4.ウルフバートの魔剣
帝都の錬金学府で三年目を過ごしていた秋のこと。テュエンは、数ヶ月ぶりに顔を見せたアレックスに魔法剣を造ってみないかと持ちかけられた。
ちょうど冶金術の講義で課題が出ていたのを、彼女が知っていたかはわからない。ただ、そういうわけで折りもよく、すでに上級免許を取得して魔術錬成が許可されていたテュエンは二つ返事で話に乗った。
何度も留年を重ねていた先輩が、密かに渉猟兵稼業に足を突っ込み、そろそろ自主的に学生を卒業しそうな気配を感じ取っていたせいもある。アレックスは新しい門出に向けて上等な武器が欲しいのだろうと検討がついたし、餞別に造ってもいいと思ったのだ。
武器種は、依頼人の要望で片手剣。錬成素材はすべて彼女が用意してきた。
帝都でも屈指の銀行家一族の娘であるアレックスは、自由にできる資金を相当額持っていたうえ、親族にあることないこと言ってツテまで利用したようだ。テュエンが助言を仰いだ学匠は、たかが一学生が課題に使うには惜しい素材だと慨嘆しきりだった。ウルフバート鋼の原料、
かの鉱石は、サントラジェ公国よりもはるか西北、北方蛮族の部族らが支配する岩と氷の北海諸島に主に産する石だ。帝国領内の鉱山は極めて限られており、値段はとんでもなく高い。
ただしその価値にふさわしく、輝狼鉱から作られる鋼は刀剣素材として秀でた柔軟性を発揮した。適量の鉄鉱石と溶かし合わせると、普通の鋼鉄よりも遙かに衝撃に強くなり、例えば剣腹で恐るべき人狼の
しかし、袋いっぱいに詰められた輝狼鉱の輝きを見せられたとき、テュエンはアレックスに別の提案をした。魔術錬金は行わず、一般的な鍛造を勧めたのだ。
なぜなら、ウルフバート鋼には特殊な性質があったから。この鋼は、あらゆる魔術的な力に対して優れた抵抗性を持つのだった。
北方の地では古くから魔除けの力を持つとして、神像を彫りつけた大岩を族長の家の柱としたり、欠片を複雑模様のペンダントに加工して身につけているという。魔法剣を造るのなら、ウルフバート鋼より不向きな支持体はない。
そう指摘してもアレックスは聞く耳を持たなかった。前例がないならやってみろ、と彼女はけしかけさえした。どうせ材料費はあたし持ちだ、あんたに何の不利益があるっての?
「魔術錬金を行う前日の晩、私は眠れなかった……」
当時を思い出しながらテュエンはぼやいた。あの日の心労が蘇った気がして、無意識に胃のあたりを押さえながら。
アレックスは大げさに肩をすくめ、黒い両目をぐるりと回している。くすくす笑いながらダナが尋ねた。
「それでもあなたは成功させたのね。二層の構造にしたとか? アレックスにも以前詳しく訊いたのだけど、困ったことにこの人は自分の剣についてよく知らないようなの」
「彼女は自他共に認めるもぐり学生でしたからね」
テュエンは苦笑いして、
「ウルフバート鋼に符呪するのは諦めて、
「ウルフバートの魔剣は、北海諸国にもないだろう」
スヴェルグがぼそりと言い、卓上に置かれた剣をしげしげと眺めた。筋骨の厚い体躯に、冴えた色のもじゃもじゃした金髪。外見の特徴が示すとおり、スヴェルグは北海出身であるらしい。
「俺は、しばらくは信じなかった。炎を、つまらん小細工だと思ってた」
「実際、小細工程度の効果だったでしょう?」
「そりゃ大間違いだ、テュエン。あんたに魔物と戦った経験なんかあんの? 獣や魔物は火を恐れるんだ。しかもこいつはウルフバート。この剣がどんだけあたしらの危ないところを助けてきたか、語り出したらワイン樽が三つは要るよ」
「そうかい? ただの燃える剣じゃなかったのかな」
「ああ、テュエン」アレックスは両手を腰に当てて苛立った笑みを見せた。「あたしの武勇伝にケチつける気?」
瞬いて、テュエンは軽く諸手をあげる。剣は己の手を離れたときから、アレックスのものだった。謙遜ではなく侮辱になったと反省して、彼は口を閉じた。
だがアレックスはからりと破顔すると、とにかくわかっただろ、と口調を強くする。
「研ぎながら大事に使ってんのよ。大げさじゃなくあたしの右腕なんだ。こいつから火が消えちまったら――まあ、全部って話にゃならないにしても、あたしの評判は落ちるわけ。ガクッとね。だからさ、もし今後こいつの火が消えるたんび、あんたがまた符呪してくれるんなら、民間療法探しの仕事はいつもタダで受けてやる。どうよ?」
「無理だよ」
「おい……」
「いや、免許の話だけでなく、技術的にも無理なんだ」
「なんでさ。どのへんが?」
軽くため息をついて、テュエンは作業台上の剣を手に取った。
