第2話 連れて行かないで

 お風呂から上がって、やっとひと息つけそう。本当はこれから生徒たちの部屋を見回らなくちゃいけないんだけど少し休みたい。

 ロビーの自販機でお茶でも買ってソファーでゆっくりさせてもらおう。そう思ってロビーに行くと早崎さんがソファーに座って紙コップを片手にノートを読み込んでる。事情聴取でとったノートなんだろう。

「早崎さん戻られなかったんですね」

 少し離れた場所から驚かさないように声をかける。早崎さんは私に気がつくと立ち上がった。

「すみません。主任たちは所轄に戻ったんですが、まだ何人か念のために待機することになりまして。ほとんどは外の車の中にいるんですが、私だけ施設の中での待機になりました。あ、どうぞ座ってください」

 恐縮したように私に座るよう促してくる。私は予定通り自販機でお茶を買ってから遠慮なくソファーに座らせてもらった。そして、早崎さんにも座るよう促す。

「どうして、皆さん戻られなかったんですか?」

 ペットボトルのお茶のフタを開けて一口飲んでから質問する。

「……まだ自殺と断定できませんから、生徒さんたちの安全のために残らせていただいてます。安眠の邪魔はしませんから、ゆっくりなさってください」

 ……安眠の邪魔?

「どっちかというと『眠りの邪魔』か『安眠を妨げない』って使いませんか……ね」

 思わず言ってしまった。早崎さんは顔をひきつらせる。

「…ハ…ハハ。やっぱり変ですよね。私の言葉遣い」

 しまった、やってしまった!

「いえ、けっして変な使い方ってわけじゃありませんよ。ただ私、国語教師ですから、つい言葉遣いを添削する癖がついちゃって」

 慌てて言い訳をする。私だっておかしな言葉遣いをするくせに。人の使い方をどうこういう資格ないのに。

「わかります。……たぶん、母の影響なんです。……私の母も中学の国語教師だったんです」

 あ、私とおんなじだ。

「私が生まれる頃には辞めてたんですが、母もおなじように私の言葉遣いを注意するんです。だから、つい反発しちゃってわざと変な言葉で喋ったりしてたんです。結局、それが尾を引いちゃって今もおかしな言葉を使っちゃうんです。……って『尾を引いちゃって』って間違ってませんか?」

 そんなこともあるんだな。私も気をつけないといけないかもしれない。

「大丈夫ですよ。合ってます」

 そう言ってから話題を転じることにした。

「ところで早崎さんは、どうして捏上さんを目の敵にするんですか」

 早崎さんは目をパチクリさせながら

「目の敵にしてますか?」

 と逆に聞いてきた。自覚がなかったんだ。

「……そう言われてみればそうかもしれませんね。あの人、警察の捜査に首を突っ込む機会が多いし、実際に事件を解決したこともあるんですけど」

 へえ、そんなのテレビドラマや小説の中の話だと思ってたけど、実際にあるんだ。

「でも結構、証拠不十分で不起訴になることも多いんですよ。私たちの間では『でっち上げ探偵』って呼ばれてます」

 ああ、やっぱりドラマみたいなことなんて、そうそうないんだ。

「それは、かえって迷惑ですよね。……それだったら身上調査を許すんじゃなかったな」

「先生に迷惑をかけるようでしたら遠慮なく仰ってください。いつでも逮捕しますから」

「わかりました。その時はよろしくお願いします」

 苦笑して答える。

「先生、そういえば頬に絆創膏を貼ってらっしゃいませんでしたか?」

 早崎さんが自分の頬に手を当てて聞いてきた。

「ああ、さっきお風呂で剥がれちゃったんです。もう血は止まってるから貼らなくてもいいかなって」

 私も頬の傷を触りながら答える。痛みはさすがにもう無い。

「真穂先生」

 背後から声が聞こえたから振り返ると真鍋さんが立っていた。彼女も風呂上がりみたいで、いつもの黒縁メガネはかけているけど、髪はおろしてる。やっぱり美人だ。私は立ち上がって

