月蝋通り、一つ目不死鳥の錬金店

鷹羽 玖洋

月蝋通り、一つ目不死鳥の錬金店

第1話 風信鳥

1.リュート弾き

 泉の広場から流れていた旋律が、ふと途絶とだえたようだった。

 その音色は物悲しく、哀れを誘い、聴く者の胸のうちにあるもっとも美しい別れを想起させるものだったので、なかば陶然とそれぞれの物想いに沈んでいた聴衆は、ふいに夢を破られたようにあたりを見回した。

 テュエンも、その一人だった。この広場は普段から旅の大道芸や物語師、吟遊詩人が賑やかしく技量を披露する場となっている。しかし今日、まだ雪解けまもない辺境の街、リシュヌーの寒い街路で聞くにはあまりにも、それは洗練された、都会じみた演奏だった。それで彼も、つい通りがかりに足を止めていたのである。

 演奏者は人垣に囲まれ、すみにいるテュエンからはうかがい見ることができなかった。楽器は甘く澄んだ音をはじく上等のリュートに思えたが、その哀切な調べ、熟練の手による演奏が、どうしたことか曲の一番の盛りあがりで途切れてしまったのだ。

 いったい何が起きたのだろう。弦が切れてしまったのだろうか?

 しばらく待っても再開の気配はなく、人々は目元に当てたハンカチを下ろしてざわめいた。やがて残念そうに首を振ると、すこしの小銭を投げる音だけを残して散りはじめる。動き出した人群れに押されるように、テュエンも家路につくことにした。

 けれどやはり気になって、広場の角を曲がる直前、彼はうしろを振り向いてみた。すると雑踏のあいま、噴水の縁石に、一人の女楽師がぽつんと腰掛けているのが見えた。

 濃緑のローブを目深まぶかにかぶり、みごとなリュートを抱えたまま彼女は身じろぎもせず座っている。ローブの下には辻演奏師とも思えぬ地味な漆黒のドレスがのぞき、革の長靴ちょうかの足先まで黒一色で装っていた。

 その陰鬱な格好で、彼女はぼんやり足元を見つめている。まるで先ほどまで自身が奏でていた悲嘆の調べに、魂まで囚われてしまったように。あるいは自分でも思いがけず、どこかへ去ってしまった旋律の、その大切な続きを見つけられずに途方に暮れているかのように――。

 広場に斜めに差しこんでいた陽光が、さっとかげった。冬の名残の雪雲が低く流れきて、ただでさえ弱々しかった日差しをさえぎったようだった。

 時刻は夕暮れ。空気は冷えこみ、にわかに広場を交差する人々の足音も高くなった気がする。テュエンは家で待っている用事を思い出した。自店での仕事がまだ残っている。買い物帰りだったのだ。

 幕を下ろしたように青暗い影に入った広場を再度見やってから、テュエンは背を向けた。

 音楽師はまだ美しい塑造そぞうのように、縁石でうつむいている。そのうち心配した衛士が、巡回がてら彼女に声をかけるだろう――そう思いながら、テュエンは家路を急いだ。



 月蝋げつろう通りの末端にある、半地下の店への石段を降りる。

 吊り鉢から垂れ下がるアイビーに縁取られた黒樫の扉には、一つ目の不死鳥を描いたステンドグラスの明かり窓。錬金素材取り扱い店の目印となる紋章だが、このところは街路の砂塵に汚れ、色褪せが目立っている。

 そのうち拭き掃除をしなくては、と、毎度の思案をしつつ鍵を取り出して、

 ――おや?

 テュエンは手を止めた。把手はしゅに掛けられた真鍮しんちゅうの吊り看板が〈開店〉となっている。店を出ぎわ、自分は確かに〈閉店〉にしてきたはずなのだが。

 扉に鍵もかかっておらず、いぶかりつつ戸を開くと、途端に「師匠!」奥から声がとんできた。

「よ、よかった、おかえりなさい! お客さんですよ!」

 ドアベルの音をかき消すほど元気な、そして安堵した声だ。多重の煉瓦れんが造りの店内は昼でも薄暗い。闇慣れない目を瞬いていると、ぱたぱた騒々しい足音が駆けつけてきた。

