3章 シュルーズメア王国 その2
宿屋からギルフォードの屋敷までは王室領が続くので、道は開けて治安もいい。四人乗りの馬車にシャルロットとアンヌが向かい合わせで座り、ピエールは御者の隣に乗った。マルクとギルフォードは無人の馬を引きながら、馬車の後ろについている。
「シャルロット様、ギルフォード卿はいかがです?」
「いかが、とは?」
カーテンを開けて、窓の外の景色を興味深げに眺めていたシャルロットが、アンヌに顔を向けた。
「恋人候補ですわ。ウォルター陛下が独身宣言をしているのは事実のようですから、別の王侯貴族を探すとして、ギルフォード卿なら及第点ではございませんか?」
「う、うむ」
ギルフォードに軽々と抱え上げられた事を思い出し、シャルロットは思わず赤面した。
「タイプは違いますが、ギルフォード卿はマルク様と甲乙つけがたい、麗しい容姿をお持ちです。お身体のラインなんて、お二人はそっくり。そして」
アンヌは一旦言葉を区切った。
「ギルフォード卿はマルク様と違って、お身体に傷はありませんわ」
「……っ!」
シャルロットは瞠目して、笑みを浮かべるアンヌを見つめた。
「……そうじゃ、騎士はだめじゃ。戦をする者を夫には出来ぬ。今は美しくとも、それをみすみす捨てる愚か者じゃ。あんなに醜いものを、二度と見たくはない」
生々しいマルクの胸の傷を思いだし、シャルロットは顔を伏せた。一気に血の気が失せて、冷えた体を両腕で抱いた。
「戦場に出ずとも、今日にでも馬車に轢かれて私も傷を作るかもしれません。そうなった時、シャルロット様は私を傍に置いて下さらないのですか?」
「そんなことはないぞ」
「その傷が、顔でも?」
それはマルクからも問われたばかりだ。シャルロットは動きを止めて想像し、眉を下げて表情を暗くした。
「考えたくもないが、アンヌはアンヌじゃ。妾の侍女は、アンヌ以外考えられぬ」
「それでは、なぜ相手が騎士ではいけないのです? 怪我をしても、夫は夫ですわ」
「それは……」
シャルロットは分からなくなってきた。
ただ、マルクの肩口から腰まで走った、大きく生々しい傷を、今でも鮮明に覚えている。思い出すと震えてしまう。悍ましく、恐ろしかった。二度と見たくはなかった。
あの傷からは、死の香りがした。
「……」
沈黙の中、馬の蹄や車輪が地面を削る音が馬車内に響いた。
羊が放牧されたのどかな風景を抜けると、舗装された道路に変わり、あっという間に石造りの建物に囲まれた。更に進んで広大な敷地を取り囲む壁が現れ、その先にある宮殿並みの建物が、ギルフォードの屋敷だった。
御者は馬車を止めるとすばやく降りて折りたたみ式の階段を降ろし、扉を開ける。御者に劣らぬ早さでピエールも馬車から降りると、マルクとギルフォードから馬を預かって厩に向かった。
「ようこそ我が家へ、マダム」
先に下車するアンヌにギルフォードはあえて慇懃に手を差し伸べて、そのまま屋敷の中にエスコートする。アンヌも優雅な身のこなしでそれを受けた。
マルクもギルフォードに倣い、シャルロットに手を差し伸べる。
「何か言葉はないのか?」
差し伸べられた大きな手に自らの手を添えながら、シャルロットは不機嫌そうにマルクに尋ねた。照れ隠しだった。
「お疲れ、シャルロット」
階段に立つシャルロットを労わるような表情で見上げるマルク。また憎まれ口でも叩かれるのかと思っていたシャルロットは、一瞬立ち止まって正面からマルクを見た。同時にカアッと顔が赤くなるのを自覚して、死角になるよう慌ててマルクの腕に手を絡めて隣に並んだ。
「マルクのおかげじゃ」
物心ついた時からベタベタと触ってきたマルクに、今更照れもなにもないと頭では分かっていても、シャルロットは高揚を抑える術を知らなかった。
屋敷に入ると、二階分が吹きぬけとなったエントランスが広がり、絨毯の敷かれた中央の階段を上がりきった白壁には、シュルーズメア王国の紋章を表す大きなタペストリーが飾られている。方々にはドアマンなどの従者が何人も立っていた。
「旅の疲れもあるでしょう。夕食まで、しばらく休んでください」
ギルフォードはシャルロットたちの荷を使用人たちに持たせ、振り分けた客室に運ぶよう指示した。四人はそれぞれ従者に導かれ、シャルロットは二階の一室に入った。豪華にしつらえた客室のひとつで、有名な絵師による絵画が飾られ、クルミ材の家具、赤大理石を使ったテーブルなどが配置されていた。繊細な刺繍のカーテンがかかった窓の近くには、天蓋つきのベッドがある。
帝国領どころか、ルゼリエール宮からも殆ど出たことがなかったシャルロットは、物珍しさに部屋中を見て回った。そのうちに、ドアがノックされる。
「シャルロット様、入浴の用意が出来ました」
