第3話 後日談

「その子たちじゃないんです!」


 寝汗をかいて目が覚めた。

 ここ数日、いつもあの日の夢で目が覚めてしまう。まだ薄暗い部屋の中で時計を見る。二時間も寝られてない。

 あれからずっと休職してる。本当なら心が傷ついてる生徒たちをケアしなくちゃいけないのに。

 二年二組の生徒にだけ教えているアドレス宛にたくさんの生徒からメールが送られてきている。大半は事件のショックでどうしていいかわからないという悩みだ。真鍋さんも

「うちのせいで志鎌くんが逮捕された」

 自分を責めるメールを送ってきてる。

 でも今の私にはどうしてあげることもできない。

 LINEには滉一くんからのメッセージが頻繁に入ってる。ほとんどが私に対する気遣いだ。

「ゆっくり休んだほうがいい」

「辛いなら仕事を辞めてもいいんだよ」

 私が例の事件のショックで職場復帰できないのだと思ってるみたいだ。それは間違いじゃない。でも間違いだ。

 彼は優しい。いつでも私のことを最優先に考えてくれる。だけど、今はそれが正直うっとうしい。

 結婚を示唆するメッセージを送ることもしばしばだ。どうやら、親御さんからは反対されていない様子だ。捏上さんは私に不利な報告はしなかったみたいだ。……どうでもいいけど。


 こんなときでもお腹は空く。冷蔵庫を開けてチョコパイを一個取り出す。もう料理する気力もわかないし、そんなにたくさん食べるのも大変になってる。

 最初の頃は体に鞭打って外に食べに行っていたが、半分以上残してしまうから、もうお菓子でいいやと思ってる。

 甘いチョコパイを食べると血糖値があがったせいか少し外に出てみようと考える。外に出られるなら行かなくてはいけない場所がある。


 スマホのアプリでタクシーを呼ぶ。今はこんなことが簡単にできる。タクシーの運転手はこちらをちらりと見ただけで行き先を聞いたあとは無言で運転してる。

 化粧もしてないお風呂も数日入っていない女が山の中を行き先に指定してるんだから、きっといろいろと考えてるんだろう。もしかしたら、後で通報するのかもしれない。まあ、別にいいけど。


 何時間もタクシーに乗ってやっと目的地に着いた。とんでもない金額になったがカードで支払った。

 タクシーを降りると覚えのある施設が目に入る。林間学校でお世話になった施設だ。もうずいぶん経つはずなのに私にとっては、ほんのついさっきまで夢で見てた場所だ。

 施設には向かわずに歩き出す。目的地はここじゃない。あの日、三度も行った場所だからすっかり足が覚えてる、あの場所に。


 國分くんがぶら下がっていた杉の木は、今も変わらずにそこにあった。

 あの枝を見上げて、どうしてこんなことになってしまったのかと、あの日から繰り返してる自問をまた頭の中で繰り返す。そして、これからどうすればいいのかも。


「もうすっかり寒くなりましたね」

 背後から聞き覚えのある声が聞こえた。どうやらずっと尾行してきたようだ。さすがは本職だと思う。

「もう報告は終えられたんじゃないんですか」

 私は振り返らずに言った。声は近づきながら

「はい、とっくに報告しました。依頼主もそれは喜んでくださいました。これも先生のおかげです。ありがとうございました」

 にこやかに報告してくる。

「だったら、もう私につきまとう必要はないんじゃありませんか。捏上さん」

 振り返るとあの時と変わらない黒のベストに開襟シャツ。そして、ジーンズを履いた小太りの四十代くらいの男性が、変わらない笑顔でそこにいた。


「ここから先はアフターケアです。サービスの一環なので料金は発生しません」

 ベストのポケットから薄いシーツを引っ張り出して、地面に敷く。石で四方に重しをしてから靴を脱いでそこに座る。

「先生もいかがですか」

 隣に座るように促されるが首を振って拒否する。彼もそこまで熱心には勧めてこない。

「さて、先生はあれからお加減はいかがですか」

 他のポケットからチョコ棒を取り出して袋から取り出して食べはじめる。それは勧めてこないのね。

 彼の食べてる姿を黙って見てる。なにをどう答えたらいいのかもわからない。

「まあ、休職されてるんですから、良いわけありませんよね。失礼しました。じゃあ、質問を変えましょうか。……なぜこんなところに来られたんですか?」

 それこそ答えられるわけないじゃない。

「うーん、答えてくれませんか。じゃあ、これなら聞いてくれますかね。志鎌くんたちは証拠不十分で不起訴になりましたよ」

 心の中がザワッとした。

「少し反応がありましたね。彼らの國分くんに対する暴行と首をくくったことに明確な関係性が見つけられない。……というのが家裁の見解だそうです。彼らは殺人で起訴されたんですから暴行による傷害は今回は裁かれないんですね。ただ……志鎌くんたちは転校を余儀なくされるようですよ。ご存知でしたか?」