 背丈に合わないローブに足を取られつつ、レムファクタがスパイス棚の向こうから姿を見せた。少年の瞳はいつもどおり、生意気ざかりの悪戯いたずらめいた輝きをきらきら宿している。だが、そばかすの浮く頬に浮かぶのはかなり焦った笑みだ。

 テュエンはかぶっていた頭巾をうしろに降ろし、買い出しの荷を少年に預けた。

「客というと、どなただろう? 今日は約束のある客はいなかったはずだけれど」

「いえ、約束とかじゃなく、そのう……。普通に買い物しに来たお客さんです。おれ、品物の場所がわからなくて」

「レム……」思わず立ち止まり、テュエンは少年を見下ろした。「また表の看板を勝手に裏返したね? 私が留守のときは、無理に店番しなくていいと言っているだろうに」

「お、おれにだって店番くらいは務まりますよ! それに、品の場所がわからないのはおれのせいじゃありません。師匠が悪いんですよ!」

「私が?」

透蜥蜴すきとかげの目玉、昨日の錬金で使ったでしょう。またちがう場所にしまいましたね?」

「あっ、そうだった……かな? そうかもしれない。下の棚になかったかい?」

「ありませんよ!」

 すまないと謝っても少年はぷりぷり怒っている。形のいびつな背中の小翼を無意識に広げようとするので、テュエンは苦笑しながら重ねて謝った。商品棚にぎっしり並んだ薬壺を倒しかけた有翼人の翼が、それでなんとか元の位置へおさまってくれる。

「申し訳ない、どうやらお待たせしてしまったようです」

「……いや」

 浅い二段の階段がふたつもある、奥へ深い穴蔵じみた店を先へ進むと、どん詰まりのカウンター前で客が待っていた。

 濃い色の布地にもはっきりわかる、あちこち染みのついた厚手のローブ。顎髭あごひげを短く刈りこんだ初老の男は、レムファクタが焦ったのもうなずける貫禄だった。面長で威厳ある顔つきと理知的な眼光は、初めての客ではあっても、首にかけられた大仰な徽章学鎖メダリオンで見当がついた。

 メダルの色は赤みを帯びた金。そこに〈太陽を咥える獅子〉の紋章が精緻せいちに刻みこまれている。帝都の大学で免許を受けた錬金学匠がくしょうの証だった。

透蜥蜴すきとかげの目玉でしたね。量はいかほど?」

「十二オンクほしい」

「承知しました。只今ご用意します」

 店内には狭い間隔で棚が並び、商品がぎっしり詰まっている。そのうえカウンター卓にも裏の壁棚にも、さまざまの瓶や小箱、薬草の束が吊り下げられている。

 注文の品は本来カウンター下の薬棚にあるはずだったが、レムの言うとおり、瓶の並びには目的の物だけ欠けていた。ここにないならうしろだろう。奥の扉を開き、テュエンは作業場へと向かった。

 店と母屋のあいだにある作業場は、明かり窓が天井近くに細くあるだけで店内よりも薄暗い。重厚な石積みの壁龕へきがんにある燭台に、テュエンは慌てず火を灯した。部屋の中央には大理石の作業台が鎮座している。その上に放置されていた蛙革の手袋をまず見つけ、次に透蜥蜴の目玉の入った大瓶を探しにかかった。

「レムが怒るのも無理はないな……」

 苦笑が漏れる程度に、部屋はなかなかの惨状だ。錬金作業中、テュエンには使っている道具や材料を無意識にあたりへ置いてしまう悪癖がある。なぜか書棚に突っ込まれていたマンドラゴラの粉末瓶とダチュラの花蜜瓶、そのあいだにようやく目当ての遮光瓶を見つけ、彼は作業台へと戻った。

 蛙革の両手袋をはめ、同じく蛙革の小袋を台下の引き出しから用意する。遮光瓶を開け、ビーズに似た小粒の球体を天秤皿にさらさらと落とした。水色から紺碧色まで幅広い青色を宿す小粒は、貴婦人の身を飾るに足る美しい鉱石のようだ。けれども、この宝石もどきは取り扱い注意の劇物でもある。冷暗所で乾燥した透蜥蜴の目玉は、体温の高い生物が触れるとたちまちとろけて猛毒を滲み出すのだ。毒は皮膚へ浸潤しんじゅんし、数日かけて組織を壊死えしさせる。

