注文の多いオオカミさん


 赤ずきんはおばあさんの言いつけを守る、よい子でした。


 でも、もしも、気まぐれで、赤ずきんが寄り道でもしてしまっていたら――



 赤ずきんはおばあさんの家にたどり着きました。


「ごきげんよう。おばあさん」


 赤ずきんは元気にごあいさつ。


「ごきげんよう。いい子の赤ずきん。おばあさんの注文を聞いてくれるかい?」


「なあに? おばあさん」


「急いできたからか、少し髪が乱れているね。それをきちんと直しなさい。駆けてきて、泥が靴についてしまっているよ。それも毎回注意しておかなくちゃ」


「ごめんなさい。おばあさん。でも、どうしてそんな注文をするの? いつも駆けてきているのになにも言わないわ」


 おばあさんはチラとタンスの方に目をやります。


 おばあさんの視線の先には赤黒い血の漏れた、タンスがありました。


「おばあさんもそれほど長くないからね。おばあさんが天国に行ってしまうと赤ずきんは誰かにもらわれなくちゃいけない。それが心配なだけだよ」


 おばあさんはわざとらしく咳をしてみせます。


「わかったわ。でも、私、クセっ毛よ」


「その手に持ったカゴを置いて、こっちにいらっしゃい」


「次の注文なのね。でも、これはおばあさんの大好物の果物よ。皮をむいて切って持って行ってあげるわ」


「刃物はいけない。それは赤ずきん。お前の持つものじゃないよ」


「私だって包丁くらい使えるわ。もう子どもではないのだもの」


「いいや。おばあさんは赤ずきんの元気な姿が見たいんだよ。もう、目もよく見えないからね」


 おばあさんの頭には三角の耳がついていました。


「さあ。その赤い頭巾を外しなさい」


「次の注文なのね。でも、おばあさんはいつも赤い頭巾を外してはいけないと言っていたのに。オオカミさんが嫌いな色だからって」


「いいや。今はいいんだよ。頭巾を取らなくちゃ、そのクセっ毛を直してやれないからね」


 赤ずきんは頭巾を取って、おばあさんに近づいて行きます。


 おばあさんの鼻と口は大きく前に突き出していました。


「その髪留めも外しなさい。手にあたっていたいものね」


「次の注文なのね。おばあさん。でも、これは大切な人からもらったものなの。絶対に離せないわ」


「いいえ。赤ずきん。それは必ず手放さなくてはいけないよ。思い出でお腹はふくれない。心は満たされてもね」


「心が満たされるだけではダメなの?」


「ああ。腹が満たされないと生きていけない。腹が満たされていても人はもっと欲を出す。それと、オオカミのことをオオカミさんだなんて言ってはいけない。オオカミに味方していると思われるからね」


 おばあさんは赤ずきんの髪を優しく梳きます。


 その手は毛むくじゃらでした。


「さあ。髪もきれいに梳けた。次はクリームを塗りなさい。髪だけでなく、服を脱いで丸裸になって、体中に」


「次の注文なのね。おばあさん。でも、どうして? おばあさんの持っているクリームは軟膏よ。けがをした時に塗るものだわ」


「いいや。おばあさんの目には赤ずきんがけがをしているように見えるよ。けがをしていなくても、これからけがをしてしまうかもしれない。それだけが心配なのだよ」


 赤ずきんは服を脱ぎ、体中に軟膏を塗ります。


 おばあさんの開いた口は大きく、ギザギザの牙がぎっしりと生えそろっていました。


「さあ。もうすぐ仕上げだね。この香水を体中に振りまけなさい」


「次の注文ね。でも、どうして。おばあさん。これはハーブの虫よけよ。おうちに虫は出てこないわ」


「いいや。これから赤ずきんは遠く遠くへ行かなくてはいけないんだよ。それに、気持ちも休まるだろう? 冷静に物事を判断できるようになるからね。赤ずきんにはもっとおりこうになってほしいからね」