 首を横に振る。そんな話は聞いてない。誰も教えてくれなかった。

「生徒たちはまだ知らないと思いますよ。中には彼らが刑務所に入ってると思ってる子もいるみたいですから。先生方はさすがに休職されてる天尾先生にまで知らせる必要性を認めなかったんですね」

 私がなにも喋ってないのに心の中を見透かしたように話してくる。気持ち悪い。

「……私、捏上さんを過大評価してたみたいです。あなたはとっくに真相を見つけていたんだと思ってました。でも、やっぱりあなたは『でっち上げ探偵』だったんですね」

 私の発言に「でっち上げ探偵」は声をあげて笑った。

「ハハハ、先生までそのあだ名を知ってるとは思いませんでしたよ。たしかに僕が推理した事件のいくつかは不起訴になってますからね」

 彼は私の顔をジッと見つめて

「でも、今回はと思ってますよ」

 ゆっくりとした口調で語りだした。

「もし、國分くんが自殺をして、見つかった手紙から彼らのいじめや暴行が発覚したとしても転校することはなかったと思います。しかし、さすがに不起訴になったとはいえ、殺人の汚名を着せられて堂々と地元で日常生活をおくれるほど彼らの親御さんは図々しくなかったんですね。それは元々、被害者が望んでいたことなんじゃないでしょうか」


「あいつらなんて、いなくなっちまえばいいのに」

 國分くんが事あるごとに放った呪詛の言葉。彼は自分が逃げるよりも志鎌くんたちがいなくなることを望んでいた。それはそうだろう。非はいじめをしている側にあるのだから。


「逆に加害者にとっては、それは望ましくなかった。……だから、手酷い罰になった、と確信してます」

 私に対する視線を外さないまま語り続ける。

「以前にお話したように、この事件は最初から自殺に見えなかった。だから、警察も暴行をした彼らを有力な被疑者として見ていた。じゃあ、あの手紙はいったい何だったのか?あの事件を自殺に見せかけたい人がいるということです。それは誰か?

「志鎌くんたちではありません。あの手紙に彼らの名前が載っているだけで面倒なことになるのですから。彼らは國分くんを自殺に追い込んだだけで殺害はしていないと思い込ませたい人物は真犯人しかありえません。

「真犯人は自分が殺害したことも伏せなければいけない。だから、自殺に見せかけなければいけなかった」

 でっち上げ探偵は滔々と語る。

「元々、真犯人は首吊り自殺を考えていたわけじゃないと思います。こんな山の中ですからね。崖に突き落とすとかもっと楽に殺害して自殺に見せかける方法があったはずです。だけど首吊りを選んだ。……選んだというより選ばざるを得なかったんじゃないかと思います。そこにロープと無防備にさらされてる首があったんですから。

「見事、殺害に成功した真犯人は、これが自殺に見えるようにあの手紙を置きました。だけど生徒たちが死体を見に行って現場を荒らしてしまったために、手紙はどこかに行ってしまった。

「真犯人は焦ったはずです。『どうしよう。このまま見つからなかったら自分の口から三人の名前を言わなくてはいけないのか』……と。

「あの手紙があるから自殺に見せかけることができる。もしそうならなかったとしても、手紙に名前が書かれている三人は容疑から外れるはずだ。自分たちが殺害した死体のそばに、自分たちの名前が書かれている手紙を置いておくような犯人はいないはずだから。