 分銅を選んで量りながら、テュエンは品物をよく検分した。融けかけた目玉がないか、異物の混入は見当たらないか。吐息が掛からぬよう注意しながら皿から小袋へ移し入れ、古びた口紐を取り替えたうえ、彼は急いで店に戻った。

 相変わらずいわおのように佇む学匠と、気まずげに身と翼を縮こめているレムが待っていた。

「デナリ銀貨八枚です」

「品を確認してもよろしいかな」

「ええ、どうぞ」

 答える前から客はすでに薄手の革手袋をはめていた。小袋を開き、目玉粒には触れぬよう、袋の底を指で押しあげて品物を転がしている。鋭い眼差しでじっくり値踏みして、納得してくれたようだった。

「――良い品だ。瞳孔まわりの赤色の濃度がそろっているな」低い声音には、どこか意外そうな響きが混じった。「講義で使うには少々もったいない質だ」

「学生さんの実習ですか」

「うむ。蜂蜜酒に漬けこんで、雪蛇の解毒剤をな。この目玉の質なら、たとえ蒸留器をひっくり返してローブを溶かすような愚か者にも、それなりの薬は作れるだろう」

 使い方しだいで毒は薬にもなりうるという、錬金学では初歩の講義だ。やはり客はこの街の学舎で教鞭をとる錬金術師であるらしい。テュエンは愛想よく微笑みながら対価の銀貨を受けとり、釣り銭に銅貨数枚を渡して返した。

「ありがとうございます」

「店主殿は、どこで学ばれたな?」

 唐突な問いに視線をあげると、客の表情には悪気のないかすかな好奇心が浮かんでいた。

「待たせてもらうまに店の棚を拝見したが、珍しい品を錬成なさるようだ。生活雑貨のようだが、帝都でも見かけたおぼえがない。有翼人種の小間使いがいるというのも珍しい」

「いえ、私など、お教えするほどの学歴はありません。せいぜい下級錬成品の販売免許を持つ程度で、店の看板にあるとおり学鎖は黒鉄ですから」

「ふむ、そうか……。今日はなじみの店が急な休みであったゆえ、人に聞いてこちらへ来たが、良い品を購入できて良かった。いずれ、また利用させていただこう」

「ありがとうございます」

 去っていく客に、「ありがとうございましたあ」床を掃き掃除していたレムファクタもおっかなびっくり挨拶を送る。客が店の扉から出て行くやいなや、少年は箒を放り出してカウンターに飛んできた。

「うひー、怖かったあ。あの人ったらまるで遺跡の石人形ゴーレムでしたね、師匠! 怒ったらめちゃくちゃ怖そうだったなあ。講学館の先生って、みんなああいう感じなのかな?」

「こらこら、失礼な言い方をするものじゃない。厳しそうな人だったけれど、商品も褒めてくれたじゃないか」

「師匠が帰ってくる前は、すごく怖かったんですよ! ずっと黙ってて、店の中うろうろ歩き回って」

「それはおまえが彼を待たせたから……」

 言いかけて藪蛇やぶへびに気づく。少年は両頬をぷっと膨らして、頬袋にどんぐりを詰めこんだ栗鼠りすのごとくテュエンを睨んだ。噴き出しかけてテュエンは表情を引き締め、わざとらしく咳払いする。諸手を上げて謝った。

「悪かった、悪かった。私のせいだ。わかってる」

「使ったものは、ちゃんともとの場所に戻してください!」

「今度は気をつけるよ」

「いっつもそう言うじゃん」

「だからレム、店番はしなくていいから」

「おれは師匠の一番弟子です! 弟子は店番するものなんです!」

 翼をぱたつかせながら口を尖らせる少年に、テュエンは困った顔で微笑む。

「――じゃあ、今日はもう店じまいだ」

 外していた革手袋を、ついそのあたりに放り出しかけてからハタと気づく。きちんとそろえてカウンター下のフックに引っ掛け、テュエンはふと店の入り口を透かし見た。外で雪雲が厚さを増してきたのか、陽光が灰色に陰っている。