「どうしたの?」

 と声をかけた。彼女は早崎さんの方をチラッと見て戸惑ってる。

「あ、私ちょっと打ち合わせなくちゃいけないことがあったんで席を外しますね」

 早崎さんは気を利かせてくれて立ち上がる。紙コップに入ってる飲み物を飲み干すとゴミ箱の中に放り込んだ。

「さっきはいろいろ聞いちゃってごめんなさい。今日はもう大丈夫だから、ゆっくり休んでね」

 真鍋さんにそう声をかけるとそそくさと外に出ていった。

「刑事さんたちに、いろいろ聞かれちゃったの?」

 早崎さんの姿が見えなくなってから真鍋さんをソファーに座らせる。

「やっぱり志鎌くんたちのことを聞かれた。……志鎌くん、たしかに暴力とか振るうけど首をくくって殺すなんて酷いことするって思えなくて」

「どんなことを聞かれたの?志鎌くんたちが殺したって思うかとか?」

 真鍋さんは首を横に振る。

「國分くんにどんないじめをしたのかとか、どこでそれを見たのかとか。今日は志鎌くんたちはなにをしてたかとか」

 やっぱり一番の容疑者なんだ。

「それでなんて答えたの?」

 私も同じように質問してしまってる。

「先生に言ったみたいに、お昼前に志鎌くんたち國分くんを連れ出したって話したの。それで、お昼には國分くんだけがいなくなってって」

 彼が行方不明になった時に彼女から聞いたままだ。

「それも警察の人に話したのね」

 真鍋さんはコクンと頷いた。だとしたら、いっそう疑いが濃くなってるはず。

「あと、あの黒いベストを着た刑事さんから先生のことをずいぶん聞かれたの。うちとそんなに背が違わない人、いたでしょう」

 ……ああ、刑事と勘違いしてるんだ。

「うち、國分くんが先生になにか手紙を渡してるのを見たの」

 ……あれを見られてたのか。

「それ、あの刑事さんも知ってたみたいで『國分くんが先生に封筒に入った手紙を渡してるのを見たことないですか』って聞いてきたから『見ました』って答えたんだけど……よかったのかな?」

 と、いうことは他にも見ていた人がいたのかしら。

「うん、先生はやましいことはないから見たままを言ってくれて構わないよ。……それと、あの人、刑事さんじゃないの」

 真鍋さんに捏上さんのことを説明する。

「ええっ!なにそれ?じゃあ、あの探偵って先生の浮気の証拠を探してるの?」

「いや、単なる身上調査だから」

「だって、そんなの変だよ。そんなところに、お嫁に行くのなんて止めなよ。結婚って好きあってするもんでしょう?なんで親が探偵を雇って息子の恋人を調べるの。おかしいよ」

 彼女の結婚に対する、まっすぐ理想を語る姿勢がうらやましい。

「うち、あの探偵に先生が國分くんから手紙を受け取ってないって言ってくるよ」

 そこまでしなくていいって言おうと思ったけど、その前に……。

「探偵さん、帰ったんじゃないの?」

 そう聞いた時、

「せんせ~。……男子の部屋がうるさい~」

 また背後から声が聞こえる。私と真鍋さんが振り返ると別のクラスの女子が数人、眠そうな顔をして立っている。

「まだ就寝時間じゃないから、ちょっと大声になってるだけじゃないの?」

 そう言うと

「でも~、今日、あんなことがあったんだから、もう少し静かにしてもいいと思うんです~」

「喪に服すってやつ?」

 彼女たちは口々に不満を告げる。よくそんな言葉を知ってるのね。それよりもあんなことがあったのに眠れる神経もたいしたものだと思うんだけど。

「わかった、とにかく行ってみるね」

 聞けば、うちのクラスの男子に割り当てられてる部屋がうるさいらしい。だから、私に抗議してきたのか。

 私と真鍋さんは男子の部屋に向かう。着くとたしかにうるさい。

「何やってるのかしら」

 引き戸をノックしてみるが、うるさいせいか全然反応がない。思い切って開けてみることにする。万が一、着替えとかしてると困るので真鍋さんは部屋の中が見えない場所にいてもらう。

 ガラッ。引き戸を開けると私の目の前が真っ暗になった。

 ボフッ!顔面になにか当たったみたいだ。痛みの残る顔を押さえながらぶつかったものを見ると枕だった。

「なにやってるの!」

 大声で怒鳴るとやっと喧騒が止んだ。見るとクラスの男子の大半が枕を持ってそれぞれに投げつけようとしていた。みんな、こちらを見て慌てて枕を布団に戻そうとする。いまどき枕投げなんてやってるの。