「結果、警察があの手紙を無事に見つけてくれたおかげで、自分の口から彼らの名前を出さなくて済んだ真犯人はホッとしたことでしょう……ね」

 こちらを向いて微笑んでくるが、かわいくない。

 そんなことも気にせず捏上さんはポケットから四角い金属の箱のようなものを取り出した。

「寒くなってきたから、ちょっと暖をとりますね。これ、携帯用のストーブなんです。お湯も温められるんですよ」

 そう言いながら手際よくストーブを組み立てて、固形燃料に火を付けた。さらに、別のポケットから取っ手が折りたたみ式になってる鍋。それにペットボトルの水まで出してお湯を作る準備を始めた。

 なんたる自由人。

「でも、そこまでしても彼らに容疑がかかったのは、なぜですか?」

 お湯を沸かしてる間にさらに別のポケットから紙コップと小さな袋を二つずつ取り出した。魔法のポケットね。

 それにしても私の質問を聞いてるのかしら。

「真犯人の最初の計画では志鎌くんたちが國分くんに暴力を振るうことは想定外だったはずです。彼らの真新しい暴力の痕が、彼らを疑わせるきっかけになったんですから自業自得です。真犯人のせいじゃありません」

 ポコポコ沸くお湯の泡を見ながら楽しそうに答えてくる。

「捏上さんはさっきから真犯人に同情的ですね。でも、人一人の命を奪うような人をかばう必要があるんでしょうか」

 その捏上さんは、さっきの袋を開けて紙コップにそれぞれ入ってる粉を入れる。それから沸いたお湯をコップに流し込んでる。それからまたポケットから出したスプーンでお湯をかき混ぜると、そのうちの一つを私に差し出した。

「ホットチョコレートです。インスタントですが美味しくて暖まりますよ」

 ポケットから出されたものを飲むのは気が引けるけど、衛生的に問題なさそうだし、なにより寒いからありがたくいただくことにする。

 一口すすると、くどいくらいに甘いチョコレートが美味しい。

「僕は別に真犯人に同情してるわけじゃありませんよ。現に今の状況は真犯人にとってはもっとも望んでない状態ですから。……そうは思いませんか」

「……」

「先へ進めましょうか。まず、あの手紙はどうしてあそこにあったのかを考えました。普通に考えれば被害者が持っていたと思うでしょう。筆跡は間違いなく國分くんのものだったんですから。でも、それだとあの他殺にしか見えない状況に説明がつかない。どうして、國分くんはあの手紙を書いたのか。

「あの手紙だけでは告発文としては不十分です。ネットに流してもマスコミに売っても取り上げられはしない。どうしてもいじめを苦にしての自殺とワンセットでないと誰も気にかけてくれません。

「國分くんは自殺をするつもりだった。もしくはそう見せかけるつもりだったはずです。だから、あの手紙を書いた。いや、おそらく真犯人に書かされたはずです」

「どうしてそう思うんですか」

「國分くん一人では、そんなことは思いつかないはずだからです。もし、そんなことを思いついたなら、とっくにやってるでしょうから」

「自殺であれ狂言であれ思いつくのがいつになるかなんて、わかるわけないじゃないですか」

 またチョコレートを一口すすって反論する。

「もう、いじめが先生にわかっているのにですか?先生がなにも手を打たなかったのなら、それもわかります。でも、天尾先生は学年主任の先生に相談したり、彼の身体の傷を確認したり、ずいぶん積極的に関わってきたじゃありませんか」

「……自分でいうのも情けないですが、私はなんの役にも立ってませんよ。志鎌くんたちに國分くんいじめてるのか問いただすこともできませんでしたから」

 これは謙遜でも自虐でもない。事実だ。

「……なるほど。そう言って彼に手紙を書かせたわけですね」

 一人で納得したように頷いてる。いいかげん、イライラしてくる。

「捏上さんは私がその真犯人だと思ってるんですね。いったいその根拠はなんでしょうか」

「……もう少し甘くてもいいのにな」

 ホットチョコレートを飲んで一言こぼす。そっちの感想はどうでもいいのよ。

「正直、疑いはいくつもありました。だけど、決定的なものはありません。新しく買ったジャージも、國分くんの服を脱がせて身体の傷を見たことも。先生はいっけん納得できる言い訳をしてましたから。真鍋さんから聞いた、國分くんから渡された手紙もラブレターだとか言われてしまえば現物がない以上、納得するしかありません」

 やっと教えてくれた根拠はひどく曖昧だ。それで犯人にされてはたまらない。

「だったらどこで犯人だと確信したんですか」

 詰め寄る。捏上さんは珍しく逡巡するような顔をした。

「僕らが男子の部屋で暴れていた時に先生が入ってこられましたね。……その時です」

 やがて言った言葉が私を困惑させる。

「どういうことですか」

 いったいぜんたい意味がわからない。あの時、私はどんなミスをしたというのだろうか。

「先生、もし、僕が今から言う推測が間違っているのでしたら、きちんと否定してほしいのですが……」

 なに、突然?