「表の看板を裏返して、箒も片付けておいで」

 テュエンは凝った肩を揉みほぐしながら、少年に声をかけた。

「買い物に行ってきて、すこし疲れたよ。夕飯前だが、お茶を煎れてひと息つくとしよう」



 毛先の不思議に翠色がかった金髪が、ふわふわと揺れている。

 ハーブ茶の湯気に煽られた癖っ毛の巻きが強まって、レムファクタは鬱陶しげに前髪を指で払った。それを見ながら、そろそろ切ってやらなければなとテュエンは思う。ざっと片付けただけの作業台で向き合い、二人、静かにハーブ茶をすすっていた。

 室内には壁掛け時計のチクタク音と、朝から加熱中の大蒸留器が奏でる沸騰音だけが快く響きつづけている。そこに時折り混じる、少年がクッキーを頬張る音。ティーポットの細口からは妖精のドレス帯のごとく、淡い湯気が揺らめきながら無音で宙に解けていた。

 レモングラスとカモミールの香りが穏やかに鼻先をかすめ、テュエンは我知らず深く息を吸い、吐きだした。レムファクタがちょっと首を傾げてようすをうかがうようにしたので、手元にあった自分のクッキーを押し出してやる。嬉しげににっこり笑い、口をもぐもぐさせながら少年は追加の胡桃くるみのクッキーを引き寄せた。

 ――五年か。

 レムファクタを彼の両親に預けられてから、もうそれほどになるとは。

 幸せそうに焼き菓子を咀嚼そしゃくする子供をぼんやり見つつ、テュエンはかつてこの店を開いたばかりに出会った少年の姿を思い出していた。おぼつかない足取りで、店内を興味ぶかげにのぞきまわった六歳の有翼人――両親に置き去りにされたとわかったとき、大声で泣きじゃくりながら立ち尽くした痛々しい薄い背中も。

 他種族とはほとんど交流を持たぬ有翼人種の二親ふたおやが、実際どの程度の期待をして我が子を人間の錬金術師に託したものか。テュエンは今でも疑問に思い、そして答えを得るのを諦める。

 ――考えても無意味なことだ。たぶん、彼らにもわかっていたはず……。いつごろ、迎えに来るとも言わなかったのだから。

 お茶のおかわりをカップに注ぐ、少年の背中に目を向ける。上着を脱いだ麻のチュニックから突きでた翼は両翼の骨がねじれていて不自然に短い。飛翔はおろか、大きく広げて羽ばたくことすらできない奇形だった。

 ――それとも、もし大学に残れていたら? さっきの客のような学匠とはいわずとも、せめて上級免許を持てていたなら? あのいびつで未発達の矮翼わいよくを癒やす、奇跡的な霊薬の製法を思いつけたろうか。

 いや、とテュエンは口の端を皮肉げに歪めた。それも虚しい空想だった。罪を得て学府を追われた身には、もはや帝都大本館どころか図書館への立ち入りすら許されない。

 慣れ親しんだ無力感が全身を覆った。再び大きな溜息をつきそうになり、テュエンは慌ててお茶を手に取る。カップを両手に包みこみ、冷えつつある温もりに心を凝らした。

 ――奇妙だな。なぜ急に、これほど滅入っているのだろう?

 今日は特に何をしたわけでもないが、本当に疲れているのかもしれない。幼子に心配をかけるのも大人げないから、無理せず早めに休むことだ。そう考えて、テュエンは猫背気味の背を伸ばした。そのときふと、彼は気鬱の原因に思い当たった。

「レムファクタ」

「むぐ。……はい師匠、なんですか?」

「いつだったか、おまえが言っていた辻音楽師だと思うんだけれどね。今日、噴水広場で演奏しているのを見かけたよ」

「えっ。ほんとですか」明るい榛色の両目を輝かせ、少年が元気に身を乗り出す。「いいなあ、十日くらい見なかったのに。ねえ、おれが言ったとおり、すっごく素敵だったでしょう? 港湾市から来たリュート弾きで、駆け出しだけど、もう〈歌神の尾羽根〉の一員なんだって。この街では、あとから追いつく作曲家の恋人を待ってるんだそうですよ」

