2.言伝の鳥
人間種族には珍しい
友人のクルトは国の名家である実家、フィガリーサ家に掛け合ってくれようとしたが、彼は平民を母親に持つ庶子だ。昔からフィガリーサの正妻に疎まれているのを知っていたから、迷惑をかけたくなかった。ただ彼の持つ上流階級へのツテだけを借り、自作の錬金製品を売ることにした。
錬金術師は精製や
後者のような品を錬成するにも、基本、作り手に魔力は必要ない。知識と技術、設備と材料さえあれば可能な点が錬金術のすぐれた特徴のひとつだったが、さらに魔術師としての素養を持つ者であれば、より複雑で多彩な効果を発揮する魔術錬金を行うこともできた。
独自に工夫した支持体を錬成し、通常は一時の効果しか
テュエンには多少の魔術の心得があった。問題は、学府に認められた上級免許を持たない彼が行うには、違法な技であることだ。けれどそのころ、レムファクタの病状は悪化の一途をたどり、市井に下って以来、テュエンは初めてもぐりの魔術錬金を行った。
錬成したのは小さな鳥籠の一対だった。一見、安っぽい薄金色の合金製で、子供の玩具じみたもの。だがそれは風の魔力と親和性の高い合金と、逆に低い鉱石を特別な触媒で溶かし合わせたものであり、籠を構成する檻の一本一本には魔術文言が刻まれていた。
生成した一塊の金属からふたつの籠を組み上げて、テュエンは最後に、風鳥の羽根を核に生みだした魔風の小鳥を内部に封じた。それは
効力は弱く、一度きりしか使えないにも関わらず、風信鳥と名付けたその品は創った十対がすぐに売れた。偶然にも当時、街で流行りのロマンス小劇に、似た魔術が活躍するものがあったらしい。おかげでテュエンはまとまった金を入手でき、調合した治療薬の服用でレムファクタは危うく快復した。
「もう、とうの昔に使われて、捨てられていると思っていたが……」
テュエンが呟くと、セリエラは過去を思い出すように瞳を閉じた。
「昨年、コヴォルルのサロンで演奏したおり、褒美でいただいたもののひとつでした。魔力の弱い品ゆえ、もう効果を失っているかもしれないと言われましたが、美しいものでしたので大切にしていたのです。私とウェシオでひとつずつ……、恋人同士の持つお守りのようなものと聞きましたから」
「では、亡くなった方というのは、その――」
「はい――ウェシオです。素晴らしい作曲家でした。私の弾く曲は彼の作品ばかり」
セリエラは懸命に堪えていたが、まだ恋人の死をじゅうぶんには受け入れられていないようだった。胸を押え、声を詰まらせた彼女のあとをクルトが引き取った。
「街道に
「クルト、きみも討伐隊に参加していたのかい?」
「ああ。恩師に弓手が不足だと頼まれてな。やつの最後の襲撃ではその場で二人が殺され、二人が連れ去られた。俺たちは以前からあいつを追っていて、ちょうどそのころ、やっと位置を割り出した巣に向かっていたんだが、救助が間に合わなかったんだ」
「つまり……」
「ウェシオ殿は巣に運ばれたほうだ。半日ほどは無事でいたようだな」
「…………」
雛がある程度成長すると、鷲獅子は巣に生き餌を届けるようになる。理由は謎だ。餌を新鮮なまま保持するためか、雛鳥の狩りの練習のためとも言われているが定かではない。いずれにしろ、さらわれた犠牲者は崖のような逃げ場のない岩棚の巣でしばらく生かされ、やがて食われる。
親鳥ほど雛が大きくなっていれば、獲物は一撃で殺されて丸呑みされる。だが殺戮に慣れない幼鳥の場合は、はるかに凄惨なことになる。犠牲者が見るのはこの世の地獄だという。巣はひどいありさまだったはずだ――衣服の切れはしや未消化の骨片、遺品はその程度しか残っていなかっただろう。哀れな犠牲者の最後の苦闘の痕跡と、黒ずんだ大量の血痕をべつにして。
テュエンは、自分の背後に隠れて話を聞いている少年をちらりと振り向いた。レムファクタは深刻そうに眉を寄せて黙っているが、それ以上の感情はない。テュエンは内心安堵した。鷲獅子の詳しい生態をレムが知らずにいてよかったと思った。
「すると、セリエラ殿。あなたの鳥籠に風信鳥が戻ったのは……」
「きっかり十二日前です」
向き直ったテュエンに、やや落ち着きを取り戻した女楽師が答える。まだ涙の雫を数粒乗せた睫毛をまばたき、彼女はカウンターから身を乗り出すようにした。
「言伝を抱えた鳥は、二十日ほどしか籠に
「しかし……」
「お願いです、テュエン様。お金はいくらでもお払いします。必要なものがあればおっしゃって。私が材料を
訴えるなり詩人は絶句し、また涙を盛り上げた瞳で凍りついてしまった。クルトが問うような視線をこちらに投げかける。レムファクタは、もちろん師が承諾するものと信じているのだろう。ローブの端が軽く引っ張られるのを感じた。
だがテュエンは、押し黙って鳥籠を見つめるしかなかった。
常人の目には、近いランプの灯りを受けてやわらかく輝くようにしか映らないだろう。しかし魔術師として感能力を鍛えた者には、籠の内外を巡る密やかな力の存在を知覚できたはずだ。
星に似た光を瞬かせる、微細に砕けた無数の鏡片――それらがめいめいの速さで流動しつつ、無音で、息づくようなリズムを作っている。この繊細で複雑な輝きの造形こそ、テュエンが鳥籠に練りこんだ魔術の正体だった。
その光は明らかに、錬成当初よりも弱まっていた。籠網に直接刻まれた封じの魔術ですらこれほどの劣化なら、内部に
――あと七日……。いや、五日が限度といったところか。
