3章 シュルーズメア王国 その3

 翌日の朝。シャルロットとアンヌはギルフォードに連れられて王城に行き、女中長を紹介された。


 二人は女中長に寝泊りする部屋に荷物を置くように指示されると、すぐに物置場所や道具の説明をされる。仕事に慣れない二人は別行動で、ベテランの女中と組んで掃除をすることになった。


「できましたら、二人で一緒に行動したいのですけど」


「何甘いこと言ってんだい。伯爵の関係者だか何だか知らないけどね、城で働いて貴族を引っ掛けようったってそうはいかないよ。あんた達の担当は、日の当たらない回廊の掃除と薪運びだからね。その綺麗な顔もすぐに薄汚れて見る影もなくなるから、覚悟おし!」


 小太りの女中長はアンヌを睨んで早口でまくし立てる。アンヌは整った細い眉を顰めた。不穏な空気が流れる。


「それは残念じゃのう」


 アンヌに並んでいたシャルロットは、のんきな声をあげた。


「フォークより重いものは持ったことがないような手をして、どうせあんたも没落貴族だろう? 客引き場所を間違えてるんじゃないのかい?」


 白髪交じりになるまで城で勤め上げ、色恋沙汰とは無縁だった女中長にとって、シャルロットたちの若さと美貌は嫉妬の対象でしかなかった。


「妾は、国王に会ってみたいと思っておるのじゃ」


「……はあ?」


 一瞬の沈黙の後、使用人控え室は笑いの渦となった。担当場所に向かう前の使用人たちは、新人のシャルロットたちの会話に聞き耳を立てていたのだ。


「そんなお偉いお方に会えるわけがないじゃないか。あんたおかしなことを言うね。もういい、ベス、カット、この二人のどっちか片方を連れておいき。仕事を教えてやんな」


「はーい」


「シャルロット様、ご無理をされませんよう」


 アンヌは離れ際、小声でシャルロットに話しかけた。


「うむ、アンヌもの」


 シャルロットはカットに連れられて西回廊の二階へ、アンヌはベスと共に東回廊一階に移動した。


「あんた面白いね。名前は?」


「シャルロットじゃ」


「アタイはカットってんだ、よろしく。王様に会いたいって?」


 カットはそばかすの浮いた頬を持ち上げて、ニンマリと笑った。アップにした髪は赤毛で、年はシャルロットより少し上くらいだった。


「うむ。難しいかのう?」


「無理無理。アタイここで六年働いてるけど、王様は見かけたことないもん。でも、前の王様の息子たちは結構ふらふらしてるし、貴族様に接触することも出来るよ。アタイたちを物色しに来るんだ」


「物色?」


 シャルロットは雑巾を持ったまま、小首を傾げた。


「女中長はお誘いがないから知らないだろうけど、ここはアタイら使用人と貴族様を繋ぐ、秘密のスポットなのさ」


 カットはシャルロットの耳元で囁いて、アハハと笑いながら離れた。


「こんなに広い城なんだ、ちょっとしけ込んでもバレやしないって。向こうは遊びのつもりだろうけど、こっちはいい稼ぎになるからね」


 シャルロットには、何の話なのか分らない。


「生地の良い悪いは分かるかい? 金持ちで女好きの貴族か商人を見つけたらさ、こっちはその気だって色目を使っておくんだ、誘いやすいようにね。安心させてやるのがコツ。アタイなんて、女中の収入より稼いでるんだから」