「先生はを持ちました……ね」


 頭の中が真っ白になった。

 どうして、どこでそんなふうに思われたの?

「間違ってましたか?」

 念を押される。否定しなくては。わかるはずはないのだから。その想いとは裏腹に、私はただ黙ることしかできない。

「きっかけは……彼の傷を見るために服を脱がせた時……ですか」

 否定できない私を見てさらに質問を重ねてくる。私は……小さく頷いた。

「……どうして、そう思ったんですか」

 やっと言葉を絞り出す。

「僕には他に先生が國分くんを殺す動機が思いつかなかったからです。國分くんは、いつまでも志鎌くんたちを罰しない先生に対して、それをエサにゆすりだした。成人女性と未成年。明るみに出れば非難されるのは前者ですから」


「狂言?」

 私の説明が理解できないでいる國分くんに、もう一度きちんと説明する。

「私が訴えても、事なかれ主義の学校だから、なあなあで済ませてしまうわ。だけど、自殺をほのめかす手紙を残して、あなたがいなくなったらいくらなんでも考えると思うの。國分くんがそこまで追い詰められてるってわかったらね」

 もう誰もいない教室の片隅で、裸の上半身を起こして熱心に耳を傾けてくれている。その生々しい傷痕を見るとやはりなんとかしてあげたくなる気持ちが湧き出る。

 だけど、もう限界だ。私の力では、あなたを助けることができない。そう心の中で叫んで、私は着々と彼を殺害するための罠を張り巡らせる。


「もう何ヶ月も先生の身上調査を行ってきましたが、正直気がつきませんでした。プロとして恥ずかしい限りです」

 そうか、気づかれてなかったのか。学校の中までは入ってこれないのだから仕方がないけど。

「あなたは國分くんに手紙を書かせ、それを預かった。真鍋さんが見た手紙の受け渡しがそれだったんでしょう。どうしてそんなことをしたのか。それは手紙がきちんと書かれているかどうか確認したかったからでしょう」

 もう私が犯人という前提で話が進んでるわ。

「内容なんて本人に書かせて、その場で読めばいいじゃないですか」

 心が疲れた状態でなんとか言葉を絞り出す。

「それだと手紙に先生の指紋が付いてしまいます。だから、書かせた手紙を封筒に入れさせて預かった。その後、手袋をはめて封筒から手紙を抜き取り、中身を確認してから、別の新品の封筒に入れて封をした。真鍋さんが見た封筒は茶色の洋形封筒だったそうです。それで先生の指紋の付いていない手紙の出来上がりです。

「國分くんに話した計画はおそらくこうです。林間学校の日に彼が行方不明になります。隠れる場所はいくらもありますから。そして先生が手紙をどこかわかりやすいところに置いておくか、自分で発見したかを装います。その手紙と行方不明で大急ぎで捜索がなされ、その騒ぎが大きくなれば、いじめが露見して、学校も本腰を入れて改善に乗り出す。……そんなシナリオだったんじゃありませんか?」

「ずいぶん杜撰なシナリオですね。そんなのでうまくいくと思いますか?」

 私の反論に捏上さんは薄く笑って言い返す。

「うまくいくかどうかは関係ありません。あくまでも國分くんを信じさせればいいんですから。そして、直筆の遺書のような手紙を書いてもらえばいい。それで準備万端です。先生の本来の計画は行方不明になった國分くんを最初に見つけ出して自殺に見せかけて殺害することです。ところがそれがダメになってしまった。志鎌くんたちが彼を連れ出してしまったからです」


 最初は計画通り行方不明になってくれたのだと思ってた。ところが真鍋さんから詳しく聞くと、どうやら志鎌くんたちが連れ出したらしい。

 もし彼らが國分くんを傷つけでもしたら、彼らに疑いがかかってしまう。急いで彼らを見つけて止めなくては。

 私は田所先生をつかまえて二人で手分けをして探すことを提案する。ただし田所先生が探す場所は彼らがいない場所にする必要がある。もし私よりも先に見つけられたら、それこそ私の計画が無駄になる。

