おじさん刑務所

古代インドハリネズミ

三食寝床付きの素敵な職場

 おじさん、刑務所に入れられちゃったよ。


「起きろ! 時間だぞ」


 刑務官のけたたましい声で私は跳ね起きた。すぐにベッドメイクを始め、制服に着替える。

 パソコンを起動させ、テレビをつける。そのタイミングで刑務官が部屋に入ってきた。


 刑務官の持っている鍵でしか開かない独房の扉。なぜかピンク色でどこにでも行けそうなその扉はマジックミラーになっているらしく、私には外の様子が伺えないが外からは私のしていることが丸見えらしい。

 扉を開けた刑務官の後ろにはもう一人の刑務官がいて、抜け出すことは不可能だ。刑務官は私の部屋を隅々まで観察し、パソコンとテレビが起動してあることを確認すると満足そうに頷いた。


「ふむ。O-157よ、なかなか準備がいいな。貴様は優秀なおじさんだ」


 O-157とは私の識別番号だ。ここでは絶対に名前で呼んでもらえない。この食中毒になったような番号が、ここでの私の名前なのだ。

 OはおじさんのOである。


「光栄であります」

「むっ、また悪い癖が出たな!」

「し、しまった、痛え!」


 直立して敬礼した私を、刑務官はどこからともなく取り出した鞭で叩いた。打たれた腕は服の下で赤くなっているだろう。

 特に軍事方面に詳しくないくせに軍隊の真似をしたがるのはおじさんの悪癖だ。おじさんの癖は根絶されなければならないと法律にも書いてある。


「ふん、貴様はOPを1点増加だ。今日の朝食は勘弁してやるが、昼食のグレードが下がることを覚悟しておけ」

「は、はい……」


 OPとはおじさんポイントの略である。決しておっぱいなどの略では――


――バチバチバチッ!


「ぐえぇぇっ」

「貴様、またくだらん下ネタについて考えていたな。頭の『おじさん緊箍児きんこじ』が赤く光っていたわ!」


 刑務官は私にスタンガンを押し当てていた。刑務官の胸がデカいのが――違う、何でもない。今日も良い日になりますように、と私は考えていた。違うぞ。


「す、すびばせん……」

「ふん、早く所定の勤務に移れ。今日は男性アイドルの出ているバラエティ番組を視聴しながらイケメンYouTuberの特に面白くもないネタを見続ける刑だ。早くするんだな、のろまめ」


 私は言い返すことなく、とぼとぼとパソコンのある席についた。

 刑務官は私の様子を見て満足したのか、鍵をしっかりと閉めて次の部屋へと移って行った。


 刑法第1023条が施行されてから、約50年。この日を境に世のおじさんは、おじさんであるということだけで罪になった。

 おじさんと目される行動を取った場合、刑事罰に問われる。セクハラ、パワハラといったはた迷惑な行為を行った場合は厳重に隔離され、下手をすると終身刑になる。

 それ以外にも体臭、オヤジギャグ、不必要な絵文字・顔文字の乱用、エトセトラ。すべてがの対象となるのだ。

 私はただ、SNS上のDM個人的やり取りでうっかり『ユキちゃんこんにちは(^o^)投稿見てびっくりΣ( ̄。 ̄ノ)ノ怪我大丈夫だった(´・ω・`)?』と書いただけなのに捕まってしまった。

 私を捕まえた警察官は『今までよく捕まらなかったなお前』と感心していた。


 私は死んだ目でバラエティ番組の男性アイドルを見ながらイケメンYouTuberが腐った卵を食べてむせる姿を眺める。

 あまりどちらかに注視してしまうと、OPおじさんポイントを加算されてしまう。

 OPが加算され続けると食事の品目が減り、代わりに脂っこい食べ物が増える。おじさんにはつらい。


「うぎゃあ!」


 隣の部屋から叫び声が聞こえる。

 隣人とのやり取りは禁止されているが、こうしてなぜか悲鳴だけは聞こえるようになっているのだ。

 私も最初のうちはこのイケメンとアイドルを見せ続けられることに嫌気が差し、目を逸らしてしまった。だが、座っている椅子から棒が飛び出して尻穴に挿さってからは学習した。もう痔になるのは嫌なんだ。