 ……その中に一人、背丈の低い黒ベストを着たおじさんがヘラヘラ笑ってる。

「捏上さん、あなた帰ったんじゃないんですか?どうして生徒の部屋で一緒になって遊んでるんですか」

 枕をもてあそびながらこちらを見てる探偵さんに抗議する。

「すみません。彼らがスマホがなくてつまらないって言うもんですから遊んであげてたんです」

 悪びれずに答えてる。

「とにかく、ここから出ていってください。あなたは部外者でしょう」

 部屋の外を指さす。部屋にいる男子の半数以上が私にブーイングする。

「先生。おじさん、宿がなくて困ってるって言ってるんだよ。泊めてやってもいいじゃん」

 そうだ、そうだ。の合唱が止まらない。ここまで懐柔させるとは。「人の情けが身にしみます」なんて言って嘘泣きしてるし。

「関係ありません。いい大人なんだから何時間もかけて家に帰ればいいし、自分で宿くらい手配できるでしょう。できないなら車があるんだから車中泊だってやれます」

 先生、鬼だ。の声が加わる。なんとでも言って。

「いいじゃねえか、先生。誰の迷惑になるわけじゃないし、この人、晩飯だって俺たちと一緒に食べたんだし」

 志鎌くんが枕片手に弁護に入る。

「ちょっと待って。ご飯、勝手に食べたの?いつ?」

 志鎌くんは「やべっ」ともらす。

「ごめんなさい。生徒さんに『お腹すいてる』って相談したら『一緒に食べよう』って言ってくれて、ジャージを貸してもらって生徒のフリして食べちゃいました」

 いいおじさん、おそらく四十代だと思うんだけど、そんな人がジャージを着て中学生に混ざってご飯食べたなんて信じられない。

「いいじゃないか。どうせ飯は余ってるんだし」

「なに言ってるの!それって國分くんのご飯じゃない!」

 志鎌くんの発言に部屋の外に待機していた真鍋さんが乗り込んで反駁する。まさかいるとは思ってなかったから驚きはしたけど彼も負けじと言い返す。

「死んだやつは飯なんか食わねえだろ。余ったらもったいねえじゃねえか」

「余る余らないは関係ないでしょう!このおじさんには國分くんのご飯を食べる権利はないって言ってるの」

「お前、ひでえ女だな。困ってる人がいるなら助けてやればいいじゃんか。國分ばっかり贔屓しやがって。あいつとできてたのかよ」

「なにバカなこと言ってるのよ……」

 このあと真鍋さんはうっかり言ってしまった。

「あんたが……國分くんを殺したクセに!」

 ……部屋の中の空気が変わった。うすら笑いを浮かべていた子たちも、さすがにその言葉に引いたみたいだ。いや、もしかしたらその疑いを持っていたのかもしれない。

 言われた志鎌くんは

「なんだと!」

 枕を彼女に向けて投げつけた。真鍋さんの顔に枕が当たりよろける。その彼女の胸ぐらを左手で掴もうとした。

「やめなさい!」

 殴るつもりだ。そう思った私は二人の間に割って入ろうとする。

 が、真鍋さんを庇おうとする私の目の前で志鎌くんの姿が消えた。見ると捏上さんが彼の奥襟を左手で引っ張って右腕で首を押さえつけながら右足でで彼の足を払った……みたいだ。

 そうやって志鎌くんを布団の上に倒したかと思うと、そのまま右腕で首を押さえたまま背後に回って両足で胴を両腕で首を締め上げてる。

「女の子に向かって暴力は良くないですね。……まあ、男の子相手でもやっちゃダメですけど」

 捏上さんは、そのまま彼の首を締めてる。思わぬ展開に私も周囲の生徒たちもどう反応していいかわからない。

「國分くんが誰に殺されたかわかりませんが彼もこうやって頚椎を締められて苦しい思いをしたのは確かですね」

 嬉々として解説してる。志鎌くんは呼吸は出来てるから、完全に締められてるわけじゃないみたいだけど苦しそうなのに変わりはない。捏上さんの腕を両手を使って外そうとしてるけどびくともしない。

「それと、真鍋さんでしたか。犯罪の告発は動かぬ証拠を提示してからの方がいいですよ。こんな風に逆ギレされかねませんから」

 真鍋さんにまで説教をしてる。

「なにやってんだ!」

 背後から怒鳴り声が聞こえた。真鍋さんを抱きかかえたまま振り返ると学年主任の田所先生が立っている。周囲にさっきの女子たちがいるところをみると彼女たちが連れてきたのかもしれない。

「ああ、すみません。ちょっと柔道の稽古をつけてまして……」

 捏上さんは腕と足を外すと立ち上がって言い訳を始めた。

「そんなことは頼んでないでしょう。あんた、表の刑事たちに捕まえてもらいますよ」

 さすが田所先生。警察やPTAみたいな権力にはとことん弱いが、民間の私立探偵にはたとえ暴力的でも高圧的な態度で望めるんだ。でも、今はその性根が頼もしい。

「いやあ、失礼しました。じゃあ、僕はこの辺で失礼します」

 と、言いながら捏上さんは、そそくさと部屋から出ていった。

「まったく。……天尾先生。あの人、先生の知り合いみたいですけど、勝手に施設内をうろちょろされては困りますね。注意してください」

 返す刀で私まで説教される。理不尽だ。こんなことなら、さっさと早崎さんに逮捕してもらえばよかった。

 志鎌くんを見ると呼吸ができてないわけじゃなさそう。だけど、悔しそうな顔をしてる。何人かの男子生徒が彼の周囲に集まってる。その中に大治くんや大河平くんの姿はない。彼らは離れた場所で呆然と突っ立ってる。その顔は心なしか青ざめてるようにも見える。

「あっ!」

 男子生徒の一人が大声を上げた。

「どうしたの?」

 尋ねた。

「あのおじさん、俺の替えのジャージ、持ってったまんまだ」


「すみません、かえってご迷惑をかけてしまって」

「いいえ、私たちも眠気覚ましにちょうどいいですから」

 眠れなかった私は夜道を歩こうと、こっそり外に出ようとした。だけど、早崎さんに早々に見つかってしまった。

 早崎さんは

「でしたら一緒に散歩しましょう」

 そう言ってくれた。ただし、早崎さん一人だけじゃなくて、あの大柄なお巡りさんもついてくることになった。

「じゃあ、お二人は警察学校の同期なんですか」

 早崎さんが偉そうにしていたから先輩なんだと思ってた。

「いえ、早崎は自分と違ってもう巡査部長ですから。階級は偉いんです」

「そういうのいいから」

 同期のお巡りさんの褒め言葉にテレてる。

「それで、どちらに行かれるんですか」

 お巡りさんから聞かれる。そう言えば早崎さんには説明したけど、お巡りさんには言ってなかったっけ。

「國分くんが亡くなった場所です。あの時は気が動転してしまって、手を合わせもしませんでしたから……」

「仕方ありませんよ。ああいう状況で亡くなった方のご冥福をお祈りできる方はそうはいませんから」

 早崎さんはそう言って慰めてくれる。でも、担任としてそれは良くないと思う。

「でしたら、もうすぐですね。……部長!」

 お巡りさんが歩みを止める。早崎さんも止まって耳をすませる。

「なにか、音が聞こえるね」

「自分が先行しますから、お二人はここで待っていてください」

 お巡りさんは懐中電灯を左手に持ち直して先に立とうとする。

「待って。バラバラになる方がかえってマズいと思う。先生は私たちの影に隠れてください」

 お巡りさんと早崎さんが並んで壁になる。その後ろを歩く。でも前が見えない方がかえって怖い。

 そろそろと足音を立てないように現場に近づいていく。

「誰だ!」

 お巡りさんが懐中電灯をかざす。私は二人の間から覗き込む。そこには信じられない光景が……。


 杉の木の幹にロープの端を結わえた、もう片方を自分の胴と左腕を巻きつけて右手だけでくくろうとしているジャージ姿の捏上さんの姿が懐中電灯の明かりにくっきりと照らし出されている。

「……」

 早崎さんとお巡りさん、そして二人の影から出てきた私も、なにをどう言っていいかわからない。

 やがて、早崎さんが踵を返して

「戻りましょうか。人の趣味を邪魔するのも悪いですし……」

 私の肩を軽く叩く。捏上さんが

「いやいや、ちょっと待って!誤解だよ、薫ちゃん」

 慌てて引き留めようとするが、ロープに縛られて思うように動けないでいる。

「なにやってるんですか?捏上さん」

 ジタバタしてる探偵さんに尋ねる。

「いや、検証してるんです。気になることが多いものですから」

 それを言いたいのは、こちらの方です。なんで、生徒から借りたジャージを今も着ているのかとか聞きたいことが多い。

「國分くんを吊り下げていたロープはこれと同じポリエチレン製でした。……あのロープの出どころはわかったの薫ちゃん」

 そういえばやけに細いロープだと思った。

「施設の中に常備してあった荷造り用のロープだったらしいわ。どうせ、もうそっちで調べてるくせに」

 早崎さんの皮肉を意に介さずにニコニコ笑いながら続ける。

「じゃあ、自分で準備したわけじゃないんだね。と、なるとわざわざ遺書まで準備したことと矛盾が生じちゃうね」

「自殺するんだったら、そのための道具も自分で用意するでしょうね」

「ここでロープを見つけてから遺書を用意したってことも考えられますよ」

 お巡りさんが意見を言う。それに対して早崎さんが反証する。

「彼の遺書……のようなものは国語のノートを破って書いたと思われるの。でも、この林間学校に彼は国語のノートを持ってきてない」

「つまり家からあの手紙を持ってきたってこと。だったらロープとかも家から持ってきてもいいよね。ポリエチレンのロープなんてかさばるもんじゃないし、施設の中に適当な道具がないことだって十分考えられるんだから」

 怖い会話をどうしてそんなにこやかに話せるのか理解できない。

「自殺の可能性は薄いのはわかったけど、あんたがなにをやってるかの説明にはなってない」

「暴力的ないじめを受けてた被害者は当日も殴られていたのは間違いないよね。例えばそいつらが犯人だったとして殺すかな?」

「どういうこと?」

「だって発見されちゃったら暴行した事実も露見しちゃうじゃない。わざわざ肌が出てるところを避けて殴ってる奴らなのに。だから……」

 そう言って捏上さんは自分にくくりつけてあるロープを指さす。

「暴行した奴らは彼を殺すつもりはなかったんじゃないかな。首を絞めたわけじゃないと思う。こうやって胴と腕を縛った状態で上に吊した」

 みんなして上を見上げる。國分くんが吊されていた枝を見る。

「ポリエチレンのロープは滑りやすいからジャージの素材だとジタバタしたらすぐに外れるんじゃないかな。彼らもそれで勝手に落ちてくれても良かったんだと思う」

 そう言うが早いか、スルッと縄抜けをした。

「薫ちゃん、被害者の体にそういう風に縛った跡はついてなかったかな」

「確認はとってないわ」

 早崎さんは渋々そう言ってポケットからスマホを取り出した。

「あ、しまった。ここは圏外だったんだ」

 残念がる早崎さんに、お巡りさんが

「部長、自分の携帯なら繋がりますよ。……アンテナ一本ですけど」

 ポケットから携帯電話を取り出して渡した。

「この辺りはドコモなら、なんとか繋がるんですよ。だから、うちの署の警察官はドコモとの二台持ちが多いんです」

 早崎さんがお巡りさんから携帯を受け取って連絡を取りはじめる。

「あ、薫ちゃん。ついでに被害者のスマホのキャリアを教えてもらって。たぶん、ドコモだと思うから」

「スマホ?あんた、どうして被害者がスマホを所持してたって知ってるのよ」

 早崎さんの問いかけに悪びれずに答える。

「だって生徒が全員スマホや携帯を回収されてたのに、彼のスマホだけ無くなってるんだもん」

「ちょっと!なんでそんな大事なこと言わないのよ」

「だから今、言ったじゃん。でも被害者はちゃんと持ってたんでしょう。だったら誰かに盗まれたわけじゃなくて、自分でこっそり持ち出しただけでしょう。そんなに目くじら立てて怒ることないよ。いいから、さっさとかけて」

 飄々とした顔で言いながら促す。不承不承な顔でお巡りさんのスマホを持って早崎さんは離れたところで電話をかけに行った。

「あの、ちょっといいですか」

 私は捏上さんとお巡りさんに声をかけた。

「さっきから國分くんが自殺ではなくて殺されたって話になってますけど、だったらあの手紙はどう説明するんですか」

 捏上さんはロープを杉の木の幹から外しながら私の話を聞いてる。

「あれはたしかにネックですよね。あれさえなかったら間違いなく他殺以外の何物でもないんですけどね」

「自殺に見せかけたかったんじゃないんですか」

 お巡りさんが意見する。

「なんのために?」

 ロープを外すと左手と左肘を使って器用に巻いていく。

「あの手紙にはいじめた人間の実名が書いてあったんだよ。あんなもん見つかったらかえって困るじゃん」

「いじめた子たちに罪をなすりつけたかった……とか」

「だったら自殺に見せかける方が問題じゃない。むしろ、あの三人が殺したように見せかける方が効果的だよ」

「やめてください!」

 思わず叫んでしまった。

「なに言ってるんですか。なんの証拠もないのに憶測で犯人にしないでください。彼らはいじめをしていたかもしれませんけど人殺しまでするような子たちじゃありません」

 お巡りさんは

「失礼しました。たしかに仰るとおりです。申し訳ありません」

 と、謝ってくれた。だけど捏上さんは、そんなことに関心を示さずにニヤニヤしてる。

「だけど、自殺だとしてどうやって國分くんは首をつったんでしょう?枝にロープの端をくくりつけてもう片方を首に巻いて足場を外すのが一般的でしょう。それなのにロープの一方は、杉の木の向こう側にある切り株にくくりつけてたんですから、あれはどう見ても縛られた被害者を引っ張って吊し上げたとしか思えないじゃありませんか」

「……それは。……切り株にロープをくくりつけてからロープを持って杉の木に登ってから飛び降りたんじゃありませんか」

 捏上さんは私の意見にはじめて関心を示したような顔をしてる。

「そうか!その手がありましたね」

「いや、捜査本部では自殺ならそうしたんだろうって意見でしたよ」

 お巡りさんの言葉に

「ええ、そう言うのは早く言ってよ」

 文句をつける。

「あなた、部外者じゃないですか」

 お巡りさんが当然の反論をする。そして、早崎さんが電話から戻ってきた。

「聞いたわ。あなたの言うように被害者の両腕と胴にロープを一重に巻きつけたような痣があったそうよ」

 それを聞いた本来は部外者のはずの捏上さんは思わずガッツポーズをした。……不謹慎だ。

「喜ぶのはまだ早い。もう一つの被害者のスマホのキャリアだけど、auエーユーだそうよ」

「えっ、ホント?」

 それには驚いた様子だ。

「本当よ。そんなことで嘘言ってどうするのよ。でも、それがなんなの。私もauだけど繋がらないスマホを持ってるのがおかしい?」

「だってどうして、わざわざ繋がらないスマホを教員の部屋から盗み出す必要があるのさ」

「……時計代わりにしてたんじゃないの」

「それだけのために、そんなリスクを犯すかな」

「ずいぶんこだわってるわね。いったいなにが問題なの」

 考え込んでいる捏上さんに早崎さんが問い詰めている。やがて、

「……そうだね。まあ、気にすることはないか」

 さっきまでの真剣な顔とは打って変わって、いつもの明るい顔に戻った。

「そういえば、さっき先生が木登りのことを言ってましたけど、先生って愛媛のご出身ですよね」

 なに?突然、脈絡もなく話題を変えて。

「先生の故郷に伺いましたよ。先生って子どもの頃はずいぶんわんぱくだったんですね」

「どうして、私の田舎に行ってるんですか!」

 驚いて問い返した。

「調査の初期に行ってるんです。あ、先生のご実家には行ってませんよ。あの辺りの土地を買いたい不動産屋のふりをしていろいろ調べさせてもらいました。ご近所の方とか幼なじみとかに先生のことを聞いてきましたよ」

 うわさ話をかき集めたの?恥ずかしくて穴があったら入りたい!

「先生って女の子と遊ぶよりも男の子たちと遊ぶことの方が多かったそうですね。隠れんぼをしたり、木登りをしたり」

「……それが、どうしたんですか」

「だったら、この杉の木にも今でも登れるんじゃありませんか」

 捏上さんは國分くんが吊されていた枝を指さして言った。

「……」

「あんた、いったい何を企んでるのよ」

 黙ってる私の横で、早崎さんが捏上さんに食ってかかる。

「いやあ、あれくらい高かったらauでも電波繋がるんじゃないかなって思って」

「自分でさっき気にするほどのことじゃないって言ったばかりじゃない」

 二人の会話を聞きながら、私は立ち上がった。

「早崎さん、スマホを貸していただけますか。……捏上さんが何を考えてるのかわかりませんけど、登ればわかることならやりますよ」

 早崎さんにauのスマホを借りて、私のソフトバンクのスマホを代わりに預ける。お尻のポケットにスマホを入れて、おもむろに登りはじめる。

「無理しないでくださいね」

 早崎さんの心配をよそに私は昔取った杵柄よろしく、するすると幹を登りすぐに枝の上まで登りきった。

「どうですか、先生」

 捏上さんの声が聞こえる。まだ薄暗いから声だけしかわからないけど、どんな顔をしてるのだろう?

 ポケットからスマホを取り出してボタンを押す。画面が光って待機画面が映し出される。白と黒のブチの子猫の写真だ。早崎さんの猫かしら?

 画面上の表示を見るがやはり圏外だ。

「やっぱり圏外ですよ!どこに手を伸ばしても全然繋がりません」

「わかりました。ありがとうございます。もう降りてくださって結構ですよ」

 勝手なことを言って。スマホをポケットに入れて、枝を手にして足を降ろす。枝からぶら下がった状態になった私をお巡りさんが心配して、

「受け止めますから大丈夫ですよ」

 と、言ってくれた。でも、

「大丈夫です。危ないから離れててください」

 そう言ってから手を離す。そのままスタンと地面まで落ちて着地した。

「ありがとうございます。おかげで助かりました。……薫ちゃん、絆創膏持ってない?」

 捏上さんは私にねぎらいの言葉をかけてくれたが……絆創膏?

「一応、持ってるけど。どこかケガしたの?」

 私とスマホを交換しながら早崎さんが捏上さんに尋ねる。

「いや、たぶん先生のほっぺに傷がついてると思ったから……ね」

 思わず頬に触れると血の感触を左手の指に感じた。


 早崎さんたちと一緒に施設に戻った。結局、一睡もしないまま朝食を取る。

 二泊三日の林間学校の最終日。朝食を取ったあとは帰り支度と清掃をやってからお昼前には施設をあとにする。途中のパーキングエリアで昼食をとって夕方までには学校に戻る予定になってる。

「掃除なんてダルいよ。なんでオリエンテーリングもキャンプファイヤーも中止になったのに、こんなことしなくちゃなんないの」

 屋外でゴミ拾いをしている男子が不満を漏らしてる。

「文句言わないの。三日間、施設を使わせてもらったんだから感謝を込めてお掃除しましょう」

 私もゴミを拾いながらなだめる。

「天尾先生。私たち来年もここで林間学校するんですか」

「ううん、三年になったら修学旅行があるから林間学校はやらないわよ。林間学校は一年と二年だけ」

 彼らは去年と今年、林間学校を体験してるから、もうここで林間学校をやることはない。

 あの騒動が起きたせいで中止になったキャンプファイヤーの跡を覗き込む。

「……ねえ。誰かキャンプファイヤーの中を掃除した?」

 周囲にいた生徒たちに声をかける。

「やってませんよ、そんなとこ。……もしかして、キャンプファイヤーも私たちが掃除するんですか?」

 女子生徒が聞き返す。

「ううん、これは施設の人がやってくれることになってるから大丈夫だよ」

 答える。だけど、まだ施設の職員は片付けていないはずだ。その証拠に古家先生がくべた薪はそのままになってる。なのに、私が捨てたゴミ袋が無くなってる。生徒が処分したんじゃないとしたら誰?もしかして警察が見つけたのかしら?

 火をつけてから時間が経たないうちに遺体が見つかったから古家先生がすぐに消火したはずだ。だから、完全には燃えていない……と思う。

「先生!警察の車が来たよ」

 ボーッとしてる私の耳に生徒の声と自動車が坂を上ってくる音が聞こえた。

 重村さんたちが車から降りるとすぐに施設の中から田所先生が出てきた。

「すみません、先生。志鎌要くんに署まで同行してもらいたいのですが」

 挨拶もそこそこに重村さんが田所先生にお願いしてる。いや、丁寧な言葉づかいだけどあれは命令だ。

「いや、待ってください。本人や保護者の方の了解を得ないと……」

 田所先生はシドロモドロに対応してる。

「おじさん!なんで俺のジャージ、そんなに汚してんだよ」

 背後から男子生徒が一人、刑事さんたちの群れに駆け寄っていった。見ると刑事さんの間にちゃっかりジャージ姿の捏上さんが紛れ込んでる。右手にスーパーの袋をぶら下げてる。

「ごめん、ごめん。洗って……いや、弁償するからもう少し貸して。今、着替える暇がないから」

「勘弁してくれよ。母ちゃんに怒られちゃうよ」

 捏上さんにジャージを貸した生徒は不平を言う。だが、ジャージ姿の探偵さんはもう彼のことを気にかけていない。

 捏上さんはたしかに汚れている。数時間前に國分くんが亡くなった現場でロープが滑るかどうかの検証をやったりしたから泥だらけだ。私も人のことは言えない。木登りをしてしまったせいでジャージに汚れが付いてる。頬にもまた傷がついてしまった。田所先生に小言を言われたし。

 ただ捏上さんの汚れは茶色い泥汚れだけじゃない。黒い汚れ……あれはすす汚れじゃ?

 私はキャンプファイヤーの跡に目をやる。

「志鎌くんや親御さんには我々が説明しますのでまず彼を呼んできていただけませんか。できれば大治くんや大河平くんも呼んでいただきたいのですが」

 重村さんと田所先生の話し合いは続いてる。もっともこういう状況に慣れている重村さんの方が優勢みたいだけど。

 そうこうしているうちに志鎌くんたちが施設内から出てきた。彼らは本来は外回りのゴミ拾いだったはずだ。サボり終えて出てきたタイミングだったのね。

「志鎌くん、ちょうどよかった。刑事さんたちと一緒に警察に行ってくれませんか」

 大声で捏上さんが話しかける。志鎌くんは彼の姿を見ると一歩後ずさる。例の絞め技で苦手意識ができちゃったのかもしれない。

「なんだよ。俺はなにもやってねえよ」

 後ずさりながらも志鎌くんが気負って噛み付く。あとの二人は彼の影に隠れるように立っている。

「本当になにもやってないのかな。國分くんを呼び出して杉の木にぶら下げたりしなかったかな」

 捏上さんが笑顔で近づいていく。

「そんなことするわけねえだろ」

 さらに後ずさりながらもいかめしく構う。

「おい、捏上くん。君がでしゃばらなくてもいいよ。私らに任せなさい」

 重村さんの言葉を捏上さんは体よく無視する。

「警察を甘く見ない方がいいよ。國分くんの体やロープから指紋が出てきてるからね。もう君らの悪事はバレバレなんだよ」

「なに言ってんだよ。その指紋が俺らのものだって証拠があんのかよ。……言っとくけど俺らは警察になんて行かないぞ」

「君の指紋はもう取ってあるよ」

 捏上さんはそう言うと片手に持っていた袋からシャツを取り出した。彼が着ていたものだ。

「昨夜、君を柔道の技で締めた時に僕の腕を外そうともがいたのを覚えてるかな。その時にシャツの右袖に君の指紋がたっぷりと付着した。僕はそれを警察に任意提出させてもらったよ。調べてもらったら國分くんの体にもロープにも君の指紋が付いてたそうだよ」

 志鎌くんは最初、彼の言葉が理解できなかったみたいだったが、やがて

「……きったねえ」

 とだけ言った。

「君たちがお昼に國分くんを連れ出して、あの場所で殴る蹴るの暴行をしてから彼の体を縛って吊し上げたのはわかってる。だけど、君らはどうして國分くんが首をくくったのかわかってないよね」

 捏上さんは青ざめた顔をしている三人に向かって講義するように話し始めた。聞いてる他の人たちだって同じような顔をしている。

「……そうだ。俺たち、國分の首なんて吊ってない。國分を縛って吊るしたけど、首は吊ってない」

 大治くんが体を震わせながら話す。隣りにいた大河平くんが慌てて制する。

「ってことは大治くんは昨日、國分くんを殴って吊るしたことは認めるんだね。……大河平くんも、かな?」

 重村さんが二人に向かって語りかける。大治くんは

「……はい」

 とだけ答え、大河平くんは無言で頷く。

 志鎌くんは絶句してる。二人が白状しても彼は認める気はないらしい。

「じゃあ、どうして國分くんが首を吊ったのか説明しようか。彼の体に何回もロープを巻き付けて、手首も縛ってから吊るしたんならこんなことにはならなかったのに、君たちは彼を吊るす時にかなり手を抜いたよね。國分くんの体にロープを一回だけグルンと巻いて縛っただけで吊るした。……薫ちゃん、お願い」

 言われた早崎さんは渋い顔をしながら生徒のジャージを着た捏上さんにポリエチレンのロープを一回だけ巻いて縛った。

「こんな状態だったらちょっと体を動かせば簡単にロープが滑って外れてしまう。これじゃあ彼の体は下に落ちてしまう。……そして」

 捏上さんがちょっと体をくねらせるとロープは緩まる。ロープの端を持っていた早崎さんがそのまま上に持ち上げる。

「外れたロープが國分くんの顎に当たり引っかかる。そのままロープは首で止まり彼の体の重さでロープが締まっていく」

 捏上さんはロープを顎で止めて、早崎さんがロープを引っ張り続ける。ロープは捏上さんの首を徐々に締め付けていく。

「彼はロープを手で止めるけど今度は顎で引っかかって外れはしない。そうして、いくうちにロープは彼の首を締め付け最後には……」

 女生徒から悲鳴が聞こえる。それを合図に早崎さんがロープを締める手を止める。


 捏上さんの講義が終わり、彼がロープを首から外している間、誰も一言も喋らない。

「……だったらこれは……事故じゃないですか」

 やっと田所先生が話し始めた。

「彼らに殺意はないでしょう。こんなことになるなんて予想してなかったはずですから」

 田所先生の弁舌もみんなの顔色を変えることはできていない。

「彼らに殺意があったかどうかは、これからの取り調べや裁判次第でしょうね。僕は……殺意はあったと思いますよ」

「嘘だ!」

 志鎌くんが大声で叫ぶ。

「……大治くんたちは反論しないんだね。君たちはあのままだったら國分くんが死ぬかもしれないって思ってたんだろう」

 捏上さんの言葉に大治くんと大河平くんはただ黙ってうつむいてるだけだ。

「おい、お前らなんで何にも言わないんだよ。このままだったら俺ら、このおっさんに殺人犯にさせられちまうんだぞ!」

 捏上さんは志鎌くんを無視して大治くんたちに話し出す。

「君らは國分くんを吊るす前にかなり手ひどく殴り続けたみたいだね。もしかしたら気絶くらいしてたかもしれない。そんな状況で吊し上げて生きていると考えるほうが無理があるだろう。もし、一晩中吊るされたままだったら、この時期だ。凍死の可能性すらあっただろうね」

 たしかに初冬でも夜中になればかなり冷え込む。凍え死ぬかもと言われればそうかもと思う。

「君らはそれをわかっていながら、志鎌くんの命令で……いや、もしかしたら嬉々として彼を殴って弱らせて吊るしたのかもしれない。死んだら死んだでいいやと思ってね。

「國分くんが亡くなったことで、司法解剖で調べた彼の体に残ってる傷や痣、内臓の損傷も君たちの殺意の立証に役立つだろう。まさに死体は語るだね」

 うなだれてる大治くんと大河平くんを刑事さんたちが連れて行く。だけど、志鎌くんだけは

「いやだっ!行きたくない!俺は悪くない」

 泣きながら暴れていたが、思わず殴ってしまった刑事に逆に押さえつけられて連れて行かれてしまった。

 真鍋さんの他に何人かの女の子が彼らを乗せた車を見送りながら泣いている。あの子たちは志鎌くんのことを好きだったのかもしれない。教師や生徒の大半はただ呆然としてる。

 私は……私は、いったいどうなってるんだろう?どうして体は動いてないんだろう。心の中では叫んでるのに。


「待って……待ってください。連れて行かないで」

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