5章 黒幕 その4

「うわっ!」


 扉の近くにいた二人は、慌てて離れる。


 直後に、爆薬の破裂音に似た音を立て、扉を粉々に吹き飛ばし、大男が部屋に入ってきた。

 

 男は武装しておらず、ラフな格好をしている。守衛でも軍人でもなさそうだった。筋骨たくましい体をしているが、顔には深い皺が刻まれていて、四十代半ばに見える。


「近づくでない。妾たちはなんの罪も犯してはおらん。この文書を見よ!」


 シャルロットは持っている枢機卿のサイン入りの書類をかざした。しかし男はニヤリと笑って顔を上げる。


「はん、関係ないね。俺はただ、お前たちを始末するよう言われているだけだ」


「なんじゃと?」


 シャルロットには男に見覚えがあった。額に大きな傷を持ち、両手に大剣を持つ二刀流の男。


「お主は、あの時の山賊ではないか!」


「そうさ。さっきまで暗くて寒ーい地下牢の中に入れられていたのさ、お前のお仲間のおかげでな。だが開放された。お前たちを殺すことを条件にだ。報酬をたんまりもらって、こんな城はおさらばだ」


 シャルロットは一歩下がった。


「話が通じる相手ではないようじゃ」


「ここは四階だ。逃げ道はないぜ」


 男はニヤニヤと笑っている。


「また上玉のお嬢ちゃん会えるとはな。殺す前にたっぷり可愛がってやるから、楽しみにしていろよ。まずはそこの小僧からだ」


 シャルロットはゾッとした。


「誰かー! 妾たちは無実じゃ! この男は脱獄犯じゃぞ!」


 シャルロットが扉の外に向かって大声を出したが、何の反応もなかった。


「無駄だ。外にいるのは、俺の部下たちだからな。そもそも俺たちゃ、この国のお偉いさんに金をもらって、ウォルター王の悪評をばら蒔く依頼を受けて山賊をやってたのさ。一番厄介な親衛隊に捕まっちまって、えらい目にあったぜ」


 ウィリアムは腰から剣を抜いて、シャルロットの前に立った。


「シャルロット、窓から逃げて」


「四階じゃぞ! さっきとは違う」


「可能性はそこしかない」


 ウィリアムに実戦経験はない。それどころか、剣術は得意ではなかった。それでもウィリアムは震えそうになる足に力を入れて、自分の何倍も体積のある男を睨み上げた。


「けなげだねえ。風でも飛びそうなひよっ子が」


「愚弄するな。我は王家の血を引く者だ」


「血がなんだ。オラッ!」


 男は剣を振り下ろす。ブオンと大きな音と共に、ウィリアムの髪が舞い上がった。ウィリアムは一歩も動けず、足が竦んでしまった。男は風だけを起こして、ウィリアムをおちょくったのだ。