 カットは豊満な胸や尻を振りながら自慢げに話す。やっと合点がいったシャルロットは、あっという間に真っ赤になった。


「そ、そ、そのような……っ」


「あんたもそれが目当てなんだろう?」


 シャルロットは慌てて首を横に振るが、カットは笑って取り合わない。


「今更隠さなくったっていいじゃないの。こういうのはお互い様なんだからさ、アタイがいない時に女中長が様子を見に来たら、上手くごまかしてよ」


 鼻歌交じりに掃除を始めるカットを、シャルロットは半ば放心したように見ていた。そしてはっとした。


「まさか、マルクも」


 見知らぬ女性を腕に抱くマルクを想像して、慌てて首を振ってシャルロットは打ち消した。


「妾のマルクがそんなこと! 嫌じゃ、ダメじゃ!」


 そう小声で叫んだシャルロットは、今度はマルクとアンヌが一糸纏わぬ姿で抱き合っている姿を想像して、再び顔を真っ赤にさせる。


「ななな、なんてことを思い浮かべておるんじゃ、妾はっ」


 シャルロットが自分の妄想にタジタジになっていると、ポンと肩を叩かれた。


「ひゃぁ!」


「うわっ、なんて声をあげるんだい。さっきの話、よろしくね。アタイ行ってくるからさ」


 振り返ると、カットの先に貴族らしい格好の中年男の後姿が見えた。カットは小走りに男に寄って行くと、角を曲がって姿を消してしまった。


「早速か、せわしいのう」


 シャルロットは呆気にとられながらも、ほうと大きく吐息した。


 ガラスのない、大きく開けている窓から外を覗くと、どこかの隊が訓練しているのが遠目に見える。制服の色が違うので、ギルフォードの所属する親衛隊ではないようだ。今頃どこかでギルフォードは訓練をしているのだろう。アンヌはベスという女中と上手くやっているだろうか。


 そして今、情報収集のために城下町にいるだろうマルクとピエールを思うと、妙に会いたくなってきた。今日は慌ただしかったのでマルクと顔を合わせていない。帝国にいたならこんな時、すぐに呼び出していたものを。


「うむむ、不便じゃのう」


 唸りながら適当な場所を雑巾がけしていると、男性のぼそぼそとした話し声が聞こえてきた。声がした回廊の角を覗き込むと、四人の男たちが立ち話をしている。上等な胴衣を着ている事から貴族だと分かるが、その一人は特に目立つ風貌をしていた。胸まで届く白い髭を蓄えた初老の男で、白いローブに緋色マントを巻き、緋色のベレッタ帽を被っている。枢機卿の衣装だった。


「ウォルター陛下が人格者な事はよく知っておる」


 枢機卿の腹に響くような低い声がシャルロットに届き、去りかけた足を止めた。


「しかし、ただの噂話なのか、工作なのか、はたまた権力を手にして陛下が心変わりなされたのか、我々は確かめねばならん立場なのだ」


 人前で話し慣れている者特有の語り口だった。


「二年前の議会で、陛下に継承すべきだと推したのは大司教猊下です。心中、お察し申し上げます」


「大司教とは、とんだ大物が立ち話をするものじゃ」


 四人には見えないよう角の壁に背を付けたまま、シャルロットは呟いた。


「無理な租税の引き上げをして、その分を横領しているという証拠の書類が提出されておる。平民出身のせいか、素養がなく国事が滞るという苦情もな。信じたくない話だが」


 苦々しい枢機卿の声に、同情の声が上がる。


「慎重に調査する必要がありますな」


 男たちの会話に、シャルロットは形のいい眉を寄せた。


「証拠があるのか? 噂レベルの話ではないではないか」


 シャルロットが呟いた時、


「サボるな!」


「ひゃあっ」


 死角からの突然の声にシャルロットは飛び上がって、驚きのあまりしゃがみ込んだ。すると、クスクスと笑い声が降ってくる。


 見上げると、肩まで届きそうなプラチナブロンドの髪の少年と目が合った。丁寧にあしらわれたダブレットを着た上品な顔立ちで、貴族だとシャルロットは一目で分った。


「な、なんじゃ。脅かすでない」


「何を見てるの?」


 少年はヒョイと角から回廊の奥を覗き込んだ。


「顧問官の人たちだね。どうかした?」


「あっ、いや、特に……」


 シャルロットがしどろもどろしていると、少年はシャルロットの手を引いて立ち上がらせた。


「真剣な顔をしてるから、なんだかおかしくて。君、新しい人だよね」


「うむ。シャルロットと申す」


「僕はウィリアム。ね、その喋り方、どこのなまり?」


「……なまっておるか?」


 シャルロットは首を捻った。


「お? そなた、美しいのう!」

 シャルロットはウィリアムをまじまじと見つめた。ウィリアムは後ろを振り返り、誰もいないことを確認する。


「僕のこと?」


 聡明そうな涼しい目元を細めて、ウィリアムは青年になりきれていない、幼さの残る独特のラインの頬を微かに紅潮させた。


「えっと、シャルロットも、可愛い、よ」


「知っておる」


 ウィリアムの精一杯の言葉を、シャルロットはさらりと流した。

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