3章 シュルーズメア王国 その4
「ウィリアムは、どこかに行く途中ではないのか?」
「うん。ダンスを習うつもりだったんだけど、まだいらっしゃらないようなんだ」
シャルロットの隣に並んで、ウィリアムは壁に背を預けた。シャルロットと年齢は変わらないようだが、身長は一頭分高い。
「どんなダンスじゃ?」
「ヴォルタ」
社交会のダンスの中では、かなり体力のいる派手なダンスだった。
「好きな曲だけ踊っておればいいではないか。無理にヴォルタを踊らずとも」
「全体的にダンスは苦手なんだけど。いくらなんでも、踊れないと困るでしょ?」
「ふうん、そんなものかのう」
グレーかかったブルーの瞳を悲しそうに伏せるウィリアム。心底困っている様子に、うむとシャルロットは頷いた。
「試しに妾と踊ってみるか?」
「え、踊れるの?」
ウィリアムは目元までかかった前髪をかき上げて、驚いた表情を作った。ウィリアムが驚くのは当然で、使用人は学校に通えないことが多く、ダンスどころか読み書きが出来ない者が大半だった。
「ウィリアムは細いからの、リフトのタイミングが合わないと、女性を支えきれんのじゃろう」
図星を指され、ウィリアムは羞恥に赤くなった。
「恥じずともよい、慣れだけじゃ。妾は軽い方じゃし、この服も夜会服のように重くないからの。きっと踊りやすいはずじゃ」
と、雑巾を持っていることに気づいたシャルロットは「妾で良ければ」とつけ加えた。
「うん、お願い」
ウィリアムは笑顔を見せた。シャルロットも微笑んで、雑巾を床に置いてから、優雅にウィリアムに手を差し伸べる。その手をウィリアムは取り、二人は一旦離れた。
「妾が歌おう。四拍子じゃ」
シャルロットは回転やリフトのタイミングを強調しながらリズムをとる。はじめは戸惑っていたウィリアムも慣れて、シャルロットを軽々と持ち上げ、ターンさせた。
「なんじゃ、上手いではないか」
「シャルロットだからだよ。ダンスってこんなに楽しいんだね」
「当然じゃ。楽しくなければ誰も踊らんじゃろう」
長い回廊に二人の歌と笑い声が響く。ステップの息も合っていた。
「シャルロットって本当に軽いね。ほら、こんなに高く上がる」
ウィリアムはシャルロットの腰を持つと、今までで一番高く持ち上げた。
「こらっ、手を離しては……っ!」
「あっ」
空に浮いてしまったシャルロットをキャッチするのにバランスを崩し、ウィリアムは倒れてしまった。
「ウィリアム、大丈夫か?」
ウィリアムの体がクッションとなり殆ど痛みのないシャルロットは、真上からウィリアムの顔を覗き込んだ。全体重がかかっているので降りようとしたが、ウィリアムの両腕がシャルロットを包んでいるので離れられなかった。
「うん。フフ、調子に乗っちゃった」
「怪我がないなら、何よりじゃ」
一纏めに上げていたシャルロットの長い髪が一房落ち、ウィリアムの形のいい額にかかった。ウィリアムはくすぐったそうに笑いながら首を振ってそれを落とすと、シャルロットに回した腕に力を込めた。
「シャルロット、本当は貴族なんじゃないの? 訳があって働いているの?」
シャルロットはドキリとしたが、ウィリアムの腕にホールドされていて逃げられない。
「いい匂いがする。僕、好きだな」
細い指にうなじ辺りを引き寄せられ、ウィリアムの唇がシャルロットの耳のすぐ下に来る。喋るたびに暖かい息が首筋にかかって、シャルロットは先程とは別の意味でドキリとした。急に異性と密着していることを意識し始めた。
「い、いい加減に離すのじゃ。あまり褒められた格好ではないぞ」
「あっ、ごめん」
ウィリアムは慌ててシャルロットを開放して座らせた。
「つい、シャルロットの抱き心地が良くて」
言ってから再びはっとして、ウィリアムは恥ずかしそうに視線を逸らして口元を覆った。
「違うんだよ、こんなこと誰にでも言ってる訳じゃないんだ。むしろ初めてで……」
耳まで赤くなっているウィリアムにつられて、シャルロットも顔を赤らめた。
「シャルロット、お願いがあるんだけど」
改まって姿勢を正すウィリアムに、シャルロットは目を向けた。
「明日の夜、陛下主催の舞踏会があるんだけど、一緒に出席してくれないかな。シャルロットと一緒ならダンスも上手く踊れると思うし」
