4章 舞踏会 その1

「レスフォーク伯ギルフォード・タルボット様ご一行、ご到着!」


 舞踏会が開かれている城の別棟にあるサロンにシャルロットたちが到着すると、ざわめいていた会場が一瞬静まった。


 それはギルフォードが夜会に顔を出すのが珍しいばかりではなく、連れているのが初めての顔ぶれで、しかも四人共に纏う空気が他とあまりに違ったからだ。崇高な美しさを醸し出し、まるでライトに照らされいるかのように輝いていた。


 沈黙の後ににざわめきが大きくなり、ギルフォードはシャルロットたちを紹介して欲しいという者たちに、あっという間に囲まれた。


 シュルーズメア城は要塞色が強い城なので、舞踏会会場の別棟もシンプルな石壁で出来ていた。しかし生花やタペストリーで彩られ、それが何千本もの蝋燭で照らされている。壁際のテーブルには軽食が並んでいた。


 その一番奥の玉座には、立ち上がった白い襟以外は黒一色の衣装を纏った男性が座っている。


「あれがウォルター王じゃな」


「そうだ」


 シャルロットは小声で尋ねると、隣のマルクは頷いた。


 ブルネットのウェーブ髪で、口髭をはやしている。離れているのでシャルロットには相貌までは分らなかったが、大きな身体からは貫禄を感じさせた。隣にいるほっそりとした少年がますます小さく感じる。


「おや……?」


 シャルロットがその少年をよくよく見ると、目が合ったようだった。少年はウォルターに言葉をかけてから、小走りにシャルロットに向かってきた。


「シャルロット! 来てくれたんだね」


 ウォルター王の隣にいたのは、ウィリアムだった。シャルロットとウィリアムを囲むように、周囲のスペースがサッと空いた。


「うむ、約束じゃったからな」


 ここに来て注目され続けているとはいえ、ウィリアムが来てからの反応が大きすぎて、シャルロットは不思議に思った。


「ウィリアム殿下は、ジョルジュ殿下の嫡子。つまり、先王の孫だ」


 マルクは身をかがめて、シャルロットの耳元で囁く。


「ウィリアムは王子であったのか。例のうつけ息子から、こんな美しい子が育つとは、なんとも不思議じゃのう」


 帝国で聞いた美しい王族とは、ウィリアムのことだったのだろうと、シャルロットは思った。


「今となっては正式ではないが、数年前までは王位継承の三位だった」


 目の前で二人が内緒話を始めたので、ウィリアムは笑顔を消してマルクを見上げた。


「シャルロットをお借りしても?」


「御意に、殿下」


 マルクは軽く礼をする。


「シャルロット、あっちに行こう」


「うむ。では、行ってくるでな」


 ウィリアムはシャルロットを連れてテラスに出た。ホール内ではどこにいても注目されるからだ。社交界デビューをして間もないウィリアムは、まだ夜会に慣れていなかった。


「シャルロットをエスコートしていた人は、恋人?」


「マルクか? 妾の騎……いやいや、妾の遠縁に当たる者じゃ。恋人はおらん」


「そう、良かった」


 ほっとしたような笑顔を浮かべ、ウィリアムはテラスに手をかけた。


「昨日も綺麗だと思ったけど、さっきはあんまりシャルロットが美しいから見とれちゃった。今もほら、まるで月明かりから生まれた女神のようだよ」


 漆黒の夜の中、満月が二人を明るく照らしていた。


 シャルロットのドレスは、ファージンゲイルによって大きく膨らんでいて、ワインのように赤く光沢があった。胸元から背中にかけて広く開いており、重ねてつけたネックレスの光が強調されている。ドレスと同じ生地のヘッドドレスも、シャルロットのブロンドに似合っていた。


「妾と詩的な会話を楽しみたいのなら、期待に応えかねるぞ」


「本心だよ」


 慌てるウィリアムに、シャルロットは悪戯っ子のように笑いかけた。


「妾、回りくどい語らいに慣れておらぬゆえ」


 それからシャルロットは口調を変えて、ウィリアムを覗き込む。


「お主の父は、本来国王になっているはずだった先王の嫡子、ジョルジュなのじゃろ?」


 ウィリアムは急に話が変わったので、表情を引き締めて頷く。


「今でもジョルジュを王にしたいという一派がいるらしいの。お主はそちら側なのか?」


「とんでもない」


 ウィリアムは淋しそうに首を振った。


「父を悪くは言いたくないけど、陛下が即位して当然だと思う。父が国のお金で遊んでばかりいたのは知っているんだ、母や僕を放ってね。母が亡くなった日も帰って来なかった」