 そして、私が見つけたこともバレてはいけない。だから彼らがいない場所を捜索するように仕向けた。


「わからなかったのは、どうやって先生が國分くんを見つけたのかです。國分くんのスマホだけが盗られていたと知った時、それで連絡をとっていたか、GPSを使って所在を確認したのかと思いました。

「しかし、ここは國分くんや先生のスマホでは電波が入らない。GPSだったら衛星の電波を使うので問題ないのですが、それでも携帯の電波がないと正確な場所もわかりませんし、なによりマップ一つダウンロードできません。確実に見つけるためには携帯の電波をどうにかしなくてはいけない。

「そして、古家先生から聞いた話を思い出しました。天尾先生が早く戻って生徒から没収したお菓子を処分したという話です」

 やっぱり知っていたのね。

「古家先生も不思議に思われてましたが、なぜ行方不明の生徒を放ってお菓子を処分しなくてはいけなかったのか。まだキャンプファイヤーが始まるまで時間があったのにも関わらずです。もしかしたら、そこになにかあるのではないか。そう思って、先生が薫ちゃんたちと戻ったあとでキャンプファイヤーの跡を調べました。そして出てきました」

 そう言ってまたポケットから小さなナイロン袋を取り出した。

 そこには熱で変形した小さな塊が二つ入っていた。

「燃やされて形は変わってますが、ドコモのモバイルWi-Fiワイファイです。これがあればここらへんに飛んでいるドコモの電波をWi-Fiにしてネットに繋げることができます。万が一これが先生の荷物や國分くんから見つかれば疑われる可能性が出てくる。そう思った先生は数日前に購入したジャージと共に燃やして処分することにしたんですね。

「ちなみにそのジャージは國分くんを殺害した時に暴れられて破損したり返り血などを浴びた時の用心ために買ったんですね。そんなものを着て林間学校を続けることはできませんからね」

 私は、その塊を見ながら当時のことを思い出していた。


 スマホのGPS追跡アプリで國分くんの所在をこっそり確認してから、田所先生にまったく見当違いの場所を捜索してくれるよう頼む。そして一路、國分くんたちのいる場所まで走っていった。

 しかし間に合わなかった。

 志鎌くんたちが笑いながら施設に戻っていくのを、茂みに隠れて見送ったあと急いで國分くんの元へ向かう。そして、そこにはロープに縛られて杉の木から吊り下げられている彼がいた。

 切り株にくくりつけてあるロープの端を外すと國分くんはドサッという音とともに落ちた。

「國分くん、大丈夫?」

 彼を縛っているロープを外してあげると國分くんは泣きながら私に抱きついてきた。

 怖かったと思う。やはり、そんな彼が愛おしいと感じる。

「先生、あいつらもう許せない。なんとかしてよ。あいつらが学校に来られないくらい酷い目に合わせてよ」

 私の胸の中でそんな呪いの言葉を吐く。

「手紙だって渡したじゃないか。いつになったら、やってくれるのさ。……あのことを言ってもいいの?」

 その言葉を聞いた瞬間、私の両手は持っていたロープを彼の首にかけていた。


「一番のネックになったのは先生の細腕で國分くんを吊り下げることができるのかでした。それを解決できたのは先生がくれたヒントからでした」

「……私?」

 ハッと我にかえって問い返した。なにか言ったかしら?

「はい、僕の國分くんの他殺説に対する反論として、切り株にくくりつけたロープを彼が持って杉の木に登ってから首にロープをかけてから飛び降りた。そう先生は仰いました。なるほど、それなら先生でも彼を吊り下げることは可能です」

 今、私は自分のバカさ加減を悔いてる。

「先生は彼の首にロープをくくりつけた後、苦しむ彼を残して、おそらく胴にもう片方のロープを結んでその杉の木に登りました。そして枝まで登った、あなたは迷うことなく反対側に向かって飛び降りた。

「力だけで吊り下げようとするのは無理でも自分の体重をかけて飛び降りれば、重力も加算されて小柄な國分くんの体くらい先生でも吊り下げることができます」


 杉の木の枝によじ登った私は振り返らなかった。もう引き返すことはできない。なにより、ここから飛び降りれば自由を手に入れることができる。その高揚感が私を突き動かした。だから……


 私は……んだ!


