した。「ないない、ないよ。渉猟兵ってのは伝説の騎士とか英雄様じゃないんだ。夢を壊して悪いねえ」

「じゃあ、王烏賊クラーケンも、吸血鬼ノスフェラトゥも?」

「んん、ないねえ……」

「そうなんだあ……」

 心なしがっかりする少年に、アレックスが苦笑する。

「渉猟兵に憧れてんの? やめときな。この仕事は言うほど華々しいもんじゃない。だいたいが食い詰めもんとか、まじめに働きたくないやつが行きつく職なんだから」

「アレックスさんは、師匠と一緒に錬金術の大学にいたんですよね? 錬金術師にならなかったんですか?」

「最初っからなる気なんかなかったのよ、あたしは」

「え?」

 ちらと肩越しに振り返り、アレックスは悪戯めいた光を黒い瞳に宿らせた。

「あたしは帝都の金持ちの娘でね。家の都合で結婚させられるのが冗談じゃなかったから、とりあえず錬金大学に裏口入学して時間稼ぎしたの。だって、テュエンも言ってたろ? 初級免許は持ってるけど金で買ったようなもんよ。退学させられないように、何度あいつに課題の肩代わりを頼んだか」

「呆れた」ダナが笑った。「そんなことをさせていたの」

「それがあいつは友だち甲斐のないやつで、いっつも断るんだよ。だけどお人好しだからさ、泣きつけばだいたいなんとかしてくれて。最終的には自分でやらされるんだけど、かなりのとこまで肩代わりしてくれたっけ――そのうち渉猟兵ってあたしにぴったりの仕事を見つけて、実家とおさらばしたってわけ」

「そうなんですかあ」今ひとつ理解できないまま相槌を打つレムへ、

「つまりだな、あたしは勘当されてんの。家族と縁を切られてる」

「えっ……」

「ダナは一生巡礼の魔術師だし、スヴェルグも似たようなもんよ。そういう浮き草みたいな連中がなる職なんだ、渉猟兵ってのは」

 話すうちに四人は広場を横切り、煉瓦れんが造りの東門を正面に見ながら小道を南へ折れた。

 広い絹織物通りから入ると、そこは余計に狭さを感じる小路だった。左右にそそり立つ家壁、二階より上層が露地に出張って造られた建物が昼光を遮り、いかにも裏道という薄暗さだ。丸石を敷きつめた舗道の中央で、昨夜の雨の泥水が淀んだ光を放っていた。その水か、あるいは腐朽した家の建材なのか、えた臭いも漂っている。

 〈大角横丁〉より外縁は、下町でも貧民の多い、やや治安の悪い地区だ。びくつく気分と好奇心のせめぎ合いを感じつつ、レムはずんずん歩く渉猟兵に従った。

 やがて左手に見えてきた銅製の吊り看板。緑青ろくしょうに覆われた錆びた風合いのそれには、小路の名と同じ、立派な二本角を冠する羚羊の踊る意匠が施してある。

「〈緑羚亭〉だ」湿気を含んで重たげな木製扉に手をかけて、アレックスが振り向いた。にんまりと笑んでみせ、「渉猟兵はね、あんまり余所者よそものを歓迎しないのさ」

 威嚇じみた軋みを立てつつ扉が開く。内部は通りより一段暗い。

 瞬くレムファクタの顔面へ、肉を焼く煙と獣の臭い、酒と泥と鉄錆の臭いがじわりと吹きつけてきた。

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