「ウィリアム!」


「来るな!」


 窓際にいたシャルロットが戻って来るのが足音で分り、ウィリアムは男を睨んだまま叫んだ。


「お願いだから、逃げて」


 絶望に満ちたウィリアムの声に、シャルロットは後退る。どこかに逃げ道はないのかと、シャルロットは辺りを見回した。このままでは、二人とも殺されてしまう。


 その時、窓の外から自分の名を呼ぶ声が聞こえた気がした。


 窓を開けて外を見る。遥か下に、なんと、マルクとピエールが立っていた。


「シャルロット、来い!」


 マルクは手を差し伸ばして叫んだ。四階から飛び降りろと言っているのだ。シャルロットは咄嗟に首を横に振った。


 マルクの、なんと小さく見えることか。一歩間違えば死んでしまう高さだった。


「必ず受け止めるから、来るんだ!」


 シャルロットは振り返った。まだ男は、マルクとのやり取りに気づいていない。今ならウィリアムも助かるかもしれない。分っていても、地上を見ると眩暈が起きそうになる。


「俺を信じろ!」


「マルク……」


 マルクの言葉で、シャルロットは意を決した。


「ウィリアム、ついてくるんじゃ!」


 シャルロットはウィリアムに声をかけ、窓の桟に立つ。マルクは腕を広げて待っている。この距離でも、マルクのライトブラウンの瞳がはっきり見えるようだった。


 シャルロットは目を閉じて、思い切って窓から飛び降りた。


 手も足も、全身のどこにも地面が接していない奇妙な感覚。落下していく恐怖がいつまでも続くように感じた。恐ろしい闇に侵食されかかった時、力強い腕に包まれた。


「よく飛んだな!」


 シャルロットが目を開けると、近くにマルクの、滅多に見られない満面の笑みがあった。


「マルク!」


 シャルロットは全力でマルクに抱きついた。今更、指が震えだしていた。


「怖かったな。よくやった、偉かったぞ」


 マルクはシャルロットを安心させるように強く抱きしめ、小さな頭を撫でた。


「城の近辺にいたのに、お前の居場所を探すのに手間取った。遅れてすまなかったな」


 シャルロットはマルクの胸に顔を埋めたまま、首を横に振った。


 シャルロットは恐怖心よりも、マルクに抱きしめられている喜びを感じていた。昨夜からマルクを遠く感じていたからだ。それに、こんなに強く抱きしめられたことはなかった。


「俺がついているから、もう大丈夫だ。安心しろ」


 マルクはシャルロットを芝の生えた地面に座らせた。シャルロットは名残惜しく感じたが、素直にコクリと頷いた。


「殿下!」


 マルクは立ち上がり、すぐにシャルロットと同じように窓に向かって呼びかけた。


「ピエール、サポートを頼む」


「はい、マルク様」


 ピエールは少し腰を屈めて、マルクの手の下に、両手を構える。


 シャルロットよりも体重のあるウィリアムを支えるのに、二人体制を取ったのだ。


 ウィリアムの姿が窓から現れると、マルクの姿を確認して、すぐに飛び出してきた。部屋の中の大男から逃れるため、一刻の猶予もなかった。ウィリアムが飛び出すのと同時に、窓から大剣が振り下ろされた。