 赤ずきんは体中に香水を振りまきます。


 おばあさんの口からはサビた鉄のようなにおいがプンプンしていました。


「最後の注文だよ。塩を体中に摺り揉んでおくれ。そうすれば美味しい赤ずきんの出来上がりだからね」


「わかったわ。おばあさん。これで最後なのね。長かったわ。なにもかも」


 おばあさんはゴロゴロと獣が喉を鳴らす時のような音を立てます。


 無邪気な赤ずきんは塩の壷を持ってきて、自分の体に摺りつけようとしました。


「何故だ」


 おばあさんは獣の唸り声のように低い声で呟きました。


 そして、赤ずきんも持っていた塩の壷を、毛むくじゃらの手ではたき落とします。


 赤ずきんの手から零れ落ちた壷は床に落ち、大きな音を立てて割れてしまいました。


 白い塩がさらさらと割れた壷からこぼれていきます。


「バカだろ、お前。塩なんてつけたらしみるだろうが」


「ええ。でも、それがオオk……おばあさんのご注文なのでしょう?」


「もういい! こんなにもオレがオオカミだってのがバレバレの小細工をして、あまつさえ、食われる下準備をさせられているというのに!」


「でも、オオカミさんは私を食べないでしょう?」


「食いたくなったら食うといつも言ってるだろう? それとオオカミさんはやめろ。ついでにその髪飾りも捨てろ。はやく服を着ろ」


「もう。注文の多いオオカミさんね。でも、この髪留めだけは捨てられないわ。オオカミさんがくれた、大事なものだもの」


「いや、服を着てくれ。髪留めをつけたままで服を着てないのはさすがにおかしいから」


「オオカミさんはそういう性癖だと思ってたのに」


「ちげーわい。さっさと服を着て、逃げろ。食っちまうぞ」


「おばあさんのように?」


「おうともさ。オレは人殺しのオオカミだからな。怖いんだぞ」


「流石、シルバーキラーね」


「絶対に別の意味で使ってるよな! そういう趣味じゃねえ!」


 赤ずきんはくすくすと笑った後、急に俯きます。


「おばあさんをのよね。オオカミさん。私のために」


 オオカミさんは赤ずきんの裸体をマジマジと見つめます。


 その体のほとんどが紫色に変色しています。


 塩など揉みこんだら、飛び上がるほど痛そうでした。


「でも、無理よ。逃げたところで、あの男りょうしは必ず私を探し出す。そして、殺してしまうわ。それならば、いっそ」


「オレはお前にそんなことを言わせるためにクソババァを殺したわけじゃねえ」


 赤ずきんはオオカミさんの言葉を無視します。


「私を食べて。オオカミさん。私はオオカミさんと一つになりたい。オオカミさんの体の一部になって、オオカミさんといっしょに生きていきたい。だから。だから――」


「やめろ」


「私が純潔じゃないから? あの男に奪われてしまったから? あなたに出会う前ならいくら犯されても我慢できた。でも、もうダメ。あんな男に抱かれるくらいなら、私は自分で命を絶つわ。だって、あなたと出会ってしまったのだもの」



 オオカミさんは――


 赤ずきんを食べることにしました。



 次の朝、知り合いが猟師の家を訪ねると、二つの死体がありました。


 一つは首をかみちぎられた猟師の死体。


 その手には猟銃が握られていました。


 もう一つは。


 お腹の大きなオオカミの死体。


 人間の子どもがまるまる一人入りそうなほど大きなお腹でした。


 猟師の知り合いは銃で撃ちぬかれたオオカミの死体を先に焼いてしまいました。


 あまりにも気味が悪かったからです。


 知り合いは焼けた跡の灰の上に土をかぶせました。


 焦げて変色した髪飾りに気づくことなく。

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注文の多い短編集 竹内緋色 @4242564006

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