「国王は臨席するのかの?」
「主催者だからね。でもすぐ執務にお戻りになるんだ。廷臣たちへの労いに、時々開かれるんだよ」
その口調は、王を慕う気持ちに溢れていた。
「ウィリアムは、国王が好きなのじゃな」
「敬愛してる、誰よりも」
その言葉は複雑な色をしていて、シャルロットは首をかしげた。
「ね、どうかな? ドレスなら届けるから」
「ドレスのことよりも、身分が問題じゃろう」
舞踏会は上流階級のもので、使用人が出席できるものではない。そうはいっても、噂の国王に会えるチャンスがこんなに早く巡ってきたのだ。シャルロットもふいにするつもりはなかった。
「僕のパートナーとして参加すれば大丈夫だよ。なんなら今から準備する?」
ウィリアムは立ち上がり、シャルロットの手を握って立ち上がらせた。
「いや、今は行けぬ」
マルクから耳にタコが出来るほど「一人で勝手をするな」と言われている。
「妾にはまだやることもあるのでな。出席できるよう善処するゆえ、明日の舞踏会でまた会おう」
ウィリアムは淋しそうな顔をして、握ったままのシャルロットの手を両手で包んだ。
「善処なんて曖昧な言葉じゃ嫌だ。必ず来て。もっと一緒にいたいんだ」
ストレートな好意を向けられて、シャルロットは素直に嬉しくなる。
「明日まで、待てそうもない……」
ガラスのように透き通った瞳で真っ直ぐに見つめられると、シャルロットはくすぐったい気持ちになった。
その時、シャルロットの視界に人影を捉えた。カットが戻って来たのだ。
「お目付け役が戻った。お主ももう行くとよかろう」
「うん。明日の夜、待ってるから」
ウィリアムは名残惜しげにシャルロットの手を離して、振り返りつつ去っていった。
「美しいのう」
遠ざかるウィリアムの後姿に、シャルロットは呟いた。マルクとは違う、柔らかい感触が残る手のひらをそっと握った。
そこにスキップせんばかりの上機嫌なカットがやって来た。
「ただいま! すっごい金払いが良くってさ」
戻ってきたカットは早速、聞いてもいない報告を始めた。カットの赤裸々な話を聞きつつ、シャルロットは目を白黒させながら仕事をしていたが、しばらくすると再びカットは姿を消してしまった。
「あやつ、まともに使用人の仕事をしておるのかのう」
シャルロットは仕方がなく一人で清掃を続けていると、「そこの者」と声をかけられた。
振り向くと、ヒョロリと背が高く、顔色の悪い中年の男が立っていた。顔色だけでなく、くぼんだ暗い目が印象的で、人相が悪かった。細身だが、腹だけがでっぷりと張っている。
「おお、やはり美しい。余のものになれ」
手が伸ばされて、シャルロットの首筋を撫でた。その湿った感触とねちっこい喋りにシャルロットは全身に鳥肌がたった。手を払って飛び退る。
「無礼者! 何者じゃ」
男は驚いた顔をして、「気の強い女も嫌いではないぞ」とにやけた。
「余を知らぬとは、とんだ田舎者よ」
シャルロットは警戒しながらも男を観察した。手入れをされたプラチナブロンドで、肌は磨き上げられているが、隠しきれない皺の刻まれた顔は四十代に見える。ダブレットは金糸の刺繍で布地が見えないほど豪華だ。回廊には距離をあけて側近たちが控えている。
「噂を流している可能性の高い、うつけ兄弟のどちらかじゃな」
シャルロットは小さく呟いた。
「ここだけの話、もうすぐこの国は余のものになる。離宮に来るがよい、なんでも好きなものを与えよう」
「どういうことじゃ?」
「興味があるか。では余の部屋で、ゆっくりと話そうではないか」
握られた手を振り払おうとするが、男の手は離れなかった。シャルロットはたやすく引きずられてしまう。
「そう面倒をかけるな。この回廊に一人でいるなど、お前も男漁りをしていたのだろう。余が可愛がってやると言っておるのに」
「違うっ! 妾は……っ」
抱きしめられると、あまりの嫌悪感に吐きそうになった。
「離せっ」
あまりにも違った。慣れ親しんだ感触と。
マルクの腕の中と。
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