「おやおや。ずいぶん詳しいなあ」

「一緒に聴いてた人たちが教えてくれたんです。おれは、〈駒鳥こまどりと春風のガリヤルド〉って曲が好きだったなあ。古着屋のおばさんは〈水の眠りのパヴァーヌ〉が泣けるからいいって。でもそれはとっても悲しい曲だったから、おれはやっぱり楽しいほうが好きなんだ。師匠は何を聴きましたか? 何がよかったですか?」

「ああ、その――パヴァーヌだったのかな。もしかすると」

「そっかあ……。師匠も悲しい曲が好きなんですね」

「いや、そうじゃなくてね」

 けげんそうに首を傾げる弟子に今日の出来事を話す。

 精気の欠けた女流音楽師の、うなだれたようす。涙を誘う旋律をリュートでみごとに爪弾きながら、感極まったところで突然演奏をやめてしまったこと。噴水の縁石に腰掛けた、影の中の孤独な姿。まるで彼女だけが世界から取り残されてしまったように。

「そうなんですか……。ひょっとして具合が悪かったんでしょうか?」

「どうだろう。病気というより元気がない感じだったかな。私も気にはなったんだけど……」

「師匠ったら、声をかけてあげればよかったのに! パンを買ってきてたんでしょう?」

「パン?」テュエンは飲みかけたカップの手を止め、面食らって瞬いた。「確かに買いこんできていたが……、パンがどうした?」

「渡してあげればよかったんですよ! キットウェイおじさんのパンは絶品だもの。菓子パンなんかとくに、すごく美味しいんだから。あの人、食べたらきっと元気になってくれましたよ」

「なるほど……」言ったきり、テュエンは押し黙る。また笑ってしまいそうになったのを必死でこらえたのだ。「またもや私がうかつだったみたいだね。わかった。もし次に見かけたとき、パン屋の袋を持っていたら、そうしよう、かな」

「おれも気をつけてみます。あんなに綺麗な曲を弾く人だもの。元気がないのは可哀想です」

 少年はどこまでも真剣に言って、決然とした表情でクッキーをかじる。テュエンは微笑み、穏やかな気持ちで沈黙した。それから残りのお茶を飲み終わり、さて、そろそろ夕食の支度に取りかかろうか――と、思い立った矢先だった。

 店に通じる扉のドアベルが、チリンと小さく音を立てた。

「おや、お客さんかな。こんな時間に」

 テュエンとレムは、そろって真鍮色のベルを見上げる。

 店のベルと作業場のベルは、同じ魔法を込めた金属から製作した錬成品だ。片方の呼び鈴が鳴れば、もう片方も連動して来客をしらせる。テュエンがこの店を開くさいに作りだした、生活雑貨のひとつだった。

 そういえば、店の表戸の鍵を掛け忘れていた気がする。立ちあがりながらテュエンが明かり窓に目を向けると、すっかりと暮色が濃い。誰だろう、と推測するまでもなく、相手の大声で正体が知れた。

「よう、錬金術師。奥にいるのはわかってるぞ、作業を止めて出てこい」

 レムファクタと顔を見合わせ、思わず苦笑。二人が店へと向かうと、磊落らいらくな大声の持ち主は、すでに大股に店内を突っ切ってきていた。

 抑えた光量のために、夜はさらに暗い店内でも――商品の詰めこまれた棚が何段も並び、繊細なガラス製品や垂れ下がる乾燥薬草が空間を埋めつくす店内でも、迷うことなく一直線にやってこれるのは、慣れというより彼自身の豪快な性格ゆえだろう。

 見慣れた軽鎧を着込んだ衛兵が、片手で挨拶してくる。ニッと白い歯を見せて笑った友人を、テュエンは腕組みして出迎えた。軽く眉を上げたのは、男のうしろにもう一人、ひそやかに従う細身の人物に気づいたからだ。

「相変わらずごっちゃごちゃしているなあ、この店は。俺には狭すぎる。もうすこし片付かんのか」

「狭い路地を通り抜けるのも、衛士えじの訓練だと考えたらいい。――クルト、いつも同じ文句を言っているけれど、そろそろぼけ防止の薬が必要なら安く売ってあげよう」

「それに暗すぎる」

「太陽光に弱い錬金素材の保護のためだよ。何度言ったら――いや、何か用件があって来たんだろう。そちらの方は?」

「紹介する」

 話が早い、といった調子でうなずき、クルトは狭いカウンター前で場所を譲る仕草をした。

「セリエラ殿。この慇懃無礼いんぎんぶれい優男やさおとこが、俺の親友で錬金術師のテュエンだ。テュエン、こちらはコヴォルル湾港市からおいでのリュート楽師、セリエラ殿」

 おや、それでは……?