 私はついに、イケメンYouTuberのくだらないチャンネル動画をノルマ数閲覧した。感想文も書かなくてはならないのだが、これは簡単だ。


「マジまんじ……っと」


 若者っぽい言葉を書いておけば合格となる。最初に高評価をもらおうと思って長文を提出したら『長い文章がおじさんくさい』とボツを食らった。OPももらった。

 皮肉なことに若者言葉はYouTuberから学べる。彼らが使っている言葉をそのまま書けばいいのだ。


「あとはトレーニングか」


 だるだるのメタボリックな体型はおじさんくさい。そのため、午前中と午後に時間に狭い部屋でもできるトレーニングを課せられている。これもノルマがあるので、それをクリアしなければならない。

 体系がスリムになったり、筋力がついて生活が楽になった感じはあるのでこれについての不満はない。しかし、トレーニング中に男性アイドルの下手な歌が強制的に流れ続けるのがつらすぎる。


 昼食は漬物が減ってトンカツが増えていた。胃もたれしそうだ。


 ついにやってきた、この時間が。

 私にとっての癒しの時間。マッチングアプリでの女性とのやり取りである。

 女性との接し方を学ぶということで義務化されている。女性から『おじさんっぽい』と思われるごとにOPが追加される過酷な仕組みだ。

 始めは女性から『なんとなくおじさんっぽい』、『Oくさい』などと罵られてOPが加算されていたが、最近は一人の女性と定期的な連絡が続いている。

 女性とのやり取りが継続されていればいいので、私は最近のこの時間にOPが加算されていない。


『職場の人間関係は私も悩みます。リコさんのところにはどんな人がいるんですか?』


 リコさんとのやり取りはかれこれ二ヶ月ほど続いている。思いやりのある、素敵な女性だと思う。年齢は私よりも15歳も下ということだが、とてもしっかりしている。

 彼女は職場の人間関係に悩んでいるらしい。私も刑務官と言葉を交わすくらいだが、気難しい刑務官との人間関係には悩んでいる。

 ピコン、と、すぐに返信が来た。


『私の職場ではいくら教えても似たようなミスをする方がいて、少し困ってます』

『そうなんですね。そういう時は一度、ミスを見逃してあげることも大事かもしれませんね。リコさんなら大丈夫だと思いますが、何度も注意されているとやる気を失ってしまう場合もありますから』


 丁寧な口調で書くことはおじさんくさいかとも不安になるが、こういう場で無理に若者言葉を濫用したりすることは逆におじさんくさいらしい。G-O逆おじと呼ばれる。


『そうですね。試してみます! いつもイチゴロウさんには相談に乗ってもらってすいません』


 イチゴロウとは、O-157から取った私のハンドルネームだ。


『いえいえ! 私もリコさんの頼りになれて、嬉しいですから』


 その後、他愛もない雑談を続けた。

 すぐに楽しい時間は過ぎ去ってしまう。アラームが鳴ったのだ。

 リコさんに出勤すると伝え、マッチングアプリを終了する。


 私はまたトレーニングノルマをこなし、一息つくためにトイレに駆け込んだ。

 トイレはこの監視カメラの設置された独房の中で、唯一の聖域である。

 普通のシャワーが併設されているタイプのトイレだが、流石の刑務官たちもおじさんのシャワーシーンや排泄シーンなど見たくないのだ。

 つまり、監視カメラがない。

 ここから脱獄できないかとも考えたが、脱走者にはおじさんキラーと呼ばれる恐ろしい特殊刑務官が派遣されてしまう。

 イケおじ――イケてるおじさんになるまではここから出られないのだ。


 トイレでは妄想し放題、おじさん緊箍児きんこじが赤く光ろうとも誰にも咎められない。

 しかし、その時間は通常の排便にかかる時間以上には行えない。トイレに行っているのはわかっているので、長時間トイレに籠っていると不信感を抱かせることになる。

 私は人には聞かせられないようなスケベで自分勝手な妄想を思う存分に楽しんだ。


 その時、ガチャリと鍵が開いた音がした。

 なぜだ、もしかしていつもより長く妄想してしまったのか。しかし、私はトイレで刑務官が痺れを切らす時間を体で覚えている。主にスタンガンを食らうことで。

 その私がこのトイレタイムを読み違えるはずがない。まだ、あと5秒は妄想可能なはずである。

 そしてトイレを乱暴にノックする音が聞こえた。


「おい、O-157。トイレが済んでいたらすぐに出てこい」

「……は、はい、ただいま」


 私はスタンガンのバチバチという音がフラッシュバックして泣きそうになりながら尻を拭いた。もちろん、妄想とセットで排便もしている。


「やっと出て来たな、O-157よ。貴様に伝えることがある」

「な、なんでしょうか」


 刑務官はニヤッと笑ったあと、手をチョキの形にして差し出した。


「良いニュースと悪いニュースがある。どちらから聞きたい?」

「それでは……い、良いニュースからでお願いします」


 私は弱い。できるだけ嫌なことは後回しにしたいおじさんである。


「良いニュースだが、マッチングアプリでのやり取りについてだ。女性と良好な関係が続いているな。このまま続くようであれば、刑を終えた後シャバに戻ってからもそのアカウントを使うことを許そう」