質素な衣装から、青いベルベッドのドレスに着替えたアンヌが入ってきた。ブロンドの髪もきっちりと結い上げている。まだ別れて間もないというのに、いつもながらのその早業にシャルロットは驚かされた。
「まだ寛いでおってよいぞ」
「それはシャルロット様の準備が整ってからですわ」
アンヌはにっこりと微笑むと、王城で使用人として持ち込む荷物を除き、あっという間に大量の衣服類を家具にしまいこんだ。そして初めて来た屋敷であるにもかかわらず、まるで我が家のような足取りで、シャルロットを浴室に案内するのだった。
夕食のためにシャルロットとアンヌが広間に到着すると、柄付きの青いクロスのかかった長テーブルには既に、マルクたち三人が揃っていた。並べられたナイフやフォーク、銀の皿や杯などが、燭台の蝋燭に暖かく照らされている。シャルロットが席につくと、召使たちが湯気の立つ皿を次々に運んできて、辺りに食欲をくすぐる匂いが漂い始めた。続いて従僕たちはワインを注ぐ。
料理を運ばせ終わると、ギルフォードは人払いをした。
「早速、陛下の黒い噂話の件の続きだが……」
ギルフォードがマルクに話しかける。シャルロットたちが来る前に、騎士の二人はウォルター一世について話しを進めていた。
「王朝と無関係のウォルター陛下が即位され、過去の王位継承順は実状消滅。噂の流出は、譲位に納得していなかった先王陛下のご子息、長男のジョルジュ殿下、次男のフランシス殿下の陰謀ではないか、という話だったな」
マルクは座ったばかりのシャルロットたちにも分かるように、話を概括した。
「もしくはその派閥。どんなに能力が低くとも、血筋が重要だと主張する者は、一定数いるものだ」
ギルフォードが苦々しい表情でワインを飲む。
今年四十五歳になるジョルジュ、その五つ下の次男・フランシスの散財はあまりに酷かった。いくつも無駄な屋敷を建てたり、そこに多くの女性や自称芸術家たちを住まわせて、宝石などの奢侈品を言われるがままに買い与えていたのだ。
先王がとうとう息子たちを見限ったのは、民が苦しんでいる戦時中も贅沢をやめず、仮病を使って戦地に一度も出なかったことだ。
やがて病魔に侵された先王は、側近や枢密院の顧問官たちを集め、このまま次期王を長男のジョルジュにしていいものか相談した。かくして、王家の最低限の尊厳も守れない王子二人は、後継者の資格なしと判断された。そして先王の右腕として活躍していたアンベリー伯が王に選ばれ、ウォルター一世が誕生したのだった。
「即位されたばかりの頃は、ジョルジュ殿下派、フランシス殿下派の者たちが大暴れしていた。落ちるときは一蓮托生だからな」
「簒奪だなんだと騒がれたのは、その頃だったな」
「しかし、渦中のウォルター陛下は冷静に、問題のある臣下を切ったので、誹謗や中傷は沈下した」
「それが二年もたった今頃、なぜか黒い噂が再浮上しているわけですのね」
騎士たちの会話に、好奇心を隠せないアンヌが混ざった。
「私の部下を使って調べさせたところ、周辺国にまで、急激に噂が広がっています。意図的に誰がが拡散しているとしか思えません」
ギルフォードはアンヌに視線を向けて、口調を和らげた。
「確かめましょう。私たちもお手伝いしますわ」
「そうじゃな。妾たちが城で働くうちに、情報が入るかもしれぬ」
「いえ、王女殿下のお手を煩わせるわけには」
二人の女性の勢いに、慌てるギルフォード。
「それ以前に、お前は目立つ事をするな」
マルクはシャルロットに釘を刺した。
「そうじゃった。妾は明日から城に住み込むが、マルクを呼びたい時にはどうすればいいのじゃ?」
城からギルフォードの屋敷までは離れているので、アンヌに呼びに行かせることも、迎えに行くことも難しい。
「どうにもならん。大人しくしていろ。勝手な行動はするな」
「なんじゃと? 妾に万が一のことがあったらどうするのじゃ!」
「だから、大人しくしていろと言っているんだ」
「マルク、あまりに王女陛下に対して失礼じゃないか」
「そうじゃぞ!」
シャルロットはギルフォードに便乗した。マルクは無言でうなぎのパテを口に含み、ワインで流し込んだ。その顔には「勝手に言わせておこう」と書いてある。
「不名誉な噂が流れても、中枢の者までは騙せんじゃろう。噂ごときで簡単に王が交代する訳でもあるまい。誰が何のために噂を広めているのか、分ればよいのじゃな」
シャルロットは気を取り直してギルフォードに顔を向けた。
「有力候補は、殿下お二人と、その取り巻きですわね」
シャルロットとアンヌは騎士二人の心配をよそに、調査をする気満々だった。
この日の夜、ふかふかのベッドに入ったシャルロットは旅の疲れが出て、深い眠りに落ちた。
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