 クルトのマントのうしろから、濃緑のローブ姿の女性が数歩前へ歩みでる。鋲止びょうどめの立派な楽器鞄を床に置き、女の白磁の手が目深な頭巾を取りのぞくと、小さな顔を彩るように波打った金髪がこぼれ落ちた。背後で興味津々にようすをうかがっていたレムファクタが、あっと叫んだ。

「泉の広場のリュート弾き……!」

「おっとレム少年、元気か。おまえ、口のまわりになんかついてるぞ」

 赤面してレムがクッキーの食べかすを払い落とす。いつもなら、じゃれてクルトに食ってかかるところ、少年にしろ衛士にしろ態度が妙に神妙なのは、まさに市中で話題の音楽師がそこにいるからだった。

 テュエンも思わず見惚れた。目をひく美貌の持ち主だった。

 齢は二十なかばだろうか。北方生まれらしい色素の薄い肌に、絹糸さながらの黄金の髪。本来灰色らしい瞳は、今は卓上の錬金ランプの灯りを受けて神秘に紫がかって見える。けれども、歌神に捧げられた花のようなかんばせが、いっそ陰鬱に青ざめて見えるのは、涼しい目元に落ちた濃い影、若い美女には似合わないやつれた頬のせいだった。

「突然お邪魔して申し訳ございません、テュエン様」かすれ気味の声まで美しく、女は口を開いた。「ですけれど、どうしてもご高名な錬金術師の方のお力を拝借したくて、こうしてクルト卿にご紹介していただきました」

 高名な錬金術師――だって?

 思わずテュエンはクルトに目を細める。一応は下町の衛士隊長であり、街の治安を維持する貴族の友人は、鼻の頭など掻きながら明後日あさっての方向を眺めていた。

 仕方のないやつだ、美女に頼まれて断れなかったのだろう――高名というのは嘘ではないが、悪いほうの評判だ。

 テュエンはやや悩んだ。なにやら事情を抱えているらしい彼女を落胆させるのは本意ではないが、誤解がないよう、はっきり言っておかねばならない。

「わざわざお訪ねいただき光栄です、セリエラ殿。しかし、このクルトには少々大げさに友を持ちあげる悪癖がありまして。申し訳ないが、ここは錬金素材とちょっとした生活雑貨を扱うだけの店。もしも高度な技術をお求めなら、街には優れた工房が他にいくらでも……」

「いいえ、ご謙遜なさらないで。あなたは帝都の大学でも、知らぬ者のない卓抜した術師だったと聞きました」

「その大学を退学になっているのですよ、私は。クルトがなんと言ったかはわかりませんが……」

「この三日間で、街の工房は回り尽くしましたの。どこにもお断りされてしまいました。お願いです、テュエン様。私には時間がありません」

 必死の表情で、二、三歩よろめき出た彼女の両目に光るものがあった。思わずクルトを見ると、衛士は眉を寄せて軽くうなずいてみせる。

 楽師はそっと懐に手を差し入れ、白い布袋を取り出した。女自身のように繊細で美しいレース飾りの小袋から現われたのは、華奢な金の鳥籠とりかごだ。内部に小鳥が一羽、軽やかに羽ばたき舞っている。けれどそれは生きた本物の鳥ではない。半分不可視の魔風の鳥だ。

 そのことをテュエンはよく知っていた。なぜなら――

「これを創られたのは、あなたですね」

 カウンターに置かれた鳥籠から、テュエンは視線をあげる。美貌の楽師の片目からひと粒、真珠のように涙が落ちた。

「どうかこの小鳥の声を、永遠のものにしてほしいのです。一度しかさえずれない魔法であることは承知しております。けれどもこの小鳥には、私の大切な――私の愛する人の、愛した人の、最期の声が吹きこまれているのです」

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