 ウィリアムは組んだ両手を手すりに乗せて、空を見上げた。


「今だって親子らしいことをしていないし、殆ど会ってもいない。でも陛下は、僕に色々なことを教えてくれるんだ。剣も狩りの仕方も陛下が教えてくれた。昨日シャルロットと会ったのも、陛下の部屋に行く途中だったんだ。陛下が父ならと、何度思ったことか」


 ウィリアムがウォルターを敬愛していると言った時、複雑な表情に見えたのは、これが理由だったのかとシャルロットは合点がいった。


「まだ、ウォルター王を降ろそうとしている動きはあるのかの?」


「僕には分らない」


「最近ジョルジュに変わったことは?」


「分からない。おかしなことがあったら、僕が一番に陛下に報告してるよ。なんでそんなことを聞くの?」


「実はの、ウォルター王に悪い噂が上がっておっての。……まあ、遠縁の国のことじゃから、心配なのじゃ」


 しどろもどろで言い訳をした。さすがに、「おぬしの父は、簒奪の画策をしておるようじゃ」とは言えない。


「レスフォーク伯の遠縁なら、この城で下働きをするような家柄じゃないでしょ?」


「そ、それはじゃな。見聞を広げるためじゃ」


 シャルロットは上手くごまかせたと思ったが、ウィリアムは信じてはいなかった。


「分った。隠したいなら、あれこれ聞かないよ」


「うむ、それはありがたい」


 シャルロットがあからさまにホッとして、先程の言い訳が虚言だと肯定するような返事をしたので、ウィリアムは口元を緩めた。


「シャルロットって、嘘が下手だね」


「慣れておらぬゆえ」


 神妙な表情のシャルロットに、ついにウィリアムは吹き出した。


「なぜ笑うのじゃ?」


「シャルロットは可愛いなと思って」


「そんなことは知っておる」


 その時、ワルツの演奏が始まった。


「ねえシャルロット、踊ろう」


「中に入るか?」


「ううん、ここで」


 ウィリアムが左手を差し出し、シャルロットはその手に右手を乗せた。二人はゆったりとした曲に合わせて、優雅にステップを踏む。


「ワルツも上手いではないか。妾は足を踏まれることを覚悟しておったぞ」


「シャルロットとだからだよ」


 ウィリアムはダンスが得意ではなかった。女性と密着するダンスほど上手くいかず、それは遠慮が失敗を生んでいたのものだ。


「シャルロット」


 ウィリアムはそう呼びかけて、シャルロットの腰を引き寄せた。上半身が密着し、互いの顔も近くなる。


「なんじゃ? あまりくっつくと、動きにくいぞ」


「シャルロットのことをもっと知りたい。好きなんだ」


「……え?」


 思わずシャルロットは足を止めた。ウィリアムも足を止め、左手で握っているシャルロットの手を、自らの頬につけた。


「会ったばかりで、おかしいと思う? 僕が逆の立場だったら疑うかもしれない。でも信じて欲しい、昨日からシャルロットが頭から離れないんだ。本当だ」


 息のかかるほど近い位置から真摯な瞳で見つめられ、シャルロットはどうしていいのか分らなくなる。


「シャルロットが何者でもかまわない。僕だって中途半端な立ち位置にいる。シャルロットは僕のこと、どう思う?」


「妾は……その、突然で……」


 頬が熱かった。思いもよらなかった告白に、シャルロットは戸惑い、胸が高鳴っている。


「急がないから、考えておいて」


 ウィリアムは頬につけていたシャルロットの手の甲に、形のいい柔らかな唇を押し当てた。そのままシャルロットを見つめる。

澄んだアッシュブルーの瞳にかかったプラチナブロンドの前髪が風に揺れた。視線に射すくめられたように、シャルロットは動けなくなる。中性的な美しさに男性的な色気を帯び、シャルロットはますます激しくなる動悸に耐えられなくなった。