 間一髪逃げ出したウィリアムを、マルク達は無事にキャッチした。


「くそーーーーーっ!」


 窓に半身乗り出した大男は、シャルロットたちに向かって吼えた。


「ありがとう」


「礼を言わねばならないのはこちらです、殿下。シャルロットを、よくお守りくださいました」


 頭を下げられて驚くウィリアム。この時マルクが、夜会でシャルロットをエスコートしていた人物と合致した。


「レスフォーク伯の、従弟の?」


「リュゼールと申します。すぐに親衛隊と合流できるでしょう。手分けをして殿下を探しておりました」


「妾たちはジョルジュの文書を手に入れておるぞ! これで解決じゃな?」


「ああ。フランシス殿下の契約書も、アンヌがこの騒ぎに乗じて入手している。枢機卿は同じ契約を、兄弟二人、同時にしていたようだ」


 マルクは座っているシャルロットの前で片膝をついた。シャルロットの頭に手を乗せて、表情を和らげる。


「あまり心配させてくれるな。心臓が壊れそうだった」


「申し訳ない」


 和やかな空気が流れ始めたところで、ズドンと鈍い音が轟いて地面が揺れた。マルクとピエールは瞬時に体勢を整える。


「うおー、痛てーな! 俺にも受け止めてくれる王子様が欲しいわーなあ!」


 顔に傷のある大男は、脚をプラプラとさせて軽口を叩いた。四階から飛び降りてきたのだ。


「貴様……」


 男は既に両手に剣を持っている。マルクは男に近づいて細身の剣を構えた。


「お、また会ったな、おキレイな兄ちゃん。そこをどいてくれないかい。用があるのは、奥の二人だけなんでね」


「ピエール、シャルロットたちを連れて、下がっていろ」


 マルクは大男に視線を向けたまま、ピエールに命じた。

ピエールはシャルロットとウィリアムを先導するが、それほど離れていない位置でウィリアムは立ち止まる。


「彼は一人で大丈夫だろうか?」


「マルク様はお強いですから、大丈夫ですよ」


「それなら、ここで見ていても構わないよね」


 自分は一歩も動くことができないほど圧倒された大男とマルクがどう戦うのか、ウィリアムは興味があった。


「ちゃんと安全なところまでお連れしないと、僕がマルク様に叱られます」


 ピエールは移動するようウィリアムに頼むが、ウィリアムは動かなかった。


「それが答えかい兄ちゃん。まあいい、山中でのリベンジといきますか!」


 男は剣を振り上げて、マルクの頭めがけて振り下ろす。マルクは一歩移動してその剣を受け流し、軌道を変えながらその流れで男の懐に一撃入れる……はずだった。


「……っ」


 想定どおりには男の剣の力を受け流しきれず、マルクは一度後ろに距離をとった。無表情のまま再び剣を構えて、男から視線をはずさない。


「……」


 長い付き合いのピエールはマルクの異変に気づき、剣を抜いてマルクの元に戻った。


「僕にも手伝わせてください」


「なぜ戻ってきたんだ。殿下たちを遠くにお連れしろ」


「いえ、ですが……」


 マルクとピエールのやり取りを聞いていた傷の男は、ガッハッハと笑い出した。


「なるほど、あの高さから落ちてくる二人分の衝撃を、その細っこい腕で受けた止めたんだからな。痺れて腕力が落ちているんだろう? 俺も脚がまだ痺れてるから、お互い様でいいじゃねえか」


「なんと……」


 男の大声はシャルロットたちにも聞こえていた。自分のためにマルクはダメージを受け、不利になっていると分かり、シャルロットはいてもたってもいられなかった。


 ウィリアムも同じことを考えており、恩人のピンチを黙って見ているわけにはいかなくなった。


「僕も戦います!」


 ウィリアムも剣を抜いて、マルクの隣に並んだ。


「殿下、いけません。下がってください」


「おうおう、一対三かい? ずいぶん卑怯じゃねえか」


 そういいながら男は大きく後退った。顔には余裕の笑みを浮かべている。


「そんじゃ、俺だって奥の手を出しちゃうぜー」


 男は両手の大剣を地面に突き刺したかと思うと、懐に左手を入れてスローイングナイフを三本取り出した。


「行くぜ!」


 男はマルクの額目掛けて三本のナイフを連続で投げた。マルクは全て剣で払い落とす。


「貴様、こっちが専門か」


「こっち“も”って言ってくれねえかなあ。因みに、致死量たっぷりの毒が塗ってあるから、スリル満点だろ? 森ではチョロイ商人かと甘く見ちまったが、今度は油断しねえからな」


 男は再び三本のナイフを取り出し、マルクに投げる。ピエールもウィリアムも飛び道具とあって、下手に動けなかった。


 マルクはナイフを払いつつ、じりじりと男との距離を縮めていた。危険ではあるが、剣の間合いに入れば有利になると考えた。


 しかし。


「そうくると思った、ぜっ!」


「しまった」


 男は両手に三本ずつナイフを持ち、一度に六本のナイフを投げつけた。狙いはピエールとウィリアムだ。


 マルクは飛び下がって、動けないままのウィリアムを狙ったナイフを、際どい所で全て払い落とした。


「もらった!」


 男の声とマルクが振り返るのは同時だった。男の大剣により、マルクが斜めに斬り裂かれた。一瞬遅れて、勢いよく鮮血が噴出し、男を赤く染める。


 その映像がシャルロットにはスローモーションに、非現実的な出来事のように映っていた。


 マルクは致命傷を負いながらも、倒れてはいなかった。


「シャルロットには、指一本触れさせん」


 マルクは男の首に剣を当て、渾身の力を込めた。


「ぐおおおおお……っ!」


 男は首から大量の血を噴出しながら倒れた。


 それを確認したマルクは安心したように表情を緩め、男に重なるように崩れ落ちた。


「いやぁぁぁぁぁぁーーーー!」


 シャルロットは叫び、マルクに駆け寄った。マルクを抱きしめたシャルロットのドレスも真っ赤に染まる。ピエールに押さえられた気もするが、覚えてはいない。


 シャルロットは意識を失った。

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