そして、一度完成した魔術にあとから手を加えるには、非常に高度な技術を要求された。
崩壊しかけた魔術の場合は、とくにそうだ。間違った箇所にほんのすこし触れただけでも、振動が全体に波及して弾け散ることが容易に起こりうる。セリエラが風信鳥の改術をどの工房にも断られたのは、品物を一目見て誰もが不可能だと理解したからに他ならない。
――私にも無理だな……。
できない、と答えるしかなかった。しかし難しく眉を寄せたまま、テュエンは舌先に乗せた言葉をどうしても声にできなかった。痛々しく
「師匠。ねえ、できますよね?」
レムファクタがローブの裾を引く。少年の翼が不安げに垂れているのに罪悪感を覚えながら、テュエンは慎重に楽師に尋ねた。
「ひとつだけ、確認しておきたいことがあります」
「なんでしょう?」
「長く使わずにいた鳥を使ったのなら、おそらくあなたの恋人は魔物に襲われた日――ひょっとすると、捕まったあとに鳥を使ったように思います」
「はい……」
「あなたにとって、あまり聞きたくない伝言が込められている可能性もある」
「それは――考えました」
楽師の憂いの瞳が閉じられ、しばし震える呼吸があった。胸の前で祈るように両手を握りしめ、彼女は意を決した表情の顔をあげる。
「彼の最期の言葉です。どんなものであれ、私は受け止めます。そうしなければならないの。あの人が苦しんでいるとき、私は何もできなかったから。そ、それに、ウェシオは優しい人でした。恐ろしい言葉を私に
「…………」
女の背後で、クルトが難しい顔で腕を組んでいる。テュエンは内心友人を恨んだ。誰にとっての、どんな結果を期待して、この依頼を私へ持ちこんだのか。
カウンターの鳥籠へ手を伸ばし、テュエンは触れるまぎわに指を止めた。溜息を堪えて重い口を開いた。
「私はこの品を、一度しか使えない弱い魔術錬成品として作りました。長い年月に耐えうるような、あとから作りかえられるような品として、この魔術は構成されていないのです」
「他の工房の方からも、そう言われましたわ。もはや消えかけた魔術で、手の
「正直申し上げて、私にも可能とは思われません」
「そんな。でも」
「ですが――」一度言葉を切り、テュエンはこめかみを軽く掻いた。「数日お預かりしてみましょう。見たところ、籠の封印の寿命もあとわずかです。もって五日といったところ。封印が壊れるまで何か策はないか試してみます。五日後にお返ししましょう。事の成否に関わらず」
「ああ、テュエン様――ありがとう。なんとお礼申し上げたらいいか」
「期待はしないでください。これは奇跡を望むような試みです」
美貌の楽師は、もはや願いが果たされたかのように幾度も礼を述べた。そしてやってきたときに比べるとずっと安堵したようすで、夜道をクルトに送られていった。
友人の衛士は夜番の街路巡回でもあるらしい。去りぎわに何かもの問いたげな表情をしたが、「今日は突然悪かったな。また来るぜ」挨拶だけして帰って行った。
「――はあ、びっくりしましたね、師匠。まさか、あの人がうちに来るなんて」
店内が静けさを取り戻すと、レムファクタがようやく騒げるといった感じで翼を伸ばした。
「でも、恋人が死んじゃったからなんですね。今日師匠が見かけたとき、元気がなかったのは」
「そうだね……」
「これは師匠が作ったんですか? おれ見たことなかったなあ。触ってもいいですか?」
「そっとならね。壊さないように気をつけて」
「壊しませんよ。おれは師匠の一番弟子なんですよ」
カウンターに残された小さな鳥籠を、レムファクタはしげしげと眺めた。おそるおそる手元に引き寄せて中をのぞきこむ。半透明の風の小鳥が飽きもせず細かく翼を動かすのに驚きながら、尊敬の眼差しでテュエンを見あげた。
「すごいなあ、師匠。こんなの作れたんだ! これ、本当に壊れそうなんですか? ぜんぜんそんなふうには見えないけど」
「かけられた魔術がね。もう散ってしまいそうなんだよ」
「ふーん」とレムファクタは、眉をぎゅっと寄せて顔を近づけ、呼吸すら止めて鳥籠を凝視する。やがてぷはっと息継ぎして身を離し、
「駄目だ、おれにはわかんないや。でも師匠にはわかるんだから、きっと大丈夫ですよ。依頼を果たして、あの人を喜ばせてあげたいな。悲しいことばっかり続いたりはしないもんだって、前にクルトさんも言ってたし――頑張りましょうね、師匠!」
元気に拳を振り上げたとたん、少年の腹がぐうーと鳴った。レムはびっくりして自分の胃袋のあたりを押さえ、けらけら笑った。
「おなか鳴っちゃった! うわっ、もう完全に夕ご飯の時間じゃん。おれ、支度してますね」
「頼むよ。私も店を閉めたら行くから」
そう言ったものの、その後しばらくテュエンは腕組みをして、カウンターから動くことができなかった。
「馬鹿だな、私は……」後悔しながら、独り呟く。「しかし、なんとか……」
静まりかえった店内で、数日後には確実に輝きを失う小さな鳥籠を彼は見つめた。
耳には、日暮れ前の広場に流れたあの物悲しい旋律が遠く流れていた。最後の和音を奏でぬまま、寂しい余韻を残して力尽きる楽器の音色。
楽師の悲壮な眼差しが、胸に突き立って残っていた。その痛みをなだめるように、テュエンは目を閉じて可能な処置の方法を思案しはじめた。
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