「分った、考える。曲も終わったようじゃ、中に入ろう」


 シャルロットは離れようとしたが、ウィリアムは腕の力を緩めなかった。


「明日も会いたい」


「妾は住み込みの女中ゆえ、逃げも隠れもせん」


「連絡する」


 ウィリアムはそう言って、一度離れたシャルロットの手に、もう一度口付けた。


 やっと開放されたシャルロットは慌てて三歩ほど距離をとってから振り返る。


「ダンスは及第点じゃ。今夜は踊り倒すと良かろう。またの!」


 シャルロットは逃げるように小走りでフロアに入り、大勢の人の中でもひとつ頭の抜きん出ているマルクを見つけ、その隣でやっと足を止めた。


「顔が赤いぞ」


「そ、そうか?」


 シャルロットは両頬に手を当てた。まだ胸が早鐘を打っている。


「その服は、肩が出すぎだ」


「今更なんじゃ? 夜会はこんなものじゃろ」


 落ち着こうと深呼吸をしていると、その肩に暖かい大きなマルクの手が乗せられて、シャルロットは驚いた。見上げると、いつもの不機嫌そうに眉を上げたマルクの顔があった。


「随分長く外にいたせいで、冷えたな」


「あまり寒さを感じなかったが。まあ、そのうち温まるじゃろう」


 そういっている傍からマルクは長いシャウベを脱いで、シャルロットの肩にかけた。


「大丈夫じゃぞ?」


「いいから着ていろ」


 有無を言わさない口調のマルクに、シャロットは折れた。


「今日はもう大人しくしていろよ。来て早々ウィリアム殿下とフロアを出るものだから、見ろよギルフォードを。興味津々の御仁達が、直接俺たちに話しかけないよう、押し止めるのに手一杯だ」


 大勢に囲まれたギルフォードは、笑顔を浮かべてはいるが、その表情には疲れが滲んでいた。


「うむ、同情する」


「誰のせいだ」


 そこにピエールがはしゃいだ声をあげて二人の会話に混ざってきた。


「姫様、いい雰囲気で踊っていましたね。ね、マルク様」


「俺にふるな」


 声のトーンを落として、マルクは顔をそむける。


「姫様、王子様とどんなお話をされたんですか?」


 ピエールに尋ねられ、シャルロットは再び赤面してしまった。


「もしかして、愛の告白とか?」


 からかい交じりのピエールの言葉に、シャルロットはコクンと頷いた。冗談のつもりだったピエールは、大げさなくらい驚いた。


「昨日の今日で、すごいです! それで、姫様はなんと答えたんですか?」


 マルクは無言で腕を組み、眉間にしわを寄せて、二人の会話を聞いている。


「考える、と……」


 シャルロットは両手で顔を押さえて俯いた。対面で愛の告白を受けるのは、生まれて初めてだったのだ。まだ思考が正常に働かない。


「いいお話じゃないですか! 相手は姫様の好きな、美しい王子様ですよっ」


「そうじゃがの……、よく分からぬ。妾には時間が必要じゃ」


 喜ばしいという気持ちより戸惑いが強いシャルロットは、アンヌに相談しようと思っていた。


「そういえば、アンヌの姿が見えぬの」


「アンヌ様なら、あそこですよ」


 ピエールが指さす先には、アンヌが華麗に踊る姿があった。


「おお、さすが妾のアンヌ、美しいのう! ……で、ダンスの相手は誰じゃ?」


「フランシス様だそうです。先王の、第二子の」


「ああ、うつけ息子の弟の方か」


 フランシスはアンヌより背が低く小太りで、ダブレットは兄と同じように、金糸の刺繍で布地が見えない豪華さだった。


「うむむ、兄弟そろって、美しくない」


 シャルロットは苦い表情を浮かべた。


「うつけ息子の兄の方は?」


「帰ったようだ」


 マルクがフロアを見ながら答えた。


「おや、玉座も無人じゃ」


「陛下も今しがた、重臣達をつれて出て行った」


「ウィリアムが、王はすぐに執務に戻ると言っておったな。これまた無念じゃ、美丈夫という姿を近くで見たかったのう」


「またの機会にしろ。ギルフォードが限界だ。そろそろ帰るぞ」

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