3章 シュルーズメア王国 その6
その夜、シャルロットは寝つけなかった。
なぜ軍人を夫の対象外としたのか考えるうちに、マルクが戦地から戻ってきた、激しい雨の夜を思い出していた。
● ● ●
ベッドヘッドに背を預けてマルクが本を読んでいると、雨が窓を打つ音に混じって、外から馬車が止まる音が聞こえて目を上げた。
「早かったな」
はだけていたシャツの胸元をキッチリと締め、マルクはベッドから降りた。ズキリと左胸の生傷が痛んで手を添える。
戦場では、階級の高い貴族率いる軍隊は後ろに控え、前線に立つのは兵卒や傭兵が中心だった。しかしその軍隊にも指揮者が必要で、マルクはそれに自ら志願した。有事の際に矢面に立ってこそ、国営の軍人であるという自負があったからだ。
そして一月前、夜営で奇襲を受けた際に素早く兵をまとめ上げて応戦し、マルクは負傷した。マルクの功績で戦いには勝ったのだが、マルク自身は一週間ほど生死を彷徨った。傷がある程度塞がってから帰国し、我が家には数時間前に到着したばかりだった。まだしばらくは安静にしていなければならない。
「マルク! 帰ったのなら、なぜすぐに顔を出さぬのじゃ!」
乱暴にドアが開くと共に、懐かしい主の声が部屋に響いた。シャルロットは雨に濡れていて、従者が雨傘を差しかけるのを待たずに馬車を飛び出したのだろうとマルクは想像した。
「すまない。屋敷から出ることを医者に禁じられている」
マルクは素直に謝った。シャルロットは怒りに眉をつり上げながらも、肩を震わせて泣いていたからだ。
「妾の知らぬ所で、死にかけおって……」
シャルロットはマルクに視線を合わせたまま、ゆっくりと歩み寄ってきた。
「生きた心地がしなかったぞ」
シャルロットはマルクの腰に手を回して、そっと頬をマルクの胸に押し付けた。傷口が痛んだが、マルクはそのままにしておいた。
「血と薬か、嫌な匂いじゃ。だからあれほど戦に行くなと止めたのに。妾を二年も放置するとは許しがたい」
「すまなかった」
シャルロットの濡れた頬を手で包み、親指で涙を拭った。
見ないうちに、すいぶんと髪が伸びている。まだあどけないが、大人の身体つきに成長しつつあった。それもそのはず、シャルロットも十四歳になり、出会ったばかりの五歳の幼女ではなくなっていた。
もうすぐシャルロットに求婚者を募ると宮廷で話題になっていた。どこかの王太子にでも嫁ぐだろうとマルクは考えていたので、この話には驚いた。そして、いささか期待するなにかもこみ上げていた。
「どんな傷なのじゃ」
「なんだ?」
「まさかこの身体に、傷跡が残るのではあるまいな?」
予想していなかった言葉だった。医者に確認するまでもなく、傷は一生消えることはないと、マルクにも分かっていた。
「残る」
シャルロットはハッとして、マルクから身を離した。
「見せよ」
「必要ないだろう」
マルクの背に冷たいものが走った。目の前の王女が、美しさに異常に拘るのを思い出した。
「それを判断するのは妾じゃ」
シャルロットはマルクのシャツに手をかけ、強引に広げようとする。
「分かった」
マルクはシャルロットの手を外し、自らシャツを脱いだ。左肩から右腰にかけて、白い包帯が何重にも巻かれている。シャルロットは顔を歪めた。
「包帯もじゃ」
シャルロットの声が震えた。
マルクは無言で包帯を解いて床に落とす。
「なんと……」
シャルロットは息を飲んで、両手で口元を覆った。
左の肩から右の腰骨まで、歪んだ太い線が走っていた。線の中央は桃色の肉で盛り上がって、その周辺は黒く変色し、更に表面の皮膚が布の皺のように引きつれ捩れている。シャルロットがいつも美しいと褒めていた強靭な肉体が、大きく損なわれていた。
「なんと醜い傷じゃ。妾の愛する美しい身体に、なんてことをしてくれたのじゃ!」
シャルロットはマルクを責めた。
「その悍ましいものを、二度と妾に見せるでないぞ!」
悲鳴のような叫びを残してシャルロットは走り去った。
マルクはその場に片膝をつき、包帯を拾った。
そのまま項垂れ、きつく唇を噛みしめた。
――それからしばらくして、皇室から通達があった。
噂通りシャルロットへの求婚者を募るもので、希望者のためのパーティーが開催される知らせだった。
年齢や階級など、参加条件がいくつか書かれていた。
そして、その中には、“軍人は省く”と記されていたのだった。
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