「ほ、本当ですか!」


 本当に嬉しいニュースが飛び込んできた。リコさんとのやり取りを、ここを出所してからも続けることができる。こんなに嬉しいことはない。


「ああ、いいぞ。貴様がやり取りしていた……何と言ったか」

「リコち――っさんです!」


 うっかり、リコちゃんと言いそうになって私は自分の太ももをつねって言い直した。女性へのちゃん付けは重大なおじさん違反に当たる。それが許されるのは幼稚園までだ。


「そう、そのリコさんだな……さて、それでは悪いニュースを話そうか」

「あ、はい……」


 刑務官はとても悪い顔つきになって携帯電――という呼称は死語なので――スマホを取り出した。

 何かの画面が映し出されている。


「これだ」

「これ、ですか?」


 私は若干老眼が始まってきて小さい画面を見るのがつらい。目を凝らして見てみる。


『いつもイチゴロウさんには相談に乗ってもらってすいません』


 リコさんのメッセージが映し出されていた。

 私は少し眩暈がしてふらつくが、へらへらと笑って持ち直した。


「あ、あー。刑務官は受刑者のやり取りを確認することも仕事なんですね!」

「何を言っている。よく見てみろ。このメッセージのアイコンが右側に出ているのが、発信者だ。そして、こうすると」


 刑務官は文字を打ち込み始めた。


「や、やめて! やめてくれ!」


 私は刑務官の腕を掴んだが、既に遅かった。


『私がリコだ』


 私のスマホにピコンとメッセージが入った。


「ああ、あー……うあああああ」

「ふっふっふ、刑務官の体に触るなど厳罰の対象だが、ミスを見逃してやるのも大事なことだったな? イチゴロウさんよ」


 私は膝から崩れ落ちた。

 なんて性格の悪い刑務官なんだ。おっぱいが大きいことくらいしか取り柄がないではないか。

 私が幾度となくトイレでお前の胸をどうにかしてやる妄想をしていたのを、ここで暴露してやろうか。


 自暴自棄になった私の肩に、刑務官が手を乗せた。

 そのおっぱいをわしづかみにしたい衝動に駆られながらも、何とか顔を上げる。


「なん、でしょうか」

「さっきから頭の輪っかが赤く光りっぱなしだ。どれほど不埒なことを考えているのか、想像もできんな」


 刑務官は不敵に笑う。


「……さっきの良いニュース、覚えているか」

「出所後も連絡を取れるっていう……もう、意味ないじゃないですか――うぇっ」


 刑務官は私の背中をどついた。


「だから、出所さえすれば連絡を取ってやると言ってるんだ。この私が」

「え?」

「何度も言わせるな。お前がしっかりと真面目に、罪を洗い流した後だ。ぷ、プライベートで連絡を取り合ってやると言ってるんだ」


 刑務官はそう言うと背を向けてしまった。

 私は溢れる疑問に、はてなマークが次々に浮かび上がる。


「え、あ……うん?」

「明日にはそのバカ面をシャキッとさせるんだな! いつもみたいに」


 私がボーっとしてるうちに、刑務官は外に飛び出してしまった。律儀に扉に鍵をかけて。

 独房に取り残された私は、呆然と立ち尽くす。


「なんだ、これ。なん、だ?」


 いつも顔を合わせる刑務官。

 規律に厳しく、しかし今朝のようにちゃんとできた時は褒めてくれる。

 そう言えば、『言われたことをやるだけでも、しっかりとできたら褒めてあげるといいですよ』と私はリコさんに助言をしていた。

 刑務官の彼女が私のやったことを褒めるようになったのも、それからではなかっただろうか。


 見た目はきつい顔立ちだが美人だし、胸も大きい。

 リコさんのやり取りも、すべてが嘘だったとは思えない。彼女の中にもリコさんのような優しさが内包されているのかもしれない。


 今日見ていたYouTuberが、チャンスがある時に何度も連呼していた言葉がある。


「ワンチャン、あるのか」


 あるのか、ワンチャン。




◇◇◇


 次の日。

 刑務官は私の顔面に一枚の紙を叩きつけると足早に去って行った。

 昨日のことを話す暇もない。


まんじはもう古い。やり直し』

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