「おそらく吊り下げられた國分くんは必死になってロープを外そうともがき苦しんだでしょう。だけど、あなたはそれを無視した。彼の暴れる振動が伝わるロープの端をあなたも必死になって切り株にまたくくりつけた。もしかしたら、その時にはもう彼は絶命していたかもしれません」


 ロープを切り株にくくりつけて始めて私は國分くんの方を振り返った。だらんと力尽きたひとつの死体がそこにあった。

 彼のいた地面を見ると私が持ち出した國分くんのスマホと、私が買って渡したモバイルWi-Fiが落ちていた。それらを拾い上げると私のWi-Fiだけポケットに入れて、代わりに持ってきた彼が書いてくれた遺書をスマホと一緒に地面に置いた。

 これで自殺に見せかけられる。興奮した頭はそう確信していた。


「國分くんが亡くなった夜の男子の部屋であなたは志鎌くんだけ他の生徒達とは違った目で見ていました。その時、確信しました。先生が愛しているのは志鎌くんだと」

 捏上さんは、あの日のことを思い出してボーッとしていた私に冷水を浴びせるような言葉を吐いた。

「それですべて納得がいきました。どうして志鎌くんたちに容疑がかかるのを、あれほどかたくなに否定したのか。彼に容疑がかかればかえって先生にとっては有利なはずなのに。先生にしてみれば彼がいじめをしていたという事実は公になっても仕方がない。むしろ、知らないものの方が少なかったのだから何をいまさらって感じでしょう。だから、國分くんの自殺にしたかった。彼に対してはさほど思い入れはなかったのでしょうから」

 捏上さんの最後の言葉に反感はわかなかった。そう言われればそうかも……そんな感じだ。

「捏上さん……私、中学を卒業してから恋愛対象の年齢が変わってないんです。……どうしても、小学校の高学年から中学生くらいの男の子にしか興味がもてないんです」

 初めて話すことだ。家族はもちろん、どんなに親しい友人にも話したことはない。もちろん婚約者にも。

「中学の教師になって、やっぱり生徒の一人を好きになりました。その子はそんなことは知りません。担任でもないし、授業を受け持ったこともないですから。その子が卒業した日は泣きました。そして、彼が高校生になって学校に遊びに来た時にたまたま職員室で見かけました。その時にはもうなんの興味もわきませんでした。

「國分くんが志鎌くんたちからいじめを受けていると知った時は、どうしようかと思いました。事が露見して彼が……志鎌くんが学校からいなくなってしまうのかと思ったら、無視してしまおうかとも考えました。結局、いじめをした側が転校させられるケースなんてほとんどないと知ってから、やっとちゃんと関わることができました。

「國分くんを呼び出して、何度もいじめのことを問いただしてやっと教えてもらった時に彼の体の傷を見せてもらいました」

 そこで一拍おいて息を吸った。とっくにチョコレートは無くなってる。なにか喉を潤すものがほしいと思った。

「彼の肉体からだを見た時、『今まで欲してたまらなかったものが目の前にある』そう思いました。そうしたら矢も楯もたまらず、抱きしめてました。彼のことはさほど好みではなかったのにです」

 自分でも反吐が出るくらい酷い話なのに捏上さんは黙って聞いている。何を考えてるのかわからないが、私ほど気持ち悪がってはいないようだ。

「その後も國分くんとの関係は続きました。休日補習と称して呼び出したことも再三です。

「その時に手紙を書くことを提案しました。彼はすぐに持っていた国語のノートを破って書いて提出しようとしました。私は『ちゃんと封筒に入れて持ってきて』とお願いしました。もちろん捏上さんの言うように手紙に私の指紋をつけないためです。

「翌日に彼から渡された封筒を家に持って帰って手袋をはめてから手紙を抜き取って真新しい封筒に入れて封をしました。でも、まさか生徒たちが封筒をめちゃくちゃにするなんて思いもしませんでしたから、泥まみれの封筒を見たときは無駄な努力だったなって思いました」

 苦笑する。すると、捏上さんが説明してきた。

「手袋をして作業すると手袋痕てぶくろこんっていう痕が付きます。だからもし、手袋痕のある状態で発見されていたら、なんらかの細工を疑われていたと思います。結果的に天尾先生は生徒たちからから守ってもらってたんですよ」

