4章 舞踏会 その3
帝国を抜け出す一月前、数年ぶりにマルクを寝室に呼び出した夜を思いだした。
今のシャルロットでは考えられない大胆な行動に顔を赤らめ、同時に、時間を戻したいとも思うのだった。
● ● ●
「朗読はアンヌの担当になったと思っていたが」
アンヌが侍女になってからは、数えるほどしか訪れていなかったシャルロットの夜の寝室に、マルクは呼び出されていた。
アンヌが来てからは、シャルロットからの呼び出しが極端に減った。自由な時間を取り戻した解放感に喜びを感じたが、同時に寂寥感もあった。そんな気持ちはおくびにも出さず、無意識に眉間を寄せてしまいながら、マルクはベッドサイドに立った。
「うむ。マルクの朗読を聞きたいと言うと、なぜかアンヌに止められていたのじゃが、今日はむしろ勧められたのじゃ」
従順に仕えているようで、まるでシャルロットを翻弄しているようにも見える、猫目の美女をマルクは思い浮かべた。十二分に愛情も感じるので口出しをしてこなかったが、また何か企んでいるのかと警戒する。
「久しぶりじゃの、ここじゃマルク」
「……少しは成長しろ」
数年前と変わりなく、布団をめくって己の隣をポンポンと叩くシャルロットに、マルクは頭を抱えたくなった。
「なにがじゃ?」
「お前はいくつだ」
「十六じゃ」
そんなことは知っている。
「恥じらいというものはないのかと言っている」
シャルロットは小首を傾げた。
「マルクはなにを恥じるのじゃ? 騎士のくせに、情けないやつじゃのう」
いつものことだが、この王女は常識が通じない。マルクはめまいがした。
「もういい、分かった」
我がとおるまでシャルロットが諦めないことは、身に染みて知っている。マルクは平常心だといいきかせて、シャルロットのベッドに滑り込んだ。自然に眉間の皺が深くなる。
シャルロットは嬉々としてマルクの腰に手を回した。
「本を見なくていいのか?」
「うむ。もう何度も聞いている本じゃ」
ならば、もう読まなくていいのではないかとマルクは思ったが、黙っておく。
書籍の内容は、騎士が姫と結ばれるラブストーリーだった。読みながらマルクは、嫌がらせだろうかとますます眉間に皺を刻んだ。
「よい声じゃ」
シャルロットはマルクの胸に小さな顔を埋めながら呟いた。
マルクはずっと胸元に、温かい息遣いを感じている。薄いシュミーズ越しに、成熟前のみずみずしい身体が密着し、シャルロットの甘い香りが鼻梁をくすぐる。マルクはベッドに入ったことを後悔した。
「妾は来週、とうとう嫁ぎ先を決めねばならなくなった」
ドキリとして、マルクは朗読を止めた。
「マルクのように美しい者はそうはおらん。いや、これほど長く選定会を続けておるのじゃ、中には美しい肖像画もあった。難癖をつけていることは、妾自身がよく分かっておる。しかし、どうもしっくりこないのじゃ。……妾はこのまま嫁がずにいたい。マルクとアンヌが傍にいればよいのじゃ」
マルクの背に回したシャルロットの手に力がこもった。ベッドに広がる長いシャルロットのブロンドの髪が蝋燭の明かりに煌めいている。
「じゃが、母上はいい加減お怒りじゃ。この本のような恋をすることは、妾にはないのかもしれんのう……」
マルクの握力で、本がミシリと鳴った。
なんなのだ、それは。
三年もああでもない、こうでもないと婿探しをしたあげく、適当な男のもとに嫁ぐというのか。
「シャルロット」
「……」
返事はなく、ただ規則的な呼吸が繰り返されるだけだった。
マルクはそっとシャルロットの腕を解き、起こさないようにベッドから降りて、布団を掛け直す。柔らかい頬に触れ、乱れた髪を整えた。
マルクは、己の左胸に手を当てる。
「この傷がなければ……」
結果は違っていたのだろうか。
「幸せになれ」
できれば自分の手でと思っていた時期もあったが、豪雨の夜、マルクは秘めた思いを全て捨て去った。
そう自分に、思い込ませていた。
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