武器は扱い慣れないため、慎重に鞘から引き抜く。垂直に立てて左手を刀身に翳し、瞳を半眼に閉じて魔術を探った。確かに力の気配が無と消え去っているのを感じとると、そのままそっと卓上に戻す。大理石の台と触れあい、剣は刀身に漆黒の縞模様を走らせながらビーンと
「魔術武器の錬成は、初めてだったからね。魔効を持たせるのに精一杯で、後先を考えていなかったんだよ。
「同じ状態にしなければ、再び心金に魔術を固定できないということね」
ダナが理解して頷くかたわら、アレックスは不満げに唇を尖らせる。
「ちょっとちょっと。落第生にもわかるように頼むよ、先生方」
「剣を溶かさないと再符呪できないんだよ。そして、そんなことをしたら心金の星鉄鋼がウルフバート鋼とまんべんなく混じってしまって、魔術は壊れてしまうし、たぶん剣の剛性にも影響が出る」
「はあ。んじゃ、混ざらないように、剣の外身と中身を破壊して分けてだな……」
「片手剣が短剣になりそうだね。うまくいく保証もない」
「……できない? どうしても?」
「どうしても」
「なんで最初っから何度も魔術をかけ直せるよう造っておかないのさ!」
「無茶を言わないでくれ」
アレックスは派手な赤毛を掻きむしり、テュエンは大きな溜息をついて首を振った。二人の仲間たちと錬金術師の弟子は声をあげて笑っている。
気を取り直してテュエンは付け足した。
「実は、当時も多少調べてはみたんだ。術を長く保たせられるよう、錬金滴なんかの魔力補給源を外部に設計できないかとか。でもそれには剣に穴を開けたり、いびつな形にする必要があって、すると今度は構造的な弱みが出てしまう。
大穴のあいた剣が何度も戦いに耐えられるはずがない。おそらくこれが、巷に魔法剣が多く出回らない理由だと私は思うよ。錬金術師の造る魔法剣は使いきりなんだ」
「わかった、わかった!」ついにアレックスは白旗をあげた。「なんだよ、もう。がっかりだわ」
「見込みは薄いと、帝都の工房でも言われていたじゃない」
ダナンシーがさらりと暴露し、アレックスを唸らせる。魔術師は年下の友人の明るい火花のような気性には慣れたようすで、他にも目的があるでしょうと促した。
「あたしには炎剣の符呪が一番だったのよ。仕事は二番目だった」
「仕事で来たのかい?」
「大した依頼じゃない。東国の錬金術師から、サントラジェの錬成素材の目録と、最近注目されてる新素材でもありゃ、詳しい資料と現物が欲しいって感じ。ついでにあんたの店で、旅用の錬成品をまとめ買いしてくつもりだった」
「そうか、ちょっと間が悪かったな。渉猟兵が使うような錬成品の在庫を、ちょうど切らしてしまっていて……。材料はあるから、時間をくれれば用意するよ」
「頼むよ。さしあたり六日はこの街に滞在予定」
「錬成素材の目録はどうしようか?」
「そこまであんたの手は煩わせないさ。これから組合の集会宿へ行って、あとは街の学校にでも話を聞きに行きゃあ楽勝だろう。あんまり市場に出回ってない現物がいるとなったら、それこそ渉猟兵の仕事だね」
「渉猟兵の集会宿に行くんですか?」
と、それまで静かにしていたレムファクタが口を挟んだ。
大人たち全員の注目を浴びた少年は、一瞬怯んだように身を縮める。それから勇気を出して、また口を開いた。
「あのう、おれ、渉猟兵組合って行ったことなくて……。一緒に行って、見てきちゃ駄目ですか?」
「あたしらは別にかまわないよ。なあ、みんな?」
「いや、ちょっと待って」慌ててテュエンが片手をあげる。「渉猟兵の集会宿は、どうかな。けっこう国外からの人も多いから……」
「あたしらがいりゃ平気だろ。今日は顔出すだけで酒盛りするつもりもないよ」
「しかし……」
「師匠、いいでしょ? あの近くにお使いに行ったこともあるし、おれ平気ですよ。知らないことを知ろうとするのは良いことだって、さっきも言ってたじゃん」
うーん、と困り眉のテュエンの視線は、有翼人種の弟子の背にある白い両翼に注がれている。胸中を推し量ったようにダナが言った。
「私もあなたのお師匠様には賛成よ、レム。新しい世界を己の目でじかに見るのは素晴らしい経験だわ。私たちがリシュヌーを訪れたのは良い機会。少しだけこの子を預けてみないこと、テュエン? もちろんこの子の翼は隠していきましょう」
何か言いかけた口を閉じて、結局テュエンは頷いた。
レムファクタは小さく拳を握り、無邪気に喜んで飛び跳ねる。テュエンはまだ心配そうな、逆にほっとしてもいるような顔つきを見せたが、旧友との話が一段落すると、母屋へ向かって弟子の外出準備にとりかかった。
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