 そうなんだ。完全犯罪ってやっぱり難しいものね。

 捏上さんが続きを話しだした。

「手紙を置いてWi-Fiを回収した先生はロッジに戻りました。その時に着ていた新しいジャージを脱いでWi-Fiと一緒にゴミ袋に入れて、何くわぬ顔をしてキャンプファイヤーの場所まで捨てに行きました。古家先生も不思議がっていましたよ。どうして始まるまでまだ時間があるのに火を着けるのか。いくら生徒から没収したものを処分したいとはいえ。ここで火を着けたらキャンプファイヤーの時間には火が弱くなってしまうのにと。

「結局は國分くんの遺体が見つかったために古家先生が火を消したから、こうやって証拠の品が燃えきらずに残ってしまいました」

 モバイルWi-Fiの残骸を持ち上げてる。

「警察は先生を容疑者の中に入れてませんでしたから、この存在には気づきませんでした。もし疑われていたら、ゴミを燃したこともわかって回収されていたでしょうね」

「捏上さんは、わかってたからそうやって回収したんですものね」

 私の皮肉に笑顔で応じてる。

「正直、志鎌くんたちを偽犯人ぎはんにんに仕立て上げた時、先生が自供するんじゃないかと思ってました。先生にとってみればもっとも望ましくない形だったはずだからです。彼が犯罪者として捕まり、自分の前からいなくなってしまうことが」

 その言葉にあの夢を思い出してしまう。

 私だって何度、後悔したか。どうしてあの時、自首しなかったのか。いや、もっと前に志鎌くんたちに、彼らが國分くんをいじめていることを問いたださなかったのか。そこで公になれば、國分くんが転校することになったかもしれない。そして、彼との関係をバラされてしまったかもしれない。でも、今の状況よりもどれだけマシだったか。

 結局、私は自分が一番、かわいいのだ。

 あれほど恋い焦がれてやまない志鎌くんよりも自分の保身のほうがはるかに大事だったのだ。

「先生は高校生の頃からご自分の性癖がわかってらしたのですよね。でしたら、大学生の頃に知り合った水足さんは……?」

 ああ、そうね。もっともな疑問だと思うわ。

「彼から告白してくれました。彼は総じて真面目で非の打ち所がありませんでした。恋人にするには申し分ないと思いました。だから、お付き合いしたんです。付き合ってからも優しかったですし、実家が資産家だということを除いても本当に文句をつけるところがありません。別れる理由がないです。きっと良い夫、良い父親になれる人だと思います。

「だけど……抱きたいとも抱かれたいとも思いません」

 さすがにまったく関係を持たなかったわけじゃないけど、他の恋人よりも少なかったと思う。

「正直、尊敬はできるけど愛したことは一度もないです。……自分でも酷いと思いますけど、これが偽らざる気持ちです。だから、捏上さんの調査で破談になっても構わなかったと思います。ただ、自分から断る気になれなかっただけですから」

 なんだかスッキリした。やっぱり誰かに聞いてほしかったんだ。

「ところで、どうされますか?」

 ホッとしてる私に向かって捏上さんが問いかける。

「なにがですか?」

「ご自身で警察に出頭されますか?」

 ああ、そういうことか。私はかぶりを振った。

「今さらそんなことをしても意味ありません。志鎌くんたちは結局、有罪にはならなかったんでしょう。だったらなにも問題ありません。

「でも、そんなことを言うってことは、捏上さんが警察に真相を伝えるおつもりですか」

 捏上さんも同じように頭を振る。

「そんなことをしても僕にだってメリットはありませんよ。僕は國分くんが彼らを学校から追い出したかったでしょうから、遅ればせながらその望みを叶えられただけで満足です」

 でっち上げ探偵はよっこらしょと言いながら立ち上がる。

「ここからはご迷惑をかけたお詫びのアフターフォローです。よろしければ志鎌くんが転校した学校を調べますよ。どうです。わかったら学校を移られますか?」

 そんなに自由に勤務先を選べるとは思わないけど、そんなことは知ってて言ってるのかもしれない。

「いいえ、私……身勝手な人殺しにはなれても……みっともない女にはなれませんから」

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でっち上げ探偵「翔ぶ女」 塚内 想